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2014/11/8 更新してないねぇー ねたはあるんだけどね
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吾輩は (下)
恐怖というのはどんなときでもつきまとう。
まるで影のように、いつでも、どこにでも、ついて回る。
真夏の炎天下、白くまぶしい砂浜で恋人と戯れていようとも、影が消えることはない。
太陽がまぶしく輝けば輝くほど、むしろ影はその濃さを増していく。
影を恐れて闇に溶け込もうとすれば、恐怖はますます大きくなるばかりだ。
ところが恐怖というものは、気にさえしなければどうということはない。
どこにでもついて回る自分自身の影を常に恐れる者はいない。
決して離れることのないこの気味悪い暗闇は、くどいほどに日常に入り込み、ついには人の目からその本質を隠してしまった。
人々は影の存在を忘れてしまったかのように、日々安穏と過ごしている。
ときどき影が妙に気になることがある。
普段気にもしなかった影が、突如恐怖を呼び覚ます。
そういうとき影は、見事に溶け込んでいた日常からすっかり分離して、今まで隠していた本性をさらけ出すようだ。
出し惜しみする気配もない。
影の恐ろしさに気がつくと、人は瞼を閉じてさらなる暗闇で影を消し去ろうとする。
それでも一度本性を顕した影はなかなか立ち去ろうとはしない。
恐る恐る瞼を開けてみると、そこには更に濃度を増した影が待ちかまえている。
思うに恐怖を孕んだ影というのは、人の心が照らし出した恐怖の一面とでもいうべきものではなかろうか。
影の存在すら忘れている日常では、影に恐怖を感じることは少しもないのに、たとえ僅かでも恐怖を感じた心で影に臨めば、影はその恐怖を増大して映し出すのだ。
だから影は、敢えて気にしないのがよい。
恐怖は常につきまとう影のようなものだといった。
影をいちいち気にして生きている者がいないように、恐怖を常に感じる者もまたいない。
恐怖は常につきまとっているのだろうが、人はそれを忘れることができる。
だが、それは曇りの日の影に等しい。
雲が太陽を隠してしまうと、影は濃度を薄くする。
あたりの景色に溶け込んですっかり消えてしまったかのうように思わせる。
しかし影は消えてはいない。
雲の隙間から太陽が顔を出せば、影はたちまち姿を現す。
恐怖というのもこれと同様で、恐怖を照らし出すものが姿を隠せば、恐怖もまたあたりに溶け込んでしまうのだろう。
すると人は恐怖を忘れたかのように振る舞うことができる。
だからときどき恐怖を照らし出すものが姿を現すと、人は思い出したように恐怖に震えるのだ。
それでは恐怖を照らし出しているものとは一体何だ?
人の感情を照らし出すのは人の心に決まっている。
そして大抵の場合、恐怖を照らし出しているのは己の弱い心なのだ。
弱い心こそが恐怖を照らし出すとはなんと皮肉なことか。
影を産み出す太陽と対を成すものが、恐怖を産み出す弱い心とは!!

プリズニャンになった今でもそんなことを考えるとは思わなかった。
昼寝から覚めると窓から射し込む光もすっかり少なくなって、部屋の中は薄暗くなっていた。
この部屋は東向きの窓が一つしかないから、日が差すのは朝のうちだけだ。
薄暗いこの部屋が、影と恐怖がどうのこうのということを考えさせたのかもしれない。
結論からいうと、プリズニャンになったため、会社は無断欠勤したことになる。

ついつい、いつもの癖で時計を探してしまった。
プリズニャンになったのだから、時間なんか気にしなければいいのに。
仕事のことなんか気にしなければいいのに。
黒い時計が床に置いてあった。
針を見ると2時12分。後10分で2時22分だ。
かれこれ8時間近く眠ったことになる。
寝過ぎだろう。
昨日は早く眠ったはずなのにこんなに昼寝をしてしまうとは。
もしかしたらプリズニャンの体質なのかもしれない。
プリズニャンはどうか知らないが、猫というのは夜行性で昼間は体が動かない、という情報を思い出した。
普段から早寝早起きの規則正しい生活をしていたわけではないが、それでも極力不摂生には注意していたので、昼夜が逆転してしまうというのは気分が良くない。
今夜は無理をしてでも早めに寝よう。
そうだ。
猫は夜行性かもしれないが、
必ずしもすべてのプリズニャンが夜行性であるとは限らない。
昼間行動するプリズニャンがいたっておかしくはない。
たとえプリズニャンになったからといったって、何もかもプリズニャンのように振る舞う必要はないのではないか?
いや、もちろんプリズニャンらしく振る舞うことができないから、こんなことを言っているのではなくて。

