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2014/11/8 更新してないねぇー ねたはあるんだけどね
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Lemmingology#2:We All Fall Down(2/2)
マクシムは行ってしまった。時の経過を計るような音も動きも、周囲には何も見あたらなかったけれど、それでもリミットは確実に迫っている。エリーと二人、残された僕はこれからどうすればいいのだろう。
「───さあ、ユキ。あなたも」
励ますように僕を見つめエリーは言う。
僕はゆっくりと立ち上がり、もう一度マクシムが消えた通路を確かめた。
そこにあるのは、すべてを滅却する真実の闇。
ここが怪物のコアだろうか。
洞窟はひたすら死人のような静けさをたたえ、僕たちはすっかり世界から取り残されてしまったみたいに、ぽつんとこんな場所で佇んでいる。
寂しさを感じるだけ、僕はまた少しマシになれたのかもしれない。
「ユキ?」
いつまでも動こうとしない僕を不思議そうに見上げるエリーを無視して、僕は後ろの通路を振り返った。
「ねえ、エリー。別働隊はいつ来るの?」
そう問いかける僕にエリーが一瞬表情をこわばらせる。
「───別働隊?」
エリーは繰り返す僕のエコー。
「来るんでしょう?」
僕たちはもう二人しかいない。
洞窟に散在した死体の数は合計27。マクシムを含めると28になる。
生存率、わずかに7パーセント。
たとえ作戦行動中であったとしても、ミッション攻略が不可能と判断された場合、司令部がコード:ハルマゲドンの実行をためらうことはない。
そうなれば、すべてが『ジ・エンド』───と教えられている。
もちろん、その実行が具体的にどんな状況を引き起こすのか僕は知らない。知っている者の方が少ないだろう。
本当にそんなものが実在するのか? それを疑う者もないではない。しかし、司令部は失敗時の仕置きをチラつかせて任務の早期完遂を促すのだし、また、実際にハルマゲドンを体験して生き延びた者が一人として存在しない以上、その実体を推測することもできなければ、高をくくって完全に否定してしまうこともできない。
あるいは部隊の間でまことしやかに囁かれる噂の類、士気を高めるためにでっち上げられた司令部のアジテーション。
ただ、世界の終末を意味するその忌まわしいコードネームから───巻き込まれれば即ち死、決して生きて帰ることはできないのだ───と、それが前線に身を置く者たちの揺るぎない共通認識になっていることだけは確かだった。
任務失敗は即リミットの切り上げという事態を招き、結果、世界の終末が訪れる。
ついさっき、エリーもそれを示唆してみせたじゃないか。それが最終的にマクシムの決断を促す要因になったことは言うまでもない。
───けれど。
「僕たちはまだ生きてる」
そう。司令部はまだ、このミッションを失敗とは見ていない。作戦は依然継続中であり、それは同時投入された別働隊が存在することを示している。
そもそも、司令部が最初から明らかに攻略不能と思われる数でミッションに当たらせるようなことはないのだ。いかなる場合でも、最低限の人員だけはそろえられる。
「別のジェネレーターを見つけたんだ。……ずっと上の、東の突き当たりで」
黙り込んでいるエリーが怒っているような気がして、僕は言い訳めいた台詞を続けた。でもエリーは何も答えてくれない。
「……マクシムは、どうなるの?」
その問いかけにようやく何か刺激されるものがあったのか、エリーはすっと視線を外し、「あなた……」消え入りそうな声で呟いた。その瞳に、射るような輝きが宿る。
「───ずいぶん察しがいいのね。やっぱり、記憶がないなんて嘘でしょう?」
違う。それは嘘じゃない。
僕は任務中に大怪我をして色々な物を失った。怪我はもう直ったけれど、記憶は未だに戻らない。
「でも、物を考えることくらいはできるから」
僕は言った。
「そう……」エリーは困惑気味に息をもらし洞窟の奥を見つめる。どこか悔恨を漂わせるその仕草に、僕は一つの確信を得る。
「悲しいの? エリー」
「……いいえ。でも、きっとマクシムは私を許さないでしょうね」
「何も知らなければ、それもできないよ」
「───あなた、知っていたの?」
膝を抱えてうずくまり、エリーは哀れむように僕を見た。
僕に課せられた運命を僕は知っていたのか?
そうじゃない。僕は気づいたのだ。
今回のミッションは最初からおかしかった。部隊は即席で編成され、ブリーフィングもないまま叩き出されるようにして基地を出た。与えられたのはわずかな装備だけだったし、作戦の詳細が明確に伝えられることもなかった。すべてが慌ただしく、司令部はしきりに何かを焦っているような印象。
当然だろう。死ぬとわかっていて、それを快く受け入れられるほど人間は強くない。特に報酬目当てに参加しているような前線の雇われ部隊なら尚更にその傾向は強いはずで、どう口説いてみたところで引き受ける者は皆無だろう。誰だって、生き延びる可能性があるからこそ、果敢にも過酷なミッションに臨むことができるのだ。
しかし、ボムでなければ突破できないブロックは依然として存在する。
育成に時間のかかる突撃隊は慢性的に不足しているのが現状で、その数に期待ができない以上、司令部としては強攻策に打って出る他に手段はなかった。
その結果が、強制的な即席ボンバー隊の編成。
倫理観なんてハナから歪められているこの世界だけれど、それを公然と提示できるほどの慢心はさすがの司令部にだってありはしない。僕たちは奴隷じゃない。おおっぴらに道具扱いされれば逃げ出す者が現れて当然だし、それを咎めるような道理はないのだ。
それでも、レイモンたちは道具として処理された。
公然とできなければ暗にでも実行する。それが司令部の判断。
エリーは僕の指摘を否定しない。
───つまり、そういうこと。

