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2014/11/8 更新してないねぇー ねたはあるんだけどね
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はなくそのひみつ。
職場のトイレにこんな張り紙があります。


『トイレはきれいに使いましょう。

        鼻糞の貼りつけ禁止』


この張り紙、今はすっかり馴染んでしまって見向きもしませんが、
以前はずいぶんと気になりました。
というのも、

「トイレはきれいに使いましょう」は、いい。だが、
「鼻糞の貼りつけ禁止」とは何だ?

わかりません。
どうしてわざわざ禁止する必要があるのでしょう。
禁止するまでもなく「きれいに使いましょう」の一文に、
その事項は含まれているはず。
そんなの言われるまでもなく、常識ですよね。
なのに、この張り紙ときたら……。

正直、屈辱です。
この張り紙は、最初から私がそのような愚挙に及ぶものとみなしています。
みなした上で、そのふしだらな行為を「禁止」しているのです。
たった一枚の紙切れに、私は、そのような愚劣な人間であると決めつけられたこ
とが不本意でなりません。

性悪説とは荀子の性説で、「人間の本性は悪である」とするものです。
故に、礼法による秩序維持が重んじられるわけですが、
この張り紙も同じ発想に基づいていると考えられます。
つまり、

『人間は放っておくと「鼻○そ」を貼りつける生き物である』
故に張り紙をもってこれを固くを禁じ、トイレの秩序を維持しなくてはならない。
そうしなければ、たちまちトイレは「鼻○そ」まみれになってしまう。

なるほど、一理はあるようです。
如何に御不浄とはいえ、まみれるのは良くないです。
しかし──。
私もずいぶん長いこと生きてきましたが、こんな侮辱は初めてです。

ところで、ここで問題にしたいのは私の受けた辱めそれ自体ではなく、何故この
ような張り紙が作製され、不当に人の尊厳が貶められるような事態に至ったか、
また、私たちは今後、如何にして損なわれた人間性を取り戻すべきか、
という二点の追求が目的となります。
そのためにはまず、ことの発端をつまびらかにする必要があるでしょう。

何故、「鼻○そ」の貼りつけは禁止されたのか?

初めてこの張り紙を目にしたとき、私は激しい衝撃を覚えたものです。
少し大げさかもしれませんが、「人間の本性は悪である」と実感させられました。
というのも、わざわざ禁止しているのは、過去に実例があったからであり、この
トイレには、かつて「鼻○そ」にまみれた事実があったのです。
むろん、私は直接その過去を見知っているわけではありませんし、同僚から聞か
されたことすらありません。しかし──

おお、神よ!!
人間とは生まれながらにして「鼻○そ」を貼りつけたがる生き物なのか!?

これは絶望です。
自分は決してそのような愚劣な人間ではない、と固く信じていても、過去の事実
が人間という種の本性と、その限界を示しています。
今は清廉な肉体であっても、遠い将来のことまではわからない。些細なことが契
機となって、その邪悪な本性を顕さないとも限らない。かつてその罪を犯した人
物が、その日より以前は無垢で潔白な人間だったなら、かくいう私とて、いつか
そのような劣情に身を委ねてしまう日が来るのではあるまいか──。

ああ、人間とはなんと醜悪な生き物であるか。

私はひどく憂鬱でした。
絶望の淵に立たされ、生きる価値すら見失う寸前でした。
なんてことだろう。「鼻○そ」を貼りつけたがるばかりが人間の性だなんて。
エジソンもシューベルトもトルストイも、人間て、そんなものなのかな……。
……しかし、待てよ、とも思うのです。
本当にそうでしょうか。
私は疑問し、ふと顔を起こして張り紙の周囲を確かめました。
するとどうでしょう。
壁は輝くように白く、落書きはおろか、染みのひとつも見当たらないではありま
せんか。
それは大変にきれいなもので、いわんや、「鼻○そ」をや、です。

これは微かな希望でした。いえ、確かな光明です。
過去はどうあれ、たった今、このトイレは清浄ではないか!
その思いが私を少し勇気づけました。
思い返してみれば、このトイレはいつだってきれいだったことに気がつきます。
それは張り紙によって人々が理性と叡智を取り戻した証。
「鼻○そ」を貼りつけたいという劣情から解放された、まったく新しい人間性の
獲得だったといえるでしょう。
いや。あるいはそれこそ、元来人の持つ美しさだったのかもしれませんね。

