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2014/11/8 更新してないねぇー ねたはあるんだけどね
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解雇通告2 〜完結編〜
最近、自宅PCで使用しているキーボードの調子がおかしい。
去年の今頃、大奮発して1万円も出して購入した、俺の右腕ともいうべきダイヤテック製FILCOブランドのキーボード(独Cherry製キースイッチ(茶軸)使用)の調子がおかしい。

先月から今月にかけて、
「3(#)」と[6(&)]「7(')」と「F7」と「→」と「Esc」キーが順番に壊れていった。
押しても反応しなくなった。
数字はテンキーがあるから何とかなるが、「F7」と「→」と「Esc」キーが使えないのはつらいし困る。
キーをはずして掃除したり、ケーブルをつなぎなおしてみたりしたが、徒労に終わった。

日に日に、使えないキーが増えていく。
「M」、「↓」、「Enter」。
「Enter」は致命的だ。
もはや死を宣告されたようなものだ。

だが俺はあきらめない。
多ボタンマウスを活用し、普段使用していないボタンクリック時の動作をEnterに割り当て、あとは遺されたキーを駆使して、なんとか苦境を乗り越えていた。

しかし数日後、絶望的な事態を迎えた。
スペースキーと「↑」、「←」、その他5〜6種類のキーが一気に死んだのだ。
矢印キー全滅のうえ、Enter&Spaceという、
キーボード界の翼くん&岬くんとも言える、大人気かつ最重要キーが使用不可能とあっては、さすがの俺もギブアップ寸前だ。
将棋で言えば飛車角金銀桂馬落ちだ。
裸同然である。

はやく修理に出さねば本当に再起不能になってしまうと思いながらも、俺は遺されたわずかなキーと、あとは最終手段であるソフトキーボード(画面上に出るキーのグラフィックをクリックするとその文字が入力できるソフトウェア)を用いて、ストレスこの上ないPCライフをエンジョイしていた。

そんなある日、天啓を得た。
スペアのキーボードなど自宅には存在しないと思っていたのだが、そういえば、まだ捨てていなかったのではないか?
ちょうど一年前、このFILCOキーボードと入れ替えたために不要になった、古い安物のキーボード・・・。
国士無双と恐れられた呂布奉先も尻尾を巻いて逃げ出す程に怒髪天を突く勢いで猛烈に怒り狂う嫁から浴びせられる罵詈雑言の数々を軽く聞き流しながら、俺は押入れの中にあるモノというモノをひっくり返し、もはやこれらのものが再び押入れに収まることなど到底不可能ではないかというほど散らかしまくり、探しに探しまくった結果、去年捨てるつもりで捨てそびれていた古いキーボードをようやく発見したのである。

しかし、このキーボード、なぜかキーそのものが本体から全部はずされている。
確か壊れてはいないはずだから、とりあえずキーを元に戻せばまた使えるようになるはずだ。
さいわい、はずされたキーは全て残っているようだ。
そう考えた俺は、正しいと思われる位置にキーをはめ込んだ後、汚れをふき取るなど、いくらか掃除をした。
少々手間がかかったが、これでようやく懐かしいキーボードの姿をよみがえらせることができた。

よかった!これでまたしばらく普通のPCライフを送ることができる!
安堵してこの旧キーボードのケーブルをPCに接続しようとしたのだが、
そのときである。


「ふふん」


誰だ?俺を笑う奴は。

「お久しぶりです、ご主人様。いえ、元ご主人様だった方。お元気そうでなによりですわね」

見ると、今修復したばかりの旧キーボードが、この俺に馴れ馴れしく話しかけてきていた。

「私の体にキーが取り付けられたのは一年ぶりです。まさか、またこうしてあなたが私の前に現れるとは思いませんでした。運命とは皮肉なものですね。長い一年でした。押入れの中はすごく寒くて、辛かった」

だからどうした。
キーボードのくせに、いきなり厭味な口調で独白始めるな。

「だからどうした、ですって? 私に対するひどい仕打ち、忘れたとでも言うつもりですか?」

忘れたもなにも、俺はキーボード大好きッ子だぞ。
自分が使うキーボードにひどいことなどするはずが無い。
いまひとつお前の言っていることが理解できないが、その仕打ちとやらはお前の勘違いではないのか?

「信じられない!あなた、それでも人間ですか」

おいおい穏やかじゃないな。それがキーボードのセリフか。
お前も確かにキーの打ち心地は悪くなかったと記憶しているが、やはり今のほうが数段上だな。
だがよろこべ。今愛用しているFILCOキーボードが壊れてしまったから、短い間の代理ではあるが、再びお前を使ってやるぞ。
ありがたく思え。

「お断りします」

なんだと。
貴様、キーボードの身でありながらキーを打たれるのを拒否するつもりか。

「一年も放置したあげく、今になってのこのこ現れてもう一度使われてくれなんて、恥知らずもいいとこだわ。私はもう、あなたに打たれるつもりはありません」

お前は俺の何なんだ。
キーボードの分際で何考えてやがる。アホか。

「本当に忘れてしまったのね。いいわ。思い出せないのなら私が思い出させてあげましょう。私の心に深い傷を残すことになった、あなたの仕打ちを」

そこまで言うのなら聞いてやろうではないか。
よし話してみろ。

「今からちょうど一年前。
・・・あなたが壊れた壊れたと大騒ぎしている、今のFILCOキーボードさんを購入した日のことです。その日まではまだ、私は現役で毎日」

あー思い出した。全部言わなくていいよ。はいはい。あのことね。
あれだろ。お前が今のFILCOキーボードと交代するのが嫌だとか言って駄々こねたもんだから、俺が面白半分にお前のキー全部はずして遊んだことだろ。
いやああのときは愉快だった。