「トップシークレットよ、それは」
うつむいたまま、声を忍ばせエリーは言った。
「ことが一般クラスの隊員に漏れれば、誰も司令部を信用しなくなる」
だから、強制ボンバーに選ばれた部隊は完全に口を塞いでおく必要がある。一人の逃亡者も許さないよう、目的地まで誘導したあとは確実な爆破。
何も知らない隊員を死地に導く案内役は、気心の知れた隊長なんかじゃ務まらない。
徹底して良心を殺し、その役割を担うのは司令部から派遣される優秀な工作員。そのためには労を惜しまず部隊での親交を育み、命令に頼るのではない人望をも獲得する。
すぐに裏切りの汚辱にまみれるのだと知っていても。
「エリー」僕は呟く。「……起爆スイッチはどこ?」
その問いにエリーは小さく首を振る。
「私は……本隊のためのルート確保を命じられただけ。爆破の実行能力は持たされていない。操作系統はすべて司令部が握っているの。この発信器で、ターゲットの位置を確認して……」
袖を捲り、エリーは腕に巻かれたクロックを示した。それは基地で支給された数少ない装備品の一つ。
今回、部隊の半数、レイモンたちはあの崖の麓に意図的に集められた。クライマー隊が先行したあと、そこで第一の爆破が実行される。地面がブチ抜かれると残った者は階下の一本道に落下することになり、あとはそれぞれに移動を始めた生存者を利用して通路を塞いでいる隔壁を破壊していく。
途中、僕たちが見つけた死体の山は、そうやってわけも分からないまま死んでいった仲間たちの成れの果てだ。
もし、彼らが動かずその場に留まっていたなら、あるいは爆破は免れたのかもしれない。しかし、洞窟は暗く先の様子も悪意も全貌も、彼らは何も知ることができなかった。次々と木っ端みじんに砕けていく仲間たちを目の当たりにして、たとえ闇雲でも出口を求めずにいられる者がいるだろうか。
彼らは進むことしかできなかった。その先に壁が立ちはだかり、それを確かめた瞬間には死が訪れるのだとしても。
───地獄だ。
淡々と語るエリーの声を耳に、その光景が目に浮かび僕は息が詰まるのを感じる。
「知らなければよかったと思うことがあるわ」
少し間をおいてエリーは言った。
「自分のやっていること、知らずにやったのよって言えたらどんなに良いか」
嘘だ。エリーはそんなふうに思ってない。
「でも私は全て了解してる。卑劣だと知りながら、拒むことをしなかったの」
「───上の命令は絶対だからね」気が付くと僕は言っていた。「司令部に直接飼われてる身なら、仕方のないことだ」
どうしてそんなことを言ったのだろう。ただ、妙に言い慣れた台詞のように思えて、酷く惨めな気持ちになった。
「ユキ……」
エリーは膝を抱えたまま顔を伏せている。あんなに頼もしく見えたエリーが、今は見る影もない。
「エリー、僕は行くよ」
そう言うとエリーが驚いたように顔を上げた。何を言っているの? とでも言いたげな表情を即座に打ち消し、「───死ぬわよ」と鋭い眼差しを向けて冷たく言い放った。
「わかってる」僕は言う。
「わかってないわ。あなた、何を考えてるの? 私のこと覚えてて、全部見抜いてたんでしょう? だったら、自分がどうしてここまで連れてこられたのか、その意味を理解できるはず」
そう。マクシムと僕は、エリーに導かれてここまで来た。
もちろん、適性なしと判断されてボンバー隊から外されたわけじゃない。それはエリーの慈悲や気まぐれなんかでもなくて、マクシムと僕はやっぱりただの道具だった。
予備として温存された、僕は歩く爆弾袋。
レイモンたちだけでは足りなかった場合や、あらゆる予測不能な事態に備えて、生きのいい爆薬をいくつか手元に確保しておくのはしごく真っ当な判断だろう。
ここに来るまで何度もエリーに助けてもらったことを思い出して、僕は少しだけ悲しくなる。あのとき、死んだゴメスの傍で立ち止まっていた僕の手を引いてくれたエリーの親切には、ちゃんと意味があったのだと───。
「ひどい女よね。勝手に名前を付けて、ちょっと優しくしてあげれば、のこのこついてくるだろうって、あなたのことそんなふうに……」
憎々しげに自分の指先を見つめるエリー。
それでも僕は嬉しかったんだと思う。
「いいよ。僕は、自分の役目を果たしたいんだ。せっかく助けてもらったから」
「役目って、あなた、死ぬとわかっていて先に進む気?」
「そうだよ」
僕は答えた。
「……どうして? 理解できない。私、あなたを騙してここまで連れ回したのよ」
「でも、そうしないとエリーが助からない」
それでエリーは黙り込んだ。
僕に秘密を悟られたことはもちろんエリーのミスじゃない。でも、エリーに指示を出している連中は、きっとそんなふうには受け取らないのだろう。
僕は背を向け歩き出す。何を知ったって、僕のなすべきことは変わらない。
もう、考えるのは面倒だった。僕は与えられた役目を果たせばいい。エリーが与えてくれた大切な役目だ。この先に壁があるなら、僕はエリーのためにそれを壊す。どのみち僕は僕であって僕でない。宙ぶらりんな自分にはうんざりだったし、エリーが助かるというのならそれで充分。これで面倒はナシだ。
「───待ちなさい」
呼び止められるのと同時に、僕は右腕が引かれるのを感じた。見ると、エリーがぎゅっと僕の袖を握っている。そのままエリーはするすると僕の手を取り、腕に装着されていたクロックを外した。かわりに自分の付けていたそれをつけ直す。
「これで良いわ」と言ったエリーは凛とした表情で立ち上がった。
「エリー?」
「命を削って、価値を稼ぐのが人間よ」
意志のこもった黒い瞳を向け、エリーは続ける。
「以前、あなたにそう教えられたわ。でも今の私の価値は他人の命を犠牲にして得られたもの。呪われているの。それは人間の価値じゃない」
エリーが何を言っているのか、僕にはよくわからない。
「……気がついたのよ、自分に悪を感じたとき、私は少しでも省みるべきだった。本当の価値は良心にあるって。それにためらわないことで、私の価値は高められる」
「わからないよ、エリー」
僕が言うと、エリーは優しく微笑んだ。
「あなたを死なせたくないの」
「どうして?」
「あなたをそんなふうにしたのは私だから。……本当に覚えていないの? 同じ部隊にいたのよ。司令部直属の。あなたは上官で、ミスした私を助けようとして───」
覚えていない。思い出しもしない。いったい僕は何をした?
泣き出しそうな僕にエリーはそっと笑みをくれる。
「いいわ。そんなこと、どうだっていい。とにかく、私はあなたを死なせたくない。理由なんて私だけが知っていればいいこと。そうでしょう?」
勝手だ。そんなの、勝手すぎる。
「私が奥へ行くわ。あなたはさっきのホールまで戻って、どこかに身を隠しなさい。後続をやり過ごしてから悟られないように後をつけるの。絶対に見つかっては駄目よ。リミットギリギリで脱出すれば、どうにかなると思う。問題は司令部の対応だけど、脱出後にそのクロック、発信器を処分してしまえばある程度時間を稼げるはず───」
僕の手を取り、エリーは忙しくまくし立てる。
「───それで上手く脱出できたら、すぐに地上に戻ること。こんな仕事からは足を洗うの。必ずそうして。いい?」
強気に指示を与えられると、僕は反射的にいいよと答えそうなる。そこを堪えて「エリーは?」と聞いた。
「私は……」一瞬言い淀んだエリーだったけれど、すぐに笑顔を取り戻して「大丈夫。上手く脱出してみせる」と力強く頷いた。
でもやっぱりそれは嘘なのだ。ある程度作為的だったとはいえ、エリーの傷は決して軽いものではない。それに、強制ボンバーの事実を知る人間を司令部が放っておくとも思えない。エリーはすでに囚人で、それは僕だって同じことだ。
こんな場所で、望みや期待なんて意味を持たない。
拒んでも受け入れても、もたらされる結果に大差はない。だったら僕は。
「逃げるのよ! 生き延びて、ユキ」
そう懇願するエリーの気持ちを遮ったのは、僕の拒絶の言葉ではなく、

