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2014/11/8 更新してないねぇー ねたはあるんだけどね
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濃艶の宝玉
八宝菜というのは、なかなか悩ましい食べ物である。

これを食べるとき、私の箸はついつい迷いに揺らいでしまう。
きらきらと艶のある餡に包まれたサヤエンドウの緑。
ぷりぷりとはち切れんばかりのエビの身の赤さと、優雅にたゆたう白菜の白。
ずっしりと構えた椎茸の黒。
その鮮やかな彩りに混じって、思わず歯ごたえの楽しさを想像してしまうタケノコの極めの細やかさ、高貴な婦人の召し物のごときキクラゲのなまめかしさ……。
本当に、見ているだけでも幸せになれる八宝菜だが、その頂点に君臨し、芸術的ともいえる食材の調和を保っている要は、たった一個のウズラの卵だ。
ウズラの卵。
この小さな宝石こそが、目下、私の頭を悩ませている。

ああ──。
いったい何故、八宝菜にはウズラの卵が一個しか入っていないのだろう。
ウズラの卵が一個しか入っていないばかりに、私はそれを口に運ぶのをためらってしまう。ためらってためらって、いつしかそれを貴重な宝物のように思い込んで、けっきょく最後にはウズラの卵だけが残ってしまうのだ。
色彩を失った餡の中に、ポツンと取り残されたウズラの卵。
取り巻きを失ってなお、頂点に君臨しているような気でいる裸の王様。

まったく、見るに堪えない。
ウズラの卵だけが残ったその皿の惨めさ、浅ましさといったら、まるきり玩具を独り占めしてニタニタほくそ笑んでいるガキ大将と同質のものだ。実に大人げない。貧乏くさくて、みっともなくて、情けなくなる。
食を楽しんでいただけの私が、どうしてそんな気分を味わわなくてはならないのか。それもこれも、八宝菜にウズラの卵が一個しか入っていないから……。

けれどもそれこそが八宝菜なのだ。一皿の八宝菜に無数のウズラの卵が乗っている状況を想像してみればよく分かる。
その皿の如何に下品であることか。

やはり、八宝菜にウズラの卵はひとつでいい。
それがもっとも美しいカタチだからだ。
問題はその一個のウズラの卵を、どのタイミングで食すかということ。
これが実に悩ましい。
最後まで残すのは大人げないといって、真っ先に食べてしまうのもいかがなものか。それでは何だか、ウズラの卵が好きで好きで堪らず、目にした途端に手を伸ばしてしまう、まったく我慢の利かない人のように思える。そうまで好きではない私としては、かなり不本意な思われようだ。
また一方、私見ではあるのだが、八宝菜がウズラの卵を失うということは、八宝菜が八宝菜でなくなることを意味している。オーストラリアからコアラが失われるようなもので、いずれ失われるものであっても、早々に手を下すのは惜しまれよう。
するとやはり最後まで残しておくべきなのか?

余談だが、好きなものを最後まで残しておくのは長男長女、先に食べてしまうのは弟妹という俗説を聞いたことがある。
弟や妹が好きなものを残しておくと、兄や姉に横取りされてしまうから、防御策として先に食べてしまうのだそうだ。
なるほど、一理ある。
ウズラの卵についても同じことが言えそうだ。
八宝菜の中のウズラの卵には、何故か不思議な魅力がある。強烈な存在感とでもいうのか、好き嫌いとは関係なく、ついつい有り難がって特別扱いしてしまう。
その理由は決して「一個しか入っていないから」というのではないだろう。もし仮にシイタケが一切れしか入っていない八宝菜があっても、そうとは気づかずに完食してしまう可能性が高いからだ。
このあたりにシイタケとウズラの卵との格の違いが垣間見られる。
ふと思ったのだが、「ウズラの卵よりシイタケの方が好き」という長男がいたら、どちらを最後まで残すだろう。
おそらくウズラの卵ではあるまいか。
ウズラの卵にはそれだけの魅力がある。
さして値の張るものでもないのに、「誰かに奪われてしまうのではないか」という危機感を弟たちに抱かせるのであれば、ウズラの卵とは大した代物だ。

それはさておき。
いったいいつ、ウズラの卵を食べるのが正しいのか。
現在、私は中庸の策をとっている。つまり、最初でも最後でもなく、程よいところでペロリと頂く。この方法ならば長男と見抜かれる心配もないし、弟と間違われるおそれもない。がっついてもいないし、女々しくもない。
ただこのとき重要なのは、「如何にさり気なく食べられるか」という点だ。
ウズラの卵を意識してわざわざ中頃に食べている、と勘づかれてしまっては逆にみっともない。
「やだ、あの人。ウズラの卵なんかに拘って、食べるタイミングを見計らっているわよ」などと噂されては赤面の極致だ。
さらにまた、この方法にはひとつ欠点がある。
最初に食べてしまう場合も同様だが、ウズラの卵を食べてしまった時点で、何となくその後の楽しみがなくなるのだ。いわば消化試合のようなもので、張り合いがない。ただ皿を空にするためだけに食べているような錯覚すら覚える。
これまで様々なタイミングでウズラの卵を食べてみたが、この問題だけはどうにもならなかった。打開策は最後まで残すという方法だけで、結局一周して戻ってしまった格好である。

斯様に八宝菜は悩ましい。
もちろんこれはウズラの卵に限った話ではなくて、エビグラタンのエビであったり、ショートケーキのイチゴであったり、昔のジャンプのドラゴンボールであったりする。
突き詰めれば、楽しみを残しておくか、早々にむさぼるか、そういう問題なのだが、大人になると様々な計算が働いて、自由奔放に振る舞うことが難しくなるのである。

この問題は永劫、人々を悩ませるであろう。
悩める八宝菜よ、永遠なれ。

と以前の私は考えていた。
が、しかし。
昨今ついに思い至った。
この問題を解決するたったひとつの方法──。
世の中にはひとつだけ、まったく順番に拘らずに食べられる料理がある。

串焼きだ。串揚げでもいい。

これはもう、ウズラの卵だろうが豚肉だろうが鶏肉だろうが、ネギだろうがナスだろうがアスパラだろうが、問答無用に刺さっている。刺さっているから上から順に食べるしかない。
何という素晴らしい発想! まさにアイディア料理!
串焼きの剛直さ、猛々しさを思うと、八宝菜のウズラごときで悩ましくなっていた自分が情けなくなる。
きっと串焼きを考案した人も、私と同じように悩んだ末にようやく辿り着いた答えだったのであろう。これ以外にない、という並々ならぬ切実さが感じられる。

串揚げ万歳! 串焼き万歳!

故に世の中の料理はすべからく串をもって刺すべきである。
故にドラゴンボールは串をもって刺すべきである。

串刺し万歳! 串刺し万歳!

問題は、気を利かせて串を抜きたがる輩がいるのをどう処するかということだ。
comments(3)
うんうん
遂に気が付いたようだね
| スネ夫 | 2009/11/09 11:38 AM |
10年以上前からの悩み事です
| 類二 | 2009/11/25 12:25 AM |
I in truth in the vein of your writing style, safe in rank, thanks for putting up . “Silence is added musical than some song.” by Christina G. Rossetti.
| www.oakleyblackfridaydeals.com | 2014/11/24 12:11 PM |










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