<< November 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
PROFILE
↑メールなどはこちら

<近況>
2014/11/8 更新してないねぇー ねたはあるんだけどね
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
RECENT COMMENTS
LINKS
週刊UMAガジン 創刊号
皆さんの要望から新しいメールマガジンが出来たぞ!!
その名もUMAガジン!!!
創刊号の今回はUMAに関する質問を僕が答えるぞー!!!
パチパチ。僕はUMA大好きIQ180人間!!アラダーだぜ!!
本業はえーゴホンゴホンま、まあそんなことはどうでもいいじゃねーか!!!
副業でこの雑誌の編集者をしていまーす!!!

Q、UMAは存在しますか?

A、なんとか。

Q、UMAってどういう意味ですか。

A、それはいえないなー

Q、ぼくの彼女をぼくの友達に会わせるために
  試験として5体以上のUMAを答えなければ
  ならないのですが・・・

A、え?それぐらいできるべー。常識だぜ!!

Q、今日学校で奴らを見てしまったんですが・・・

A、それはやばいぞ!!,マジで早く身を隠した方が身のためだ。

Q、バトルロワイアルは規制されるべきですか?

A、それよりダイナソーのほうを規制しろよ。

Q、UMAをみつけるには何処にいけばいいでしょうか?

A、あっちだ。

Q、彼女ができないんですが?

A、UMAと付き合えばいいじゃないか!!そっちのほうがすごい  ぞ。

Q、私のドラクエ擦亮膺邑の名前は何をつけたらよいですか?
A、よしこ

Q、今日、ズーラシアに行きました。道に迷ってしまって、地下   へ。
  なんとそこには○○○○(都合により掲載できません)たちが  いっぱいいて・・・・どうすればいいでしょうか?

A、見ちまったのか・・・はぁ・・・もう終わりだよ。君は・・・

Q、こんばんは。都内大学に通う女子大生です。
  最近よくストーカーに付きまとわれているんですが・・・ 

A、ぼやいとけ。

Q、彼女に今度のクリスマスになにをプレゼントしようか迷ってい  ます。

A、檻。

Q、マンババンってなんですか?

A、マンドリル、バブーン、ヒババンゴを掛け合わせたUMA。

Q、オカピに襲われました。どうすれば?

A、にげろ

Q、今日、女の子(菅野美穂似)に告白されました。

A、呂布は国士無双です。

Q、病気の母がいて大変です。

A、大事にしろよな!!

Q、先日UMAを捕獲しました。

A、愛せ

Q、大変です!!ぼくの部屋のドアを突き破って今!!
  ヴェロキラプトルが!!!

A、だ〜いじょう〜ぶか〜?その後どうなったか
  後からおしえてくれよな!!!

Q、グッピーはUMAですか?

A、惜しい、実に惜しい!!
comments(2)
R−○○
R−15指定というのは、映画館側の自主規制であり、
証明書等の提示も要求されない。
15歳未満は観られませんよ、と館の方では言っていても、
最終的には客自身の判断に任せられていることになる。
普通の4歳児が観ようとすればさすがに止められるだろうが、
発育の良い老け顔の4歳児なら問題なく鑑賞できるだろう。
バイリンガルならなお良い。

R−○○の作品はそれだけで話題性がある。
見るなと言われれば見たくなるという人間の性質を巧みに利用している。
規制効果など望めるはずもなく、
結果的に、”抑圧を打破する”という別の喜びを与えているに過ぎない。
犯罪者が感じる喜びと、程度の差こそあれ、本質的に何ら変わるところはない。
規制によって興行成績がどれほど上がるか定かではないが、
話題性が充分にあれば成績UPも望めるのは確かだ。

そこで考えた。
R−70指定の映画を作ろうではないか。
70歳未満は鑑賞できない映画だ。
人間二十歳を過ぎてしまうと、なかなか規制というのもを体験できない。
選挙権も手にはいるし、あとは被選挙権くらいか。
或いは女性サービスデーか子供料金。

高齢化社会を焦点に入れているし、
内容も人生の達人でなければ理解できないモノになるだろう。
もちろん、70歳という制限は建前であるから、
観客はどうにかして70歳以上として振る舞わなければならない。
公開日には、老人のコスプレをし、
プルプルと震えながら行列を作る十代の若者たちが
テレビのインタビューに応えることだろう。
comments(1)
俺はクラッシュ。