───そういうわけにはいかんのだよ。

どこからともなく聞こえてきた、野太い男の声だった。

                    *

「……ヘクター?」
その懐かしい顔を見て、思わず僕は呟いていた。以前僕が再起不能に追いやった男は、どういうわけかすんなりと復活していて、最悪のタイミングで僕の前に現れた。
どうして? と思ったけれど、それこそどうでもいいことだった。ヘクターなんて、その後の人生をどんなふうに歩もうと僕には全然関心がない。
大方、てきとーに左遷された先がこのEブロックで、今回のミッションの成功に復帰の望みを賭けているとか、たぶんそんなところなんだろう。でも、こんな馬鹿げた作戦を実行するのは、ヘクターのようなインチキ野郎でちょうどいいのかもしれない。権力者なんてみんなまとめて憎まれ役だ。
「ターゲットの逃亡幇助。これは司令部に対する反逆と受け取って構わないだろうな? エレイン」
薄闇に卑屈な顔を浮かべ、ヘクターはまじまじとこちらを見ていた。
名指しされたエリーは悔しそうに視線を落とす。
「特にその男───」憎悪のこもった眼差しで僕を捉えたヘクターは「いや、どのみち第38小隊には全滅してもらわねばならんのだが……」言って口元に勝ち誇るような笑みを浮かべた。
理由は知らないけれど、ヘクターは酷く僕を憎んでいる。僕が本能的に感じるヘクターへの憎悪と同じくらいには。
「ともかく、その男だけは生かしておくわけにはいかん。いつ記憶が戻らんとも限らないからな」
───記憶?
つまりヘクターは記憶を含めて僕の存在を消したいということだろうか? それは僕の記憶の内にヘクターにとって都合の悪い情報が含まれていることを示しているわけで、僕がそれを思い出しさえすれば、まだ交渉の余地は残されているということだ。エリーを助け出し、尊大なヘクターを多少なりとも脅かすことができるのかも知れない。愚かなヘクターは僕にヒントを与えてくれたのだ。
でも、僕は何も思い出すことができない。いったい僕は何を知っている?
「エレイン。お前の能力は上層部も認めるものだ。無論、ターゲットに情を移したあげく任務放棄など許されることではないが……、かといって一度の失態で切り捨てるには些か惜しい能力だと私は思う。どうだ? 投降して私の指揮下に入るなら、今回の報告は差し控えてやってもいいんだぞ?」
含みのある物言い。嫌らしく告げられた言葉にエリーが返したのは、挫けることのない眼差しと頑ななまでの沈黙だった。
「内々に処理してやろうというんだ、エレイン。いかなる理由があろうと任務放棄は極刑に値する。他に選択肢はないと思うがな。まさか、本気で司令部から逃れられると思っているわけでもなかろう?」
自らの優越を誇示するようにヘクターは余裕の表情でエリーを見据える。そこに蹴りの一発でもぶち込んでやりたい衝動を覚えた僕は、「フン」と隣でエリーが鼻を鳴らすのを聞いた。
「呆れた尊大ぶりね、ヘクター。あなた、まだ司令部の一員でいるつもり?」
「何?」
「こんな前線に飛ばされてもまだ自覚がないの? あなたは見限られたのよ。今後の復権はあり得ないわ。───ヘクター元第8大隊司令。それとも、隊長様とでも呼んだ方がいいのかしら?」
その言葉に、ヘクターの笑みが凍りつくのがわかった。見る間に瞳から威厳が奪われ、たぎるような怒りが込められていく。
図星。やっぱりヘクターは左遷されていたんだ。そりゃあそうだろう。もともとこの男はそんな器じゃなかった。絶えず死と隣り合わせの前線にとばされて、少しは人間の価値に気がついただろうか。まあ、どうでもいいことだけれど。
「き、貴様ッ! エレイン!」
僕が勝手に溜飲を下げていると、ヘクターは激昂を顕わに罵声を響かせた。エリーはまったく怯まない。
「気安く呼ばないでほしいわね。私への指示は司令部から直接下されている。上官でもないあなたの指揮下に入る理由はないわ」
毅然としたその態度にヘクターは顎を引いて押し黙った。ゆっくりと、その口元に歪んだ笑みを取り戻す。
「愚かな女だ。自分の立場もわからんとは……」
そう言ってヘクターが右手をあげると、複数の靴音が周囲の壁面に反響した。ホールへの通路を塞ぐように、ヘクターの背後に控えていた別働隊の面々が姿を現す。
なるほど、これが本隊なのだろう。レイモンたちの犠牲を讃えるでもなく、まして感謝しているはずもなく、悠々とここまでたどり着いた彼らの顔には、皆そろって土埃一つないきれいな無表情が仮面よろしく張り付いていた。
「反逆者2名。直ちに確保せよ」
ヘクターの号令に合わせ、ザッと地面を踏み鳴らした捕縛者たちが歩み寄る。為すすべもないまま僕が一歩後退ったとき、
「走って! ユキッ」
交渉の余地なしと見たエリーは素早く僕の手を引き、言うが早いか身を翻していた。
「逃がすなッ!」
通路にこだまするヘクターの怒声。
ついさっき、エリーが指示してくれた作戦はすっかり反故になってしまった。もうホールに戻ることはできない。上手く脱出してこの仕事から足を洗うことも困難だろう。
僕たちが走るのはマクシムが去っていったルートだった。この先に壁があれば、それを見つけた時点でドカン。レイモンやマクシムと同じ運命をたどることになる。何も知らずにこの道を進むことのできたマクシムは、僕たちよりも幸せだっただろうか。
背後に迫る追っ手の足音に恐々としながらも僕たちはひた走った。
しばらく進んだところで、不自然に崩れた一画に差し掛かったけれど、そこで歩みを止めるわけにはいかなかった。
かすかに残る火薬の臭いにいくら胸が苛まれても、足裏に岩床ではない何か別の柔らかいものを踏みつけた感触が残っても、僕たちはそれをみんな無視して乗り越えて行かなければならない
「ごめんなさい、マクシム───」
そう呟くエリーに僕は言葉をかけることができなかった。
深手を負っているエリーは絶えず苦しそうに右脚を引きずっていた。
周囲は暗く、手探りで進むわけにもいかない僕たちはひたすらまっすぐに突き進み、それが追っ手との距離をわずかながらも稼いでいた。
マクシムの命と引き替えに切り崩された壁。
そこを駆け抜けたとき、僕たちを待っていたのは濃度を増した闇だった。