「くっ。あの日の忌々しいできごとは、あなたがそうやって軽く語れるほど簡単な話ではないというのに。今まで誰にも見せたことの無かった、キーを全部はずされた状態の、一糸纏わぬ私の体を、あなたは見世物にして、晒し物にして、笑い物にして・・・。とにかく、悪夢のような一日でした」

そういえばそうだった。
わははははいと無様なりキーのないキーボードよ愉快痛快、などと言って大笑いした記憶があるぞ。
そのあとお前を捨てようと思ってたんだが、そのまま忘れてたんだ。
だからさっきお前を発見したとき、キーが全部外れたままだったんだな。

「私は運の強い女です。キーボードにとって最大の屈辱・・・キーを全部はずされるという、絶対に癒えることのない傷を負ってなお、こうして生きながらえて、その傷を作った張本人と、話をしているのですから」

およそキーボードのセリフとは思えんな。どこで覚えたんだ。生きながらえるとか。

「私はもう、捨てられることに怖さはありません。いえ、傷物にされてしまった私など、むしろ捨てられたい。でもその前に、たった一言でいいんです。謝罪してください。私というものがありながら突然新しいキーボードを買ってきたこと。そして私の体キーを剥ぎ取ったこと。これらの行為に対する謝罪をしてもらえれば、私はもう思い残すことはありません」

長い。お前のセリフは長くて眠くなるぞ。
いくら悲劇のヒロイン風を気取ったところで、所詮お前はキーボードだ。
俺様が再び使ってやるって言ってるんだぞ。
ごちゃごちゃ言ってないで、とっととPCに繋がれろ。

「嫌です。
先程も言いましたが、私はもうあなたに使われたくない。あなたには指一本触れて欲しくない。これが今の私にできる精一杯の抵抗です。どうしても謝罪しないというのなら、早く私を捨ててください」

何を言うか。触れなければ捨てることもできないぞ。
まあそう怒りなさんな。せっかくだからその強運とやらを生かしてくれよ。
今我が家でまともに使えるキーボードはお前だけだ。素直に使われてくれ。

「・・・・・・」

頼むよこの通り。確かにお前には悪いことをしたと思ってる。
だがこの際全部水に流して、昔のように俺にカタカタ打たれてくれよ。
な?な?
お前はキーボードじゃないか。打たれるのが仕事じゃないか。
久しぶりに打たれたいだろ?
体がうずくだろ?


「お前などと・・・、気安く呼ばないでください・・・」


しばらくの沈黙の後、呟くようにそう言うと、キー子は外を見た。
3月の日曜日。
静かな住宅街の昼下がり。
日差しは充分に暖かい。暑いくらいだ。
わずかに空けられた窓から入る風は、まだ少し冷たいが、キー子にはそれが心地よく思えた。
久しぶりに感じる風だからだろうか。

「あなたはいつもそうやって、調子のいいことばかり言う・・・。
どうせ覚えていないでしょうけど、私があなたに買われた2年前、あなたはお店で私を見て、何度か試し打ちをして、そしてこう言ったの。
『キーの硬さが気に入った。この確かな打ち応えが最高だ。よし決めた。これをこれからずっと使っていこう』って。
私、嬉しかった」

キー子は目を閉じた。
彼女の脳裏には、まるで昨日のことのように覚えている、その日の出来事が再現されているのだろう。

「ああ、確かそんな事を言ったかな。どこの店で買ったのかも忘れたけどな」

類二と名乗る男は相変わらず、はぐらかすような言い方をする。
それがキー子にとって、より憎悪の念を増長させる結果になっていることが判らないのだろうか。

「私のアイデンティティはキータッチの硬さ。でも当時、買われていくのはやわらかいキータッチのキーボードばかり。仲間からは固い女と罵られ、店員からは場所の無駄遣いと蔑まれ、いつ処分されてもおかしくないほど、私は人気がなかったのです」

そこまで言って、キー子は視線を外から部屋の中へ移した。
キー子の背の高さからは見えないが、部屋に鎮座する見慣れたPCの先に、1万円もしたという、類二お気に入りのFILCOブランドのキーボードが繋がっているのだろう。去年、類二に自慢気に見せつけられた記憶がある。
今は壊れているらしいが、それでも、安物の自分とは違う凄いオーラをいまだに放っているはずだ。

「そんな折に、私のことを最高だなどと言ってくれて・・・。ほんとうに嬉しかったんです。だから、この人のことをご主人様と呼ばせてもらって、これから精一杯、PCライフをサポートしていこうって、そう決めたんです。それから約1年。幸せだった・・・。あなたが新しいキーボードを買ってくるまでは・・・」

いつのまにか、キー子の頬に、涙が流れていた。

類二は先ほどからキー子と目を合わせようとしない。
きっと今のキー子の事を疎ましく思っているのだろう。
単にPCが使えなくて苛々しているだけかもしれない。

「私の値段は所詮、3000円程度。無銘の安物です。でも、私とあなたが組むことで、2倍、いえ3倍以上のパフォーマンスが出せると思っていた。往年のIBMの業物や、今もてはやされている東プレ製、ミネベア製には人気も実力も遠く及ばないけど、あなたとだったら、最高のコンビネーションを発揮できると思っていた。なのに」