それはともかく、せっかくプリズニャンなので、四つん這いでお尻をつきだして背中を伸ばしてみた。
妙な体勢で8時間も眠っていたせいか、伸びがとても気持ちよかった。
歩き方を忘れるといけないのでしばらくぐるぐる回って歩く練習。
うまくいかないことは繰り返し練習するに限る。
さすがに歩き方くらいは覚えていたようで、2周目にはもう飽きていた。
実に短絡的だが、お腹がすいていることに気がつく。
そういえば、朝起きてすぐに昼寝をしてしまったので朝食をとっていない。
今、2時22分なので昼食にも遅い。
でも3時が近いので、おやつにしようと思った。

とりあえず冷蔵庫に向かった。
きっと何かあるだろう。だって冷蔵庫だ。
ところが、そこで問題が発生した。
扉が開かない。
開けられない。
プリズニャンの手の形は冷蔵庫の扉を開けるのには適していない。
何だか急に色々なことが面倒くさくなった。
鏡のときと同じだ。
しかし、今度はそうもいかない。
鏡は見なくても生きていけるが、冷蔵庫を開けられないと生きていけない。
生命の危機が関わってくると何でもできる気になってくるから不思議だ。
とにかくガリガリやってみることにした。
猫が玄関の扉をガリガリやって開けてしまうのを見たことがあったので、ちょっと自信があった。
プリズニャンだって猫の端くれだ。
これがプリズムニャンだったら危なかったかもしれないが。

最初は扉に指がひっかからずに苦労したが、ちょっと力を入れてみたら、指先からにゅうっと爪が出て扉にひっかかった。
猫の肉球を押すと爪が出るというのはよく知られている。
プリズニャンもだいたい同じ仕組みなのだろう。
後でじっくり観察してみようと思った。
後ろ足で踏ん張って力任せに扉を引っ張ると、あっさり冷蔵庫が開いた。
ほぼ予想していた通り、中はあまり充実していなかったが、メグミルクが目に付いた。
プリズニャンにミルクとはなかなか粋な計らいだ。
しかし、そのメグミルクは1リットルのパックだったので諦めた。
パックを掴めないのだから仕方がない。
その他には豚肉、タマネギ、ニンジン、それからジャガイモなんかがあったけれど、肝心のカレールゥは見あたらなかった。
カレーの具がほとんどあるのに、ルゥを切らしているとはなんと迂闊な。
更によく探すと封が切られたスライスハムがあった。
賞味期限を確認してからちょっとつまもうと思ったけれど、手ではつかめなかったので直接囓った。
冷蔵庫に頭をつっこんでハムを囓るなんて、生まれて初めての経験だ。
そのせいか、よくあるハムなのに高級な味がした。

そういえば、プリズニャンは箸が使えない。
当たり前のことだけれど、やっぱり不便だ。
わざわざ箸の持ち方を覚えて、箸を用意して、箸を使ってものを挟んで食べる方がよっぽど不便だという気もするけれど、それでも箸を使えない方が不便なのだ。
箸が持てないようにフォークも持てない。
爪楊枝もダメ。
やっぱりプリズニャンは直接口でかじらなければ食事ができないようだ。
これからはプリズニャンの食事を見ても、「下品だなぁ」なんて思わないようにしよう。
彼らはそうしなければ食事ができないのであって、仕方なくああしているのだ。
本当はもっと上品に食事をしたいはずだし、もし箸が使えればきっと箸を使って食べるだろう。
だってその方が便利なのだから。

会社から電話が掛かってきた。
最初は「どうした」とか、「大丈夫か?」とか、心配そうな声を発していた上司だったが、相手がプリズニャンだとわかると、途端にカンカンに怒り出した。
カンカンて何だろう。
カンカン照りのカンカンか?
「すみません、プリズニャンになってしまったので、今日は休みます」
「今日はって……お前、明日は来られるのか?」
「ああ、はい、えっと、行けたとしてもたぶんプリズニャンですが」

上司がプリズニャンに理解のある人間で良かった。
「プリズニャンでも良いから、来られるなら来い」
と言うから、明日は出勤することにする。
そのためには幾つものハードルを越えなくてはならない。
例えば、この牢獄のような部屋から脱出することとか。

うーん、先行きはわりと不安だ。
でも、きっと大丈夫だろう。
どうせプリズニャンになったって、やることは同じなのだ。
できることはできるし、できないことはできない。
「プリズニャンだから仕方がないな」って、
見逃してもらえるとありがたいんだけど。
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