「待って、エリー」
けれど、僕が呼び止めたときにはもう遅かった。
ガラガラと岩の崩れる音のあと、一歩先を走っていたエリーの姿が、ふいっと僕の視界から消える。
「エリーッ」
そこは切り立った深い深い崖。遙か下方に、ぼんやりと赤い光をたたえている。
底に溶岩の川が流れる巨大な地下渓谷は、まさに地獄と呼ぶにふさわしい。
エリーは足を踏み外し、かろうじて落下は免れたものの、岩の縁を掴んだ右腕一本でどうにか身体を支えてぶら下がっている状態。
ほっと息をつく間もなく、「ユキ、脱出口は?」と足下にエリーの声を聞く。
咄嗟に周囲を見回し、僕は右手奥にそれを見つけることができた。崖沿いに細い足場があって、その先に求めていた出口が口をあけている。
「あった! あっち、ほら」
言いながら僕は素早く屈み込んだ。一刻も早くギリギリでどうにか踏ん張っているエリーを引きずりあげようと身を乗り出して両手を伸ばす。
ようやくここまで来た。もう少しで脱出できる。ヘクターなんか適当にやっつけて、そしたらエリーと一緒に地上に戻ろう。
「───駄目よ」
その冷たい声。それはあっさりと僕の望みを打ち砕く。
「追っ手がもうそこまで来てる。私はいいから、早く出口まで走りなさい」
厳しく僕を見据えたエリーは、
「さようなら、ユキ」
言うと同時に手を放した。
瞬く間に、音もなく落下していくエリー。
そこにためらう様子は微塵もない。美に近いまでの潔さ。一瞬見とれたあと、少し遅れて僕に僕の意識が帰ってくる。
なんてことをするんだ、エリー。それで決断を促したつもり?
僕は血眼になってその姿を追い続け、やがてパッと宙に黄色い花が咲くのを確認する。
傘が開いた。
けれどそれは命をつなぐ装置ではなく、じわじわと苦しみを与える拷問器具。
ふわふわと漂い、エリーはゆっくりと赤い溶岩に呑み込まれるだろう。
「いたぞッ! こっちだ」
背後からは追っ手の声。にわかにあたりが騒がしくなる。まるでエリーの潔さを踏み荒らすように。
「女は?」
「待て、崖だ!」
追いついてきたヘクターたちに一瞥をくれ、僕は勢いよく地面を蹴った。前方の断崖に怯んだ男たちは追うこともできずに、虚しく叫き立てるだけ。
「動くな!」
嫌だ。僕は捕まりなんかしない。
しつこいヘクターなんかとは、もうここでさよならだ。
「な、おいッ、と、飛び降りたぞ!?」
「くそッ、フローターに頼ったか。まずいな───」
「至急基地との回線開け。ターゲットを見失う可能性大。ともかく爆破を───」
何を言っているのか、僕には全然聞こえてこない。
そうしているうち、頭上の喧噪はあっという間に遠ざかった。
どうだ、間抜けなヘクター!
全身の自由を奪う圧倒的な引力をはねのけ、僕は自分の装備に手を伸ばす。手探りでADD、自動開傘装置をカットし、そのまま頭を下に向け身体を垂直に伸ばした僕は、素晴らしいスピードで落下することになった。
僕の周囲には常人には決して見ることのできない超越的な光景が展開する。訓練された者でなければ、ひとたまりもなく気を失ったに違いない。
見る見るうちに眼下の溶岩が迫り、エリーの姿が大きくなる。
このあとはタイミングが全て。
僕にできるか?
「エリーッ」
エリーに声が届く範囲にいる間中、僕はあらん限りの力を振り絞って叫び続けた。
「誘導する! ついてくるんだ!」
聞こえていなくたっていい。エリーが気を失っていなければ、エリーが僕の存在に気づいてさえくれたなら。
すれ違いざま、エリーが驚愕の表情で僕を見たのを確かめ、
───いける、と僕は自分自身に言い聞かせた。
高度はすでにギリギリだった。
しかし、目的のポイントを発見するまで臆することは許されない。
この高さまで傘を開かずに来た僕の加速度は尋常でなく、目を開けているのも困難。必死の思いで着陸地点を探し、崖の麓にようやく降りられそうな場所を見つけた僕は、手動でキャノピィを開傘、ガクンと肩に強い衝撃、方向を修正したのもつかの間、ほとんど地面に叩きつけられるようにして、どうにか溶岩への突入は防ぐことができた。
よく死ななかったものだと思う。
いや、気を失わずに済んだのは奇跡だった。
体中の骨が砕けてしまったような激痛に気が遠くなったけれど、僕は急いで溶岩の川縁に向かった。足下を流れる溶岩が弾けて降りかかってきたけれど、かまうものか。
見上げると上空、緩やかにスパイラルしながら下降してくるエリーの姿が目に留まる。
僕は知らず叫んでいた。
「エリーッ! こっちだ。もっと右! あて舵使って、そう、慎重に!」
僕の姿を捉えているのか、エリーは懸命に身体を動かし姿勢制御を続けていた。しかし、溶岩の生み出す激しい上昇気流によって、壁面付近の気流は絶えず乱れている。
こんな壁際の狭い場所、着陸地点には最低だ。
「───危ないッ」
僕が叫んだとき、エリーは勢いよく気流に巻き上げられた。遠心力で捩れるようにして身体とキャノピィとが平行に並ぶ。一瞬ひやりとしたけれど、その深く傾いた姿勢からエリーは咄嗟にターンに移行して逆方向に身体を振った。間一髪。それでも流されたエリーは壁面から遠ざかり、再び溶岩の真上を漂うことになった。
「エリー、もう一度! ロープを持っていたら、こっちへ投げて」
縋るような気持ちでそう指示して、エリーの様子を見守る僕。
ロープなんて便利なもの、持っていないのはわかっていた。
再びターンしてこちらに戻ってきたエリーは僕の頭上付近で小さく首を振り、突然、思いがけない行動に出た。
キャノピィを捨て、10メートル近い高さから飛び降りたのだ。
崖を包んでいる気流に押し戻され、装備に頼っていては着地がままならないと判断したのだろうけれど、横方向に加速のついた状態でそんなことをすれば、壁面に叩きつけられて無事では済まない。
僕は全力で先回りし、突っ込んでくるエリーの身体を飛びつくようにして受け止める。
人間、死ぬ気になれば結構色々できるものだ。
ごろごろと地面を滑り、もつれ合った身体が離れたとき、僕はようやく無事降下に成功したことを理解した。
大丈夫。エリーに怪我はない。
僕はとても満足して、疲れ果てた身体を横たえた。