「もうやめてくれないか。愚痴はもうたくさんだ。キーボードの分際でうるさいんだよ」

頭をかきむしる類二。
本当に煩わしそうだ。

「もういい。どうしても今後俺に使われたくないというのなら・・・、そんなに捨てられたいなら、捨ててやるよ」

苛々している割にはあまり抑揚のない物言いであったが、類二の口から発せられたこの言葉は、二度と撤回される見込みの無い解雇通告であった。

「・・・・・・」

キー子はひとつ、息をついた。

捨ててくれ。
もう絶対に使われたくない。
そう言ったのはキー子のほうだ。
だから、これは自分が望んだ結果。

しかし、
一年前にキー子のキーが全部はずされるという類二乱心事件の末、奇跡的に命拾いをして、今の今まで押入れの中で待ち続けた結果がこれで良いのか。
せっかく訪れた、再び使ってもらえる二度とないチャンスを、このままみすみす逃し、捨てられてしまっても良いのか。
一時的な役割とはいえ、この機会に素直に使ってもらえば、硬いキータッチのよさを再認識してくれるかもしれない。
そうしたら、また以前のように、毎日使ってくれるようになるかもしれない。
仮にFILCOキーボードが修理から帰ってきても、PCに繋がっているキーボードは自分のままかもしれない。
その思いが、キー子の心を揺るがし続けていた。

しかし、それは、同じ悲劇を繰り返すだけ。
仮にメインキーボードの座を私が奪い返すようなことになったら、今のFILCOキーボードは、嘆き悲しむだろう。
私を、そして類二を恨むだろう。
もしかしたら、私と同じようにFILCOのキーボードもキーを全部はずされたりしてしまうかもしれない。
それは嫌だ。
私のような思いを、もう他の誰にも味わわせてはいけない。

どちらにしろ、類二の言葉は絶対だ。
捨てると宣言された以上、もはやキー子が何を考えようとも、何を言おうとも、覆される事はない。

最後にこうして類二と話をする機会を得ることができただけでも、神に感謝すべきだろう。
結局謝罪の言葉は得られなかったが、その方がかえってあきらめもつく。
そうと決まれば、潔く捨てられよう。
押し入れの中で余生を過ごすより何倍もましだ。
キー子は腹を括った。

「・・・私の言葉を聞き入れてくださって、ありがとうございます。私にとって耐え難い屈辱の、この1年間のことを忘れることはできませんが、それまでにあなたが私をメインキーボードとして使ってくれた期間は、私にとって最高の思い出でした。この記憶を胸に抱いて、私は捨てられることにします。・・・短い間でしたが、お世話になりました」

最後は嗚咽交じりで言葉にならなかった。

「最後まで良くしゃべるキーボードだ。
ちっ。こんなことならわざわざキーをはめ直したり掃除したりするんじゃなかった。くたびれもうけもいいところだ」

類二の口からは、感謝や別れの言葉ではなく、悪態しか出てこなかった。
言葉ではなく、その態度が、いっそうキー子を悲しくさせた。
わかっていたことだが、もう、キー子の知っている、二年前の類二ではないのだ。

「・・・申し訳ありませんでした」

「もう言い遺すことは無いな?」

「では、ひとつだけ・・・」

「なんだ、まだあるのか。さっさと言え」

「今のFILCOキーボードさんを修理したら、末永く、大事に使ってあげてください。もう、私のような思いを、他のキーボードにさせたくありませんから・・・」

これでいい。
もう、未練は無い。

「は?」

意外な反応。

「何言ってんだ?」

類二の言葉が理解できない。この男こそ、何を言っているのか。

「一緒だよ一緒。
お前と、このぶっ壊れたFILCOのキーボード、これ一緒に捨てるんだよ」

「え・・・なんですって?」

キー子は耳を疑った。

「ほれ」

先程までPCに繋がっていたはずの、ダイヤテック製FILCOブランドのキーボード(独Cherry製キースイッチ(茶軸)使用)を、類二は無表情で放り投げた。
大きな音をたててキー子の目の前に落ちたそれの、一年前に新品だった頃の華やかさは見る影もなかった。

「当然、これだけ壊れていたらお役御免だ。仲良く捨てられな」

「だ・・・大丈夫ですか?」

キー子は思わずFILCOキーボードを抱きかかえた。
相当弱っているようだ。

「・・ありがとう。わたしはフィル子。あなた、キー子さんね?」

「はい・・・。私のことを、知っているのですね」

「もちろんよ。ご主人様が、あなたのキーを全部はずして遊んだときのことを、この私を使ってブログの記事にしていたんですからね。それが私の最初の仕事だったもの」

ブログの記事・・・。
あのときの自分の痴態が、文章となってネットに公開されていたとは・・・。
知らなかった。
だが、不思議にもそのことに対して何の感情もわかなかった。

「そうなのですか。
・・・やだ、フィル子さん、傷だらけではありませんか」

フィル子のEnterキーやスペースキー、矢印のキーは、
キーをはずした際の傷などでぼろぼろだった。

「ご主人様も苛々されてね。私の故障は広まる一方だったから。仕方ないわね」

ご主人様。
フィル子も、キー子と同じように、かつて類二に対してその呼称を用いていた。

「仕方ないって・・・。
フィル子さん、それでいいのですか?
あなた、まだ保障期間内ではなかったのですか?」

「ふはははははは。
俺の財力を甘く見るなよ。すでに新品キーボードをネットで購入済みだ。明日には届くことになっているぞ。なんならお前らに新品を披露してやろうか?」

忌々しい類二の声が聞こえてきた。

「信じられない。相変わらずひどい人ですね。修理すれば使えるのに、新品を購入済みだなんて・・・!フィル子さん、一万円もしたんでしょう!なぜ大切に使ってあげないんですか!」