いずれにせよ、この張り紙はすでに用を為さない。
私はそう思いました。何故なら、人々はすでに自らの意志によって、その尊厳を
取り戻しているからです。
もう「鼻○そ」を貼りつけたりしない。絶対にしない!
このトイレの美しさが、如実にそれを物語っていたのです。

そう思えた瞬間、私は誠に幸福でした。

ところが、悪夢は唐突にやって来ました。
忘れもしません。数ヶ月前、週明けの月曜日のことです。
私はそのトイレで、あり得ない光景を目の当たりにし、「ぎゃあ」と思わず絶叫
せずにはいられませんでした。

それはまるきり、この世のものとは思えぬ忌むべき光景です。

貼りつけてある。
それも、一粒や二粒ではなく。

いったい、一人の人間からこれほどの量が掘り出せるものなのか? と疑いたく
なるほど、徹底的にほじくり返したような有様です。
まさに「尋常ではない」という表現がぴったり。
視覚的に喩えるならそれは、夜空に瞬く星々のすべてが、死兆星の如き禍星と化
した絶望的な光景です。

最初は唖然と目を瞠るばかりの私でしたが、
これでもか、これでもか、といった具合にほじくりほじくり、貼りつけている人
間の姿を思い浮かべると、次第に恐怖を覚えました。
人は理解を超えた存在に畏怖を覚えるものです。
そこには憎悪にすら似た、強固な、鉄のような意志が感じられ、私はたちまちそ
の場から逃げ出したくなりました。
少なくとも、いたずらや遊び半分でここまではできないでしょう。
いったい、いかなる激烈な情念が、その人物をこれほどまで凄惨な行いに駆り立
てたのか。過酷な採掘作業にその人物の鼻の粘膜は擦り切れ、今も鮮血が滲み出
しているに違いないし、見れば壁一面に貼りつけられた、あの無数の禍星にも、
べったりと滴るような赤黒い染みが……。

いや、それはさすがありませんが。
もちろん少し冷静に考えれば、これが数日をかけて為された仕事だったことがわ
かります。おそらく土日を利用したのでしょう。あるいは、複数人による犯行で
あった可能性も考えられますが、ともかく、それくらい無茶苦茶な量の禍星でし
た。

なるほど。
ひたすらに心を鎮め、冷静に現状を把握した私は、そのときようやく事の次第を
悟りました。

つまり、「これは戦いなのだ」と。

そうです。
思えば、わざわざ張り紙をしてまで「貼りつけ」を禁止しているのは、それが常
習的な行為だったからに他なりません。
一度注意したくらいで収まる騒ぎなら、そうまで躍起にはなりません。
言い忘れましたが、問題の禁止事項は後から書き加えられたものなのです。

貼りつける者たちは、最初は面白半分で行為に及んだのかもしれません。しかし、
それが張り紙によって禁止されたことによって、不毛なる戦いが始まってしまいました。
傲岸な張り紙に対し、貼りつける者たちはきっと思ったことでしょう。
「何を偉そうに」と。
するとどうなるか。次に来るのは聖戦とも言うべき愚かな時代の幕開けです。
抑圧されるから抗う。抗うからますます抑圧する。そんなイタチごっこ。
やがて本末は転倒し、手段は目的となり、彼らは「貼りつけること」によって、
神の如き張り紙にささやかなる反抗を試み続ける結果に至ったのです。
そこにはもはや「鼻○そ」を貼りつける喜びなど少しもない。
彼らは知らずその喜びを失ってしまった。
そうまでして貼りつけ続ける意志の根底にあるのは、もはや「意地」としか思わ
れません。

しかし、そうなると、この禍星を貼りつける者たちを単に愚劣な人間と決めつけ
ることはできないようにも思います。
彼らは自らの行為が愚劣であると知りながら、なお、敢えてその愚行を続けてい
るのです。立派だとは言えないにしても、ただ面白がって貼りつけている輩とで
は雲泥の差がある。そもそも志が違うのです。

法で人を束縛し、禁じることによってのみ統制を図ろうとする神の如き張り紙。
それに対し、一途なまでに同じ反抗を繰り返す小さき人間。
両者の戦いは永劫に続くでしょう。
愚直な人間は、けれどいつだって、そうやって成長してきたのではなかったですか。
ならば、私に言えることはたったひとつしかありません。
そうです。

「トイレはきれいに使いましょう」
comments(1)
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| Molly | 2014/07/05 6:55 PM |










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