                    *

「馬鹿! 信じられない!」
なんて無茶なことをするのよッ、あなた、本当にどうかしてるわ! ───と、エリーは化け物でも見るような眼差しで僕を見下ろしていた。
「全然無事じゃないわよ。こんなに、ぼろぼろになって……」
僕の無謀に戦慄の表情。怯え、青ざめ、そして罵声。
その瞳にはなぜか涙が滲んでいる。
「ユキ、どうしてこんなことをしたのよ。私になんて構わないで、すぐに逃げてくれていたら───」
きっとエリーは溶岩に呑み込まれ、僕は僕を呪っただろう。
仰向けに寝転ぶ僕の手を取り、エリーはしきりに僕の頬をさすった。溶岩の飛沫を浴びた僕はあちこちに燃えてしまったらしく、今はとても調子が悪い。
「答えて、ユキ、お願いだから……」
しゃくり上げるように鼻を詰まらせ、えぐえぐと喉を鳴らして、エリーが僕の胸に覆い被さってくる。その重さが心地よくて、気分だけは良くなった。全身の痛みが遠のき、フワフワとして、そう、フローターになって宙を漂っているみたいに穏やかな気分。
「嫌よ、ユキッ、駄目!」
なのに目を閉じようとすると、エリーがペシペシと僕の頬を叩く。
「目を開けて! 返事をして!」
そうしたいけれど、僕はもう声を出せない。身体のどこにも力が入らなくて、本当はエリーの声だってよく聞こえていないんだ。かろうじて開いている瞳に、そこにある風景が映り込んでいるだけ。
ヘクターたちはもう脱出しただろうか。そして僕たちのことを諦めてくれただろうか。
わからない。僕は何もわからない。
エリーは以前に僕と同じ部隊にいたのだと言った。司令部直属だったかな?
その頃のことを思い出してみようとしたけれど、それを考えていたら急に目の前が暗くなってきて、僕はもう考えるのをやめていた。
だってエリーはここにいるのだし、もういいじゃないか、自分のことなんて。
「ユキ……」
遠くでエリーの声がする。
「私、出口を目指してみる」
少し怒ったような声。きっと勝手な僕に腹を立てているんだろう。それでいい。僕だってエリーが勝手に手を放したときは酷く腹が立ったのだから。
でも、自棄になってはいけない。後先考えずに無茶をすると僕のように酷い目に遭う。エリーは冷静になって、生き延びる道を探さなくては。
「待ってて。そしたら、必ず助けを連れて戻ってくるから」
その言葉に僕はすっかり呆れてしまう。
助けを呼んでくるって? 自分で動くこともできない僕のために?
嬉しいけど、それは無理だと思うな、エリー。人命救助なんて、あり得ない話。
「いいえ。やってみせるわ。掟なんか何だって言うの? 誰だって、生まれたときからそんなものに縛れていたわけじゃない。こんな世界で生きているうちに、いつの間にか染みついてしまったというだけでしょう? 押しつけられた掟なんかじゃなく、人間はもっと別に従うべきものを持っているはずよ」
それでも掟は大切なんだ。それに従っていたから、僕たちは今まで生き延びることができたのだし、掟はこの世界で生きる者の作法みたいなものだから。
「掟を受け入れて自分を捨てれば生き延びることはできるのかもしれない。みんなそうしているし、それをやめろとは言わないわ。……でも、そういうことじゃないでしょう? 人はいつでも満たされたいの。その場しのぎで生き延びても、掟に従ってるだけじゃ、いつか何もかも失ってしまう。本当はみんなわかっているはずよ。大切なものを失いたくない、そのために掟を拒むのは間違いじゃないって」
───大切なもの?
「あなたを助けたら、司令部の卑劣な行為を告発するわ。いいえ、告発すると脅してでも救助隊を連れてこさせる。なりふり構っていられないの。人の命がかかっているのよ!」
人の命。君がそれを言うのかい? エリー。
「私が言えた義理じゃないのはわかってる。マクシムやレイモンたちを見捨てておいて、本当に自分勝手よね。私は流血に手を染めた、裁かれるべき人間。でもだからって、何もかも諦めたくない。こんな我がまま許されるはずはないけど、……私はまだ、人でありたいと思うから」
懺悔するようにエリーは言う。でも、ここにはそれを聞き届けてくれる存在がいない。
神父でもいたらいいのにと思うけれど、こんなときでも僕は神父になれない。
やっぱり僕たちがすがれるのは掟くらいのものなんだ。
「……誰だって、命を大切に思うのは当然のことよね? それを失いたくないと思うのは何もおかしな話じゃない。苦しんでいる人を助けたいと思うのは人間の本質なのよ。どんなに勝手だと思われても、それは絶対に間違ってない。そうよ、正しいことをするんですもの。きっと手を貸してくれる人はいる」
───だって、それが人の良心でしょう?
神様でも問い質しているみたいなエリーの叫び。それは、無垢な子供が初めて世界に悪意を感じ取ってしまったときの一途な想いと等価だった。
まるでそうあることを強いるように、エリーは人の善良を信じている。
そうあって欲しい。そうあるべきだ。信じる者は救われる。善なる者に救済を!
でもそれは違うと僕は思う。
誰かに助けを求めるなんて無駄なことだ。応えてくれる人間はいない。
どんなふうに説明したって、やっぱり掟破りは罰せられるのだし、役に立たない人間を助けるのは悪だ。
死にかけの役立たずは早々に処分してあげましょう。
それがこの世界の良心。
僕たちはみんな、真っ当な良心を育むことさえできなかった子供なのだ。
「死んでは駄目よ」
エリーは言った。
何かを決意した力強い声。
それはもう僕に向かっている言葉ではなかったのかもしれない。
「───今度こそ、私は本当の価値を稼いでみせる」