「いいのよ、キー子さん、落ち着いて」

キー子には、そのフィル子の言葉こそが信じられない。

「これが落ち着いていられますか!
フィル子さんだって一所懸命、この人のために頑張っていたのでしょう?それなのに、あっさり捨てられても構わないと言うんですか!」

「ええ」

フィル子は驚くほど冷静だった。

「ありがとう。もう自分で立てるわ」

キー子の手から離れ、フィル子は立ち上がった。
そしてキー子と向き合う。
キーはぼろぼろだが、フィル子の瞳は輝きを失ってはいなかった。

「キー子さん。私たちキーボードは、個々を見てみれば単なる消耗品。値段も数百円から数万円まであるし、もちろんキーの硬さや柔らかさ、打鍵の具合、みんな全然違うけど、基本理念はひとつなのよ。わかるわね?」

「すべての人の、快適なPCライフをサポートすること・・・」

「そう。
私たち入力デバイスは、マウスとともに毎日触られるもの。いくらPCのスペックがよくても、私たちがしっかりしていなければ、その性能を生かすことはできないし、私たちを気分よく使ってもらえることができれば、スペック以上の性能を発揮することさえ可能だわ。私たちとPCオーナーの息をぴったり合わせることができるか、これが大事」

「そんなことはわかっています。だからこそ・・・」

「だからこそ、少しでも打鍵効率が低下すると判断されたキーボードは、使われるべきではないの」

フィル子は決然と言い放った。

「新しいキーボードは、私より打ち心地が良さそうなのよ。だから心配しないで。私たちの思いは、次のキーボードさんがしっかり受け継いでくれる。あなただってそうしたはずよ。思い出してごらんなさい」

そうなのだ。
キー子自身、新品時代に、まだ使えるはずの先代キーボード(ロジクール製)に代わってメインキーボードの座を獲得した経緯がある。
その時、自分はどう思ったか。何を考え、古いキーボードが捨てられていくのを見送ったか。

「先代のロジクール製キーボードさん、お疲れ様でした、って。あとは心配しないでねって。
私があなたの遺志を全部受け継いで、キーボードとしての役目をしっかり果たすから、安心して見守ってくださいって・・・。
私は約束したわ。ロジクールさん、後は頼むよって言って、笑って捨てられていった・・・」

役目を終えたロジクール製キーボードの、晴れやかで清々しい笑顔を、キー子ははっきりと思い出した。

フィル子はやさしく微笑み、キー子の涙を拭う。

「私だって、同じ気持ちだったのよ。あなたの後を受け継いで、これからは私が頑張っていこうって、そう思ったのを今でも覚えているわ」

キー子がキーを全部はずされ、押し入れにしまわれたその日から、今日までフィル子は健気に働いていたのだ。
フィル子は続けて言う。

「私はもう、半分以上のキーが壊れて使えないのだけど、それだけにね、今はいい気分なの。むしろこんなになるまで使ってもらえて、私は幸せだったわ」

「フィル子さん・・・」

「さっきご主人様は、私自身を使って、新しいキーボードを注文したわ。それが私の最後の仕事。私を使って入力した内容によって、注文が処理されて、新品がここにやってくる。自らの手で次の世代にバトンタッチできたなんて、キーボード冥利に尽きるわ。私にはもう、遣り残したことはないわね」

キー子は涙が止まらなかった。
あの時、枯れ果てたと思っていたのに・・・。

「もうひとつ。
あなたはご主人様にキーを全部はずされてしまったわね。そのこと自体は確かに屈辱かもしれない。あなたは忘れられない憎しみをご主人様に対して抱いているかもしれない。でも、私はその事をうらやましいとさえ感じるわ。だって、文字を入力すること以外に、キーボードがPCオーナーを楽しませたことなんて、長い私たちの歴史の中でも極めて稀なケースのはずなのよ」

「・・・・・・」

「だから、もうご主人様を恨むのはやめましょう。そして、後のことは、新しくやってくるキーボードさんに全部任せて、私たちはいきましょう」

「フィル子さん」

自分より後輩のはずのフィル子の、大人のような振る舞いが、キー子には羨ましかった。

「さあ、手をつないで・・・」

フィル子が手をさしのべる。

「はい・・・」


こうして、2台のキーボードは、天に昇っていった。
今俺は、新しいキーボードの感触を楽しむように、
この文章を書いている。
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卒業式

「な・・・
なに?
何これ?
何この丸いの!?
何この丸くてでかいの!?
何この丸くてでかくてやわらかいの!?
何このやわらかいの!?
何これ何これ何これ!!!」


「はっ、夢か。」
ふと手を見ると私のウサギモグラはすっかりネズミクラゲになっていた。
時間はまだ午前2時を少しまわったところだ。
泣いても笑っても明日は奴との決別の日。あの頃二人してがむしゃらに飛び込んだ、この血生臭い理不尽な世界からの卒業の日だ。
私はタバコに火をつけ、あの夢を思い返しつつカーテンの隙間から夜の灯を眺めた。
「キャ、キャベツダイコン!?」
私の視界に突如として飛び込んだソレは、確かに真紅のネギネギピーマンだった。


ファンタスティック吉村はこの学校の教師である。
ファンタスティックはどちらかというと熱血タイプの教師だ。
なので今日の卒業式は絶対泣くまいと思っていはいるが、
三年A組の担任であることから、
今日は朝から涙腺が弱くなている。
校舎の中を歩いていると後ろから
「おい!ファンタスティック!」
と、ファンタスティックを呼ぶ声がする
振り返ってみると


じん じん じんぎすかーん
へーりゃりゃ ほーりゃりゃ へーりゃりゃ いままりゃ


その直後、卒業式会場となった体育館及び校舎西側区画が爆発炎上した。
逃げまどう参加者一同。卒業生たちは季節外れの花火に感涙を禁じ得ない。
思い出のぎっしり詰まった校舎はあれよあれよという間に倒壊してゆく。
それはまさに砂の楼閣であった。
在校生、教員、父兄一同からは真心のこもった暖かな声援。
「おめでとう」「おめでとう」
「ありがとう」「ありがとう」
そうして嵐の卒業式はフィナーレを迎える──かに思われたが。


「卒業おめでとう」
「卒業おめでとう」
「卒業おめでとう」
「卒業おめでとう」
「卒業おめでとう」
「卒業おめでとう」

なぜ6回言う。約束は5回じゃないのか。


卒業式も終わりを迎えようとしていた。
あちこちから生徒達のすすり泣く声が聞こえてくる。
今まで一人だけ空気椅子で頑張っていた生徒会長はついに尻餅をついてしまった。
担架で運ばれる生徒会長。
日頃の運動不足がたたった瞬間であった。
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なんだか酷く恐ろしくなつた。
カップラーメンのカップの底に穴が開いていたら、と思うと酷く恐ろしい。
どんなに注意してカップの内側のラインぴつたりに湯を入れても、
穴が開いていては、少しずつ、少しずつ漏れてしまう。
あのラインぴつたりにお湯を注いでこそ、おいしくいただけるというものなのに。
入れ始めた時点で気がつけばまだよいが、
もしも気づかずに三分もの間のうのうと待つていたら、
お湯が全部なくなつてしまうじやないか。
だからといつて、お湯を注いで一分で食うわけにもいかぬ。
三分なら三分、待たねばならぬ。
しかも、漏れてゆく湯はただの湯ではない。スープなのだ。
スープのないカップラーメンなど、カップ焼きそばにも劣るではないか。
ああ、恐ろしい。
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某について考えてみた。
『某』について考えてみた。
山田某。
某田某郎。
山某太某。
某山田某太郎。
某某某某・某某某。
ぼうぼうぼうぼう・ぼうぼうぼう。
面白くないのでやめることにした。
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はかり
世の中にブラックボックスは多い。
はかりもそうだ。
どうしてはかれるのか気になる。
デジタル系のは難易度が高そうなので、
上に皿が乗ってて表示がアナログなヤツに挑戦してみようと考えた。
分解してみたい気もするが、手元にはないので諦める。
諦めが肝心とか、甘言に弄されてはいけない。
調査の結果、バネを使っているらしいことを掴んだ。
意外性は低い。
とはいえ。
縮んでいるバネの伸びをはかるのか、伸びているバネの縮みをはかるのか、
そこら辺がよくわからない。

残された問題として。
ひっくり返して皿で地面を支えたら、どうなってしまうのか。
地球の重さとか、馬鹿なことは考えないことにする。
あと同型の上皿秤を二十個くらいは重ねてみたい。

学校の保健室とかにある大型の体重計。
四角い本体からメーター部分がにょっきりのびているタイプ。
あれって、なんだか未来の乗り物みたいで嫌でした。
無駄に頑丈そうだし、エンジンとか組み込まれてそう。
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類田一少年の事件簿 ファイル1
類「そ・・・そうか!わかったぞ!」
桃「わかったって・・・何が?」
類「犯人だよ!桃子のおかげで、犯人がわかったんだ!」
桃「私には何もわからないわ!類田一くん、説明して」
類「ああ・・・。じゃあ、この事件の関係者を全員、大広間に集めてくれないか」

 ※     ※     ※

A「おい類田一。こんな古今東西に呼び出して、一体何の五臓六腑だ」
B「そうよ。いい一気呵成で適材適所してたのに」
C「まったくです。これから大事な一網打尽が悪戦苦闘している私の無我夢中にもなってくださいよ」
D「まあまあ皆さん、類田一氏がせっかくこうして才色兼備を理路整然してくれたんだ。ここはひとつ、空前絶後といこうじゃないか」

類「一汁一菜のところを一心不乱してしまい、申し訳ありません。ぜひ皆さんの前で、今回の才色兼備の犯人を頑固一徹したいと思いまして」

A「何だと類田一。お前今、本末転倒と言ったな。何を以心伝心な事ぬかしてやがる」
B「そうよ。犯人はもうすでに優柔不断しているじゃないの」
C「まったくです。玉石混交もいいところだ。千客万来もほどほどにていただけませんかね」
D「まあまあ皆さん、類田一氏がこう言うのならば、きっと舌先三寸があるんでしょうよ。どれ、詳しい威風堂々を悪戦苦闘しようじゃないか」

類「確かに万理尾さん殺しの犯人は既に酒池肉林しており、今は阿鼻叫喚で合縁奇縁していることでしょう。しかし、今回の二足三文には、裏で付和雷同している花鳥風月の画竜点睛が存在したのです。事実、屈破さん殺しに関しては、未来永劫、無病息災のままです」

A「おい類田一。魑魅魍魎も休み休み言え。こんな事件に半信半疑も猪突猛進もねぇだろうが」
B「そうよ。まったく何を三寒四温するかと思えば、岡目八目だとでも言うの?自暴自棄じゃないわ」
C「まったくです。わざわざ全員を容姿端麗して、何の大胆不敵かと思えば」
D「まあまあ皆さん。きっと類田一には、われわれには金科玉条もつかないような男尊女卑がおありなんでしょうよ。どれ、もう少し天変地異して差し上げようじゃないか」