次第に遠ざかっていくエリーの足音を聞きながら、僕は必死になって身体を起こそうとする。でもそれは仰向けがうつ伏せになるだけの虚しい行為にすぎなかった。
平衡感覚は失われ視界が定まらず、自分がどういう状態にあるのか、僕にはもうよくわからなかった。意識は途切れがちで時間の感覚も麻痺している。ただ、とても寒い。
……これが死ぬということなの?
エリーは死なずに済んだのだから、またここに戻ってくるなんて、そんな馬鹿な真似はやめて欲しい。僕のことなんか早く忘れて、何が何でも生き延びるべきだ。そうして人の価値を踏みにじる悪の司令部なんかをヒーローみたいにとっちめてくれたらいい。
そうだ。とりあえずあの憎たらしいヘクターを吊し上げよう。それから、こんな仕事もそれに従事する人間も、世の中から全部駆逐してしまおう。
掟に縛られ人の在り方を忘れた獣どもを許しては駄目だ。
何も知らずに爆破されたマクシムの仇を討て。
呪詛を残したレイモンの魂を救ってみせろ。
僕らに希望を、従うに足る良心を。
だからお願いだ、エリー。
そう思いながら、僕はいつの間にか気を失っていた。

                    *

洞窟は最期の時を迎えていた。
意識を失い、図らずも体力を回復することができた僕は、再び目を開けたとき、頭上で破裂するエリーの姿を見るはめになった。
空から降ってきたのは星でもなければ雪でもなかった。
今、僕の頬を叩き伝い滴り流れ落ちているもの。それはエリーの涙。そして温かい血液であり、エリーの皮膚であったものやその中身。
これが、エリーが問い質そうとした世界の答えだった。
ぼたぼたと重く降り注いで、しっとりと地面を潤していくエリーの良心を横目に、僕はようやく忘れていた自分を取り戻すことができた。
───罰なのかもしれない。
そう思った。生き延びて欲しいと思いながら、やっぱりどこかでエリーが戻ってきてくれることを願わずにいられなかった身勝手な僕に対する、これは罰だ。
エリーは僕のかわりに死んだのだろう。
交換した発信機は僕をエリーにし、エリーを僕にした。
もともと爆破されるはずだった僕は予定どおりに爆破されてエリーは死んだけれど、自分の頭上でカウントが始まったとき、エリーはきっと驚愕したに違いない。
すべての計画がつまずいたのだ。
そうして、すべてを悟り、諦め、最後に僕のところに戻ってきてくれた。
今の僕には、エリーの考えていたことが手に取るようにわかる。
エリーの言葉がただの理想ではなかったこと、それを実現するために自分がなすべき行動を瞬時に導き出したその鋭敏な頭脳。
───あなたを死なせたくないの。
無垢とも思えるその決意に秘められた怜悧を知り、僕はひたすら戦慄する。