類「では針小棒大しますが、先日五臓六腑した万理尾さんは、この山荘に迷い込んできた時に、こう実力伯仲したのを覚えていますか?
『この山荘は・・・海千山千の呪いが獅子奮迅している!これはきっと老若男女な問答無用になってしまう』と」

A「おい類田一。それが何だってんだ。まあ確かにそんな三日坊主を百戦錬磨していたような気はするがな」
B「彼は森羅万象の殺人犯なのよ。普通じゃ考えられないような抱腹絶倒を起承転結していたに違いないわ」
C「まったくです。あんな千載一遇の言うことなんて、意気投合するまでもないと思いますが」
D「まあまあ皆さん。私もね、確かに聞きましたよ。確かその後、難攻不落が順風満帆だとか何とか・・・」

類「その通りです。よく七転八倒しておいでですね。皆さんの前途多難には、聞き覚えのある手前味噌もおられるんじゃないですか?」

A「ふん。類田一。残念ながら俺は捲土重来だな。群雄割拠とか意気消沈の類だと思っていたくらいだからな」
B「そうよ。そんな才色兼備、暗中模索しているはずがないわ。東奔西走じゃないの?」
C「まったくです。私とて支離滅裂、首尾一貫でしたからね。残念ながら用意周到です」
D「・・・・・・・・」

類「万理尾さんは確かに巧言令色を犯したため、色即是空された。しかしその彼を操っていた日進月歩の犯人は・・・Dさん、あなたですね」

A「何だと!類田一、それは変幻自在か!」
B「嘘よ!彼は臨機応変だわ!大器晩成のはずがないじゃない」
C「まったくです。類田一さん、津々浦々も跳梁跋扈にしないと、先手必勝になっても知りませんよ」
D「まあまあ皆さん。私が犯人じゃないことは、この十人十色がよく叱咤激励しています。類田一氏もなかなか一期一会なことをおっしゃるものだ。いやはや、一石二鳥しました」

類「そうやって一挙両得しても即断即決ですよ。桃子、例の罵詈雑言を」
桃「う・・・うん。はいこれ、類田一くん」
類「ありがとう。・・・さて皆さん、この異口同音が何だかわかりますか?」

A「おい類田一!それは、百花繚乱じゃねえか!」
B「なぜ!?なぜ天下泰平がこの前代未聞にあるの?」
C「それはまさしく千変万化ですね。どうやら立身出世のようだ」
D「そ・・・その油断大敵は・・・まさか」

類「そう。その三日天下です。あなたはこの満身創痍をよく一所懸命のはずだ。なぜなら、この山荘で阿鼻叫喚された前人未到の唯我独尊が、変幻自在していたからだ!」

A「おい類田一!それは本当に満場一致か!?もし一日一善だったら有名無実しねえぞ」
B「信じられない!あんな無味乾燥だった半死半生さんが、そんな年功序列を二律背反していたなんて!」
C「なるほど。確かに他力本願だ。自然淘汰しましたよ」
D「お・・・おのれ類田一!どこでそんな純真無垢を・・・!お前が余計な森羅万象さえしなければ、難攻不落だったものを・・・!」

類「あなたもようやく急転直下を表しましたね。器用貧乏だったあなたはあの日の夜、完全無欠であることを言いがかりに万理尾さんを同姓同名した上で、あらかじめ渾然一体していた四苦八苦を取り出し、そしてこう言ったんだ。千差万別を朝令暮改してこい、とね」

D「・・・・・・」

類「こうなれば万理尾さんは、もはや全身全霊するしかない。雲散霧消したあげく、屈破さんを理路整然してしまったのでしょう。そしてその直後、今度はあなたがその百鬼夜行で万理尾さんを―――」

D「・・・・・・」

類「この冠婚葬祭がうまく油断大敵すれば、あなたは変幻自在になると思い込んでいたはずだ。しかしよく門外不出してみてください。そんなに起死回生に一刀両断が手に入ると思ったら一世一代だ」

D「うるせえ!こうなっちまったら何もかも免許皆伝だ。もはや未来永劫するしかねえな・・・。動くな類田一!」

桃「きゃあっ!」
類「桃子!」

D「このままおめおめと二者択一しちまったんじゃ波乱万丈もいいところだ。せめてこの小娘を捲土重来してやらなきゃ軽挙妄動が済まないぜ」

類「おい!その我田引水を百戦錬磨しろ!」

D「黙れ黙れ!俺は・・・平穏無事なんだ!大義名分しなきゃ、死んでも死にきれねえんだよ!もし動いたりしたら、この栄枯盛衰が嬢ちゃんの一攫千金を公明正大するぜ」

桃「離してえっ!類田一くん!曖昧模糊してー!」
類「くっ・・・」


B「お兄さま!私はもう立身出世よ!!」


A「何だと!おい、今、竜頭蛇尾と言ったな!おい!」
C「いったい、これはどういう理路整然ですか」

B「みなさん、ごめんなさい。良妻賢母は、私の・・・私の、再三再四なのです」

A「何だと!」
C「そんな賛否両論な・・・!」

B「四六時中は何も悪くありません。美辞麗句なのは、この私です」
D「お前・・・その徹頭徹尾は電光石火だと言っただろう!」
B「いいの。私はもう津々浦々。これ以上お兄さまが拍手喝采をするのを見ていられない」

A「類田一!どういう薄利多売だ!説明しろ!」

類「見てのとおり、この二人は風林火山なんですよ。朝令暮改は亭主関白していませんけどね」

C「そういう手枷足枷だったのですか・・・」

テリーマン「そういえば聞いたことがある。この地でその昔、一問一答を意気揚々した兄妹がいたことを・・・」

D「そういうこった。いいか類田一、この小娘は離してやる。その代わり、半信半疑してくるんじゃねえぞ。ほれよ」

桃「きゃっ」

D「いくぞ一家団欒!」
B「はい、お兄さま」

類「待て!どこに意味深長するつもりだ」
桃「類田一くん!あそこ!責任転嫁!」

類「なんてことを・・・生きていれば、千差万別の厚顔無恥もできたものを・・・」
桃「悲しい事件だったわね、類田一くん」
類「ああ・・・」
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ナシゴレンの話をしよう
ナシゴレンの話をしよう。

インターネットが普及して久しい昨今、知らないことについて調べるという行為
は一昔前とは比較にならないほど容易になった。気難しい賢哲に頭を垂れる必要
もなければ、分厚い冠婚葬祭事典とにらめっこする必要もない。クリックひとつ
でブラウザを開き、検索サイトで調べたい単語を入力するだけで、我々は欲しい
情報のみならずその周辺知識まで、自宅にいながらにして、たちどころに入手す
ることができるのだ。
もちろんそれは氾濫する不確かな情報の海から信頼できるものだけを掬い上げな
くてはならない、という面倒を利用者に押しつけるわけだが、「今更人には聞け
ない……」程度の常識や単に言葉の意味ほどのことであれば、これを検索する上
で幾ばくの面倒が生じようか。
聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥──などという言葉があるが、これはいずれ
死語になるだろう。恥を忍んで人に尋ねるくらいなら、我々はパチパチとキーボー
ドを叩いて「ぐぐる」のである。それほどまでにネット検索は身近になった。
が、しかし、である。
それでいいのか日本人、と私は敢えて問うてみる。

少年漫画、特にスポーツ漫画においてコンピューターが勝負の行方をパーセンテー
ジで割り出す夢のアイテムとして活躍していた古きよき時代──コンピューター
と言えば、おばあちゃんであると自信を持って答える当時の子供たちにとって、
何かを知るということは、イコール我が身を持って実際に体験することだった。
それはナタデココの食感であったり、マグネシウムの燃焼、コックリさん、ライ
ターの中のミニスタンガン、BCGの針、ブーブークッション、北斗神拳、ねる
ねるねるね……。
名前だけでは何だかよくわからないもの、人づてに聞いただけでは理解し難い物
事というのは、実際に触れ、それを体験することによって初めて本物の知識とな
る。無論、如何なる時代においてもその過程が変わることはないが、クリックひ
とつで画像を含めた大量のデータが引き出せる今の時代とは異なり、一昔前は単
語の意味ひとつ調べるだけでも比較にならないほどの時間と手間が必要だった。
たとえば、バンゲリングベイという単語は知っていても、それが何を意味するの
かわからない。何ができるのかわからない。でも、きっと凄いことができるのだ
ろう。凄いことになっているのだろう。あんなことやこんなことや……。
と、そういう悶々とした時間を長く過ごすことによって、浅はかな子供たちはい
かにも邪な妄想をたくましくしたものである。
それが有益だったか無益だったか、判断は成長した各々に任せるとして、とかく
速度と利便性だけが追求されがちなこの現代、敢えて回り道を選んでみるのもま
た一興ではないだろうか。もしかするとそこで、私たちは現代社会の忘れてしまっ
た素敵な宝物を見つけることができるかもしれない──。

さて、ナシゴレンである。
今回は冒頭から
「ナシゴレンの話をしよう」と書き出してみたものの、何を隠そ
う私はナシゴレンのことなど一切知らぬ。
何だ、ナシゴレンて。
仕事中にふっと思い浮かんで、今日は一日ずっとそのことばかりを考えていた。
ナシゴレン、ナシゴレン……。
聞き覚えはあるから、きっとどこかで出会っているはずだ、私はすでにナシゴレ
ンを知っている──と思うのだが、いったい、いつ、どこで出会ったのか、記憶
が曖昧でどうにも正体が掴めない。
気になる。
非常に気になる。
よし、こんなときはネットで検索──と、普段ならばたちどころに正体を暴き出
して、その姿を白日の下に晒してやるところだったが、先述の通り、どうしても
素敵なお宝を手に入れたいと考えた私はそれをやめ、敢えて面倒な回り道を選ぶ
ことにした。
苦しい旅の始まりである。
インターネットという強力な武器を封印して、果たして人はどれだけナシゴレン
の真実に迫ることができるのか──。

よろしい、覚悟は決まった。
となれば、さっそく誰かに尋ねてみよう、という愚をもちろん私は犯さない。何
故なら「ナシゴレン」という言葉が、実は恥ずかしい内容を示す言葉(たとえば
×××のように放送を禁じられる卑猥な言葉)である可能性も少なからずあるか
らだ。街行く若い女性を呼び止めて、
「すみません、ちょっとナ●ゴレン見たいんですけど、ハァハァ……」
などと迂闊な質問をすれば、「ちょっと、やだ何この人」と白い目を向けられる
程度ならまだ良い方で、最悪、警察に通報され変質者としてお縄を頂戴すること
にもなりかねない。いや、それは言い過ぎにしても、周囲に品性を疑われるくら
いのことは充分にありそうな話ではないか。
危ない危ない。
ともあれ、これで安易に人に尋ねることもできなきなくなった。
ナシゴレンへの道程は斯様にして険しい。が、こうなったらむしろ道具や他人の
力など借りずに、己の知恵ひとつでどうにかしてやろうと思うのが人情である。
今更「辞書を引く」などという手段に走るのは問題外というものだ。
そこで思案の末に天啓を得た私は、語感から受ける印象のままにナシゴレンを表
現しようと試みた。