エリーは強制ボンバーの実行システムを熟知していた。
一般に知られていることではないが、基地に設置されたモニターにはミッション参加者の位置が常にマーカーで表示されるようになっている。
クロックに内蔵された発信機がそれを伝え、オペレーターは爆破対象が目的のポイントに達した時点で起爆スイッチを入れることになるわけだけれど、このマーカーはすべて同形表示であるため、どのマーカーが誰を示しているのかということまではわからない。
爆弾なんてどれでも一緒で、個々の識別は必要ないというわけだ。
それゆえ、起爆スイッチもボンバー各個に設定されているのではなく、ある特殊なスタイルをとっている。それは、送られてくる信号をより視覚的な情報に変換し、画面上であらゆるコマンドを精密に実行することを可能にしたシステム───つまり、早い話がボンバーを実行するボタンというのはコンソール上に一つしかない。オペレーターの作業は、モニター上を歩き回るターゲットにカーソルを合わせてボンバーの実行ボタンを押す。それだけだ。
画面を見ながら的確にボンバーを実行していくオペレーターは、まるきりゲーム感覚でいるのかもしれない。しかし、そうでなければ、確実に人を殺してしまうボタンを押すことなんてできないだろう。モニター上で個人を識別しないのも、起爆スイッチを各個に設定していないのも、ボンバーをゲームのコマとして扱うことで、オペレーターにためらいを持たせないための措置なのだ。
そう、ゲームのように画面上だけの出来事だと思い込めるからこそ、強制ボンバーなんて非人道的な発想が生まれてくる。
しかし、この特殊なシステムのおかげでエリーは思いついたプランを実行に移すことができた。
エリーと僕、お互いのクロックを交換するという極めて簡単な方法がそれだった。
マーカーは同形表示と言ったけれど、もちろんそれはボンバーに限ったことであり、エリーやヘクターたちのように生存を目的としている者のマーカーは、きちんと区別されて表示される。信号のパターンが異なるのだ。だから、クロックさえ交換してしまえば、少なくともモニター上では僕はエリーになり、エリーは僕になることができる。
クロックを交換し、一時的にでもオペレーターの目を欺くこと。僕の爆破を阻止しようとするなら、それが最上の判断だろう。
もちろん発信機を捨てるのは得策ではない。
絶えず自分の位置をモニター上に晒すことになる発信機だけれど、これは僕たちを縛りつける鎖であると同時に命をつなぐ装置でもある。エリーはそれも知っていた。
発信機は装着した者の脈拍と連動しており、それが外されると発信される信号のパターンが変化する。
この信号パターンの変化は『対象の死亡』を意味し、それは単にモニター上の死だけに留まらない。ボンバーのクロックが外されてからある程度の時間が経過すると、仕込まれた起爆装置が自動的に作動する仕組みになっている。カウントが始まればもう解除する手だてはなく、発信機を捨てて逃亡を図ることは事実上不可能。
モニター上の死は現実の死とイコールだ。
強制ボンバーに選ばれた人間は、決定的に死ぬ。たとえミッションを生き延びて上手く脱出できたとしても、出口に待っているのは保護と名目された身柄の拘束であり、狭い部屋に閉じこめられたあとは機密保持のためと言って薬漬けにされたあげく記憶を奪われる。そして再度、歩く爆薬としてリサイクル。
そんな運命にあった僕を救うためには、自分の立場とそっくり入れ替えてしまうしかない───エリーはそう考えた。

自棄になって無謀な賭けに挑むエリーではない。もちろんエリーには勝算があった。
救助隊を連れてくるというくだりは願望にすぎなかったのかもしれないけれど、少なくとも、僕が爆破を免れ、エリーが洞窟を脱出する───それ自体は不可能ではないと確信していたに違いない。
僕とエリーの立場で最大の違いとなるのは、強制ボンバーに選ばれた者と生存が約束された者というその一点だった。
発信機を交換したことで僕はエリーになった。強制ボンバーの対象ではないエリーの立場を得た僕が爆破されることはない。逆に、僕のクロックを身につけたエリーは、モニター上爆破対象になったわけだけれど、いくらオペレーターが実行コマンドを試みても、もともとボンバー装備を持たないエリーを爆破することはできない。
強制爆破がない以上、僕が勝手に死んでしまわなければ救出の望みも皆無ではない。
そう計算した上で、エリーは脱出口を目指すことにした。
僕に助けを連れてくると言い残して。
他に方法がなかったとはいえ、とても完璧とは言い難いプランだ。不安要素はいくらでもある。それでも、あの状況で試してみるくらいの価値は備えていたのだろう。
事実、僕はまだ生きている。
しかし、エリーは一つだけ読み誤っていた。
それは悲しいくらい、根本的な勘違い。
いや、コード:ハルマゲドンの実体と並んで司令部でも最高レベルの機密なのだから、それを指摘するのは酷だろうか。
知らなくて当然。予測なんてできるわけがない。
一般的なボンバー用の爆弾は基地で支給される装備の一つだし、強制ボンバーのそれだって、知らずに持たされるだけで、やっぱり基地で与えられる物───そう考えるのはしごく真っ当な推測であり、今回、生存目的の要員として投入されたエリーが、自分は爆弾を持たされていないと、そう思い込んだってそれはもちろん仕方のないこと。
でも僕たちと同じように、エリーにだってちゃんと爆弾は仕掛けられていた。
だから僕になったエリーは僕のかわりに爆破されて死んだ。
それが事実。
───どうして? カウンターが始動するのを見て、エリーはそう思っただろう。
自分にまで爆弾が仕掛けられているなんて聞いてない。妙な装備を与えられたりそれを身に着けた記憶もない。あり得ない! エリーはそう思ったかも知れないけれど、僕だって同じだ。きっとマクシムやレイモンたちだって。
自爆を覚悟している突撃隊でもあるまいし、のうのうと爆弾を仕込まれるような間抜けな僕たちじゃない。いくら強制ボンバーと言ったって、悟られずに爆弾を持たせることなんてできるはずがないのだ。
けれどレイモンもマクシムも、それからエリーも、みんな呆気なく爆破されてしまった。この事実が示すのは、やっぱりどこかに爆弾は仕込まれてたってことだ。
───でも、いったいどこに?
支給されたクロック?
違う。クロックを外しても爆破は免れない。
それじゃあ、身体の中にでも埋め込まれてたってのか?
それも違う。この仕事に参加している戦士全員にそんな手術を施してる余裕はない。
だったら───。

僕たちの身体そのものが爆弾なんだ。最初から。

絶えず代謝を繰り返している僕たちの細胞、生まれてきた命、肉体そのものが現在爆薬として利用されている。僕たちの体内にはそもそも炸裂の要因となる物質がふんだんに内包されており、司令部によるボンバーの実行とはその因子を解放する行為にすぎない。
すべては司令部の研究の成果だった。
炸裂因子はすべからく平等に、万人が生まれながらにして備え持っている。
僕もエリーもゴメスもマクシムもレイモンも、もちろんヘクターや司令部上層にいる人間たちだって、間違いなくボタン一つで爆破される馬鹿な身体に生まれついている。こんな仕事とは何の関わりも持たない善良なる世界中の人々、家で誰かの帰りを待っている母や妻、父に夫、あらゆる家族、世界のどこかで今ちょうど生まれてきたばかりの赤ん坊だって、いつドカンとなる運命とも限らない。
人の命は等価であり、誰もその事実から逃れることはできないのだ。
それは爆発的な繁殖能力を有する僕たち人間という種に与えられた生命の抑制装置であるのかも知れないし、あるいはただの欠陥なのかも知れない。
いずれにしても、この世界の人間はみんな平等に呪われている。
───オゥ、ノウ! まさかこの身体が爆弾になるなんて!