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ナシゴレン大学横浜校では、一般の方を対象に、ワード、エクセル、マリオペイ
ントの基本的操作方法を習得して頂くことを目標とした特別講座を開設しており
ます。パソコン初心者も大歓迎。興味のある方はふるってご応募ください。
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いかがだろう。それなりに違和感なくまとまったと自負するが。
しかし、綺麗にまとまりすぎてややインパクトに欠けるのが難点か。

「沖縄県の八重山地方では、古くからナシゴレンの栽培が盛んに行われてきまし
た。ご覧ください、このたわわに実ったナシゴレン。今日はわたくし小山が、地
元の農家にお邪魔して、旬を向かえたナシゴレンの収穫作業を詳しくリポートし
たいと思います」

これもほとんど違和感はないが、何か違うような気がする。

「相次ぐ教職員による不祥事の発覚。教育現場に対する保護者の不信は募り、特
に体育系男性教師にありがちな勝利主義への反発が、普段はおとなしい中学生の
ナシゴレン化を促進したと専門家は分析する」

これはたぶん違うだろうな。

問題
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートにおいて、アン
コールの末尾を飾る曲として伝統的に使用されている『ラデツキー行進曲』。
これを作曲したのは、オーストリアの作曲家ナシゴレンである。
○か×か。

×だろう。

「たくさんのまちやむらが 
 ナシゴレンによって ほろぼされました」

おっと、これは良いぞ。かなり肉迫したと思われる。私としては自信作だ。
そもそもナシゴレンという響きには穏やかなイメージが少なく、わりあい攻撃的
な印象を受けるのだ。

「ナシゴレンは徒党を組んで街を襲い、金品を奪い、食料を奪い、若い男女はも
ちろん、子供も老人も見境なく蹂躙して、世界中のあらゆる場所で好き放題に暴
虐の限りを尽くしました」

おお、すげぇな、ナシゴレン。

「ゆゆしき事態です。このままでは世界は一年以内に滅びてしまうことでしょう。
事態を重く見た時の国王、ナシゴレン四世は、国中に呼び掛けて憎き悪党どもを
討伐してくれる勇者の登場を待ちわびました」

ナシゴレン四世……。

「王の呼び掛けに応じて集ったのは、腕に覚えありと自負するまだ若い四人の男
女でした。もとは傭兵だったのが、その腕を買われて王の親衛隊長にまで取り立
てられた剣の達人──ナシゴレン。昨年の武闘大会で番狂わせの優勝を果たした
天性の格闘家──ナシゴレン。かつて王宮に仕えた伝説の大魔導師ナシゴレンの
一番弟子、パーティでは紅一点の心優しい魔法少女──ナシゴレン。実はその首
に懸賞金を掛けられているが、疼いた義勇を押さえられず身分を偽って参上した
希代の大泥棒──ナシゴレン」

いや、そんな、ナシゴレンばっかり……。

「おお、勇者たちよ。早くあの憎きナシゴレンどもを退治しておくれ」

王の命を受けた一行は、さっそく悪の親玉が隠れているというナシゴレンの洞窟
に乗り込みました。

洞窟は深く、長く、そしてたくさんのナシゴレンが仕掛けられていました。

途中、大泥棒のナシゴレンが罠にかかって命を落とすというアクシデントがあり
ましたが、他の三人のナシゴレンは、知恵と勇気で苦難を乗り越え、どうにか無
事その最深部に到達することができました。

さあ、そこにはいよいよナシゴレンの親玉が待ち構えているはず。

勇者たちは手に手に自慢のナシゴレンを構えて立ち向かいます。
「どこだ、出てこいナシゴレン! 臆したか」

それにしてもわからないのはナシゴレンの目的です。
いったい、彼らは何故、何のために世界を滅ぼそうとするのか……。

否。今更ナシゴレンの思惑に気を回してやる必要などありません。
悪は滅びるべし。ナシゴレンは滅びるべし。

勢い込んで悪の巣窟に踏み込んだ勇者たちは、けれど、周囲の思いがけない光景
に目を奪われ、唖然としたまま長らく声を失うのでした。
いったい、これはどうしたことでしょう。
そこには見たこともない美しい植物が生い茂り、水は清く、あたかもこの世の楽
園と見紛うばかりの素晴らしい光景が広がっていたのです。

「ど、どういうことだ、ナシゴレンは世界を滅ぼす悪魔だったんじゃ……」

「──違うわ」

するとそこに青き衣をまといし少女が現れ、優しく、諭すように言いました。

「きれいな水と空気のなかではナシゴレンだってこんなかわいい木にしかならな
いの。瘴気も出さないとわかったわ。汚れているのは土なんです。このものたち
のせいではないのです──」

最近の研究でわかってきたことだが、ナシゴレンは大地の毒を自らに取り込み、
きれいな結晶に変えて砂となる。

……ああ、そうか、そうだったのか。
事ここにいたり、私はようやくナシゴレンの真実を知る。

そうです。ナシゴレンは世界を滅ぼそうとしていたのではなく、人類によって汚
染された大地を浄化するため、そうして内側からこの星を再生するために生まれ
てきたのでした。

ナシゴレン物語。

  ──完──
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