こんな事実、すでにシークレットなんてレベルで扱えるものじゃない。一部の人間が独占していいような物事ではないのだ。
しかし、現在この事実を知っているのは司令部の中でも限られた数人のみ。
人類の存亡に関わる極めて重大な懸案、『生体炸裂理論』はその技術的側面も含めて司令部上層によって独占隠匿されているのが現状だ。
しかも、彼らはこの大発見をもってして、もっぱら爆弾の代用品くらいのアイディアしか持ち得ない愚か者だ。
コード:ハルマゲドンの実体とは、すなわち生存者の強制爆破であり、強制ボンバーも含めて、この技術が世界にもたらした、まさに悪夢。
最悪───と言っていいだろう。
このまま放置しておけば、これからの世界がどうなるか知れたものではない。
彼らがその気になれば、世界中の人間を誰でも自由に爆破することができるのだし、それを使ってあらゆる交渉を持ちかけることも、望むなら世界の支配者の座に着くことさえ容易なのだ。

───なんてことだ。
僕は思った。取り戻した記憶に含まれていた究極の絶望。それが脳裏に展開するにつれ、今死のうとしている自分の身体を呪いたくなる。
こんなにもおぞましい事実を知りながら、僕はそれを誰にも伝えることができない。
……エリー。
君が生きていたらどんなによかっただろう。
僕の知っていることを伝えれば、きっとエリーは行動を起こしたに違いない。強制爆破システムをこの世から消滅させ、エリーは救世主になったかもしれない。爆弾としての生を受けた忌むべき人類に、もっと別の可能性を示唆してくれたのかもしれない。
けれどエリーは死んでしまった。
そんな指示を出した司令部が憎い。ためらいもせずボタンを押したオペレーターの指先が憎い。僕を助けるためにクロックを交換したエリーの親切や愚かさだって。
───もうすべてが手遅れだ。
そう悟ったとき、僕は自分がまだ生きていることに今更のように思い至った。
エリーが与えてくれた僕の命は、まだ尽きることなく長らえている。
司令部はエリーの能力を惜しみ、エリーになった僕の爆破をためらっているのだ。

命を削って価値を稼ぐのが人間よ。

そのとき僕は力強く語りかけるエリーの声を聞いた。
それはいつか僕がエリーに言った言葉。
エリーを死なせてしまった僕は、その罪を償わなければならない。エリーのかわりに生きて延びて司令部なんかをやっつけたら、きっと僕の罪は許されるだろう。
それこそが僕の求めた安らかなる救済であり、課せられた使命。
エリーのかわりに生きる。役目を果たす。
僕はまだ、自分の価値を稼ぐことができる。
エリーもそれを望んでいる!
きっと、どこかにいるはずの神様だって。

……いや、そんなことはないのか。
崩れゆく洞窟とともに、僕は僕の頭上でアラビア数字が回転し始めたのを見る。
たった今、僕のカウンターが始動した。
ハルマゲドンが実行されなくても、リミットを迎えれば必ずこうなる。
知識としては知っていても、実際目の当たりにすると酷く馬鹿げていると思う。
僕はもともと司令部の人間だった。だからエリーも知らないような機密事項をずいぶん詳しく知っていた。思い出すのが遅すぎて、間抜けな僕には何もできない。
エリーのことも思い出した。仕事の話ばかりで、あまり親切にしてあげられなかったと思う。そういえば、いつか雪の話をしてあげたことがあった。つまらない話。でも、それくらいしか普通のおしゃべりをした記憶がない。
なのにエリーはよく覚えていたものだと思う。
頭上でカウントが進んでいくのを確かめながら、僕はやっぱりうんざりする。
僕は能なしヘクターと何も変わらない。
モニターに映し出されるマーカーが個人を識別しないように、僕たちは自分の価値なんて持ち得ない。役割を見つけることもできず、ただ与えられるのを待っているだけの存在。なすべきことは決まっていても、やるべき人間は誰だっていい。ボンバーになって道を切り開くのも、馬鹿な司令部にとどめを刺すのも、そのときその場所で選ばれた人間がやるべきことをやるしかない。
僕らの価値はみな同じで、モニターに映し出される淡泊な映像だけがこの世界の真実。
そこに善悪は存在せず、戦士はひたすら出口を目指して前に進む。仲間の死体を踏み越えて、怖れることを知らない僕たちは次々と罠に飛び込んでは消えていく。

僕はペロリと舌を出して、唇を濡らしているエリーの血を舐めた。
犠牲の上に存在する未来の子供たち。
きっと彼らも前へ前へと進むだろう。
人間は先に進むようにプログラムされていて、そこに運命と立ち向かえるだけの力があるのだと信じたい。
そう、戦士は死を望んで前進するのではない。人は貪欲なまでに生を望み、個の存続は種の保存よりも優先される。利己的であるがゆえ、僕たちは永遠に人であり続けることができるのだ。
ふわふわと漂い、いつも地に足のついていないような僕だったけれど、ここに来てようやく着陸地点を見つけられた気がする。
僕は僕であるのと同じようにエリーであり、画面上でもがき続ける記号のすべてにエリーの魂が宿っているなら、いつか世界は救われる。

                    *

たいざんめいどうネズミ一匹。
いかに人々が喚き騒ごうと、世界は常に平静である。
生と死の水際で眼前に展開される光景はまるで喜劇だ。
それでも───。
冗談みたいに膨らんでいく僕のお腹に詰まっているもの。それがエリーと同じだったら、きっとどんなに素晴らしく、僕はためらうことなく死ねるだろう。

                    *


「タイムオーバー。生存者自爆。ミッション終了。ノルマ40%。脱出率50%。
ミッションクリア。次のステージへ進みます」
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