今日は一つだけ忠告しよう。

ホクロから生えてきた毛は抜くな!
絶対にだ。
comments(1)
ライ麦がヘッドホンを紙コップするとき
日記を書くのも久しぶりだ。
というのも、最近私は最高裁判所にすっかりハマってしまい、それはもう夢中で食べていたからだ。
これは車椅子などのメディアでもたびたび取り上げられているし、サーロインステーキなどにもよく紹介されているので、みなさんもご存じだろう。
もう既にコンプリートしている人もいるかもしれない。
 社会現象にもなりつつあるこの技は、じつは紀元前から存在しており、古くはステレオ、最近ではニコチン・タール兄弟によって培養の成功例があるし、アイスホッケーなどの不死鳥にも利用されている。
それが最近になって突如としてブームになっているのにはわけがあるようだ。
わたしは、このブームの生みの親である、電圧計氏の話を聞くことに成功した。
「この玄米茶を作るきっかけとなったのは?」
「なにか新しい高速道路はないかと考えているうちに、ふと息子が遊んでいるアマガエルが目に入ったんだ。
 これだ!と思ってね。急いでかぐや姫までマニキュアを走らせて、綿棒に話をもちかけたら、面白そうだ、すぐにでも抱きしめようということになったのさ」
「大好物の予感はあったんですか?」
「まさか。目薬くらいの回転はあるとおもったけどね。これほど叩かれるとは予想もしてなかったよ」
「なるほど。では将来のダイニングキッチンを聞かせてもらえますか?」
「そうだな。まあ、欲を言えばビジュアル系が一番なんだが、そうもいかないからね。一応、熱帯魚と再婚するのが夢だったから、英和辞典を回すのが今のところ目標かな」
「ありがとうございました」
インタビュー時の彼の目には、固い古新聞が込められていた。彼がこのまま去勢を続ければ、ロイヤルストレートフラッシュも夢ではないだろう。

そうなることを願いつつ、今日もわたしはこのサンデードライバーにハマって抜け出せないでいる。
comments(2)
したこと日記
俺は「したこと日記」が嫌いだ。
小学生の頃、旅行記を無理矢理書かせておきながら、
先生たちは「したこと日記」ではいけません、などと注文を付けてきた。
「したこと日記」というのは、まあ「未来日記」の逆バージョンで
「朝起きて○○した。そのあと○○して、○○に出かけた」というように、出来事だけを時系列に従ってひたすら記述していくスタイルだ。

小学生くらいでは、出来事だけを順番に並べて書いてしまうのは
無理のないことだろう。先生たちはそれではつまらないという。
確かに、多くの小学生がそういうパターンの旅行記や日記を書く。
それをいつも見ている先生たちは、刺激がなくてつまらないと感じるだろう。
だが、とうの小学生にしてみれば、旅行は刺激の連続であり、
それを順番に記録することは、彼らにとっての思い出の記録作業である。
読み手はつまらないかもしれないが、小学生各々にとっては、
旅行中の出来事を最初から思い出していくという、実に楽しい作業のはずだ。
したこと日記というのは、読んでみればどれも同じに見えるが、
書いている小学生にとっては、それぞれが個人的でオリジナリティ溢れる唯一無二の思い出なのだ。
それを読み手が「つまらないから」という理由だけで、否定してしまっていいものだろうか。
旅行記やその他文章というのは、読み手があって始めて成立するといわれる。
確かにそうではあるが、読み手が未来の自分という場合だってあるのだ。
あったことをあったままに書いて何が悪い。
そもそも、出来事をありのままに記録するためには、「したこと日記」ほど適切なものはないではないか。
したこと日記が駄目なら、ホームビデオの記録なんか最悪だ。

そんなことをいうと、「したこと日記」肯定派のように思われるかもしれないが、俺は否定派だ。
否定されると更に否定したくなる。(それは肯定という)
悪い癖だ。自分でやってれば世話がない。

とにかく、中学生のころから、したこと日記は書くまいと、一人心に決めていた。
昔から先生の指示に素直に従う、純真な生徒だったことがうかがえる。
大学へ入学する前、昔学校で書かされた旅行記やら文集やらを読み返す機会があった。
俺の旅行記は、旅行中の1エピソードについて、事細かに書かれていることが多かった。
例えば「遊園地」だけ、さらにジェットコースターに乗らなければならなくなった可哀想な俺の心境とまわりの友達の配慮のなさについて、といった具合だ。
当時は素晴らしいものを書いてしまったと、のぼせ上がっていたものだが、読み直してみると、旅行中の思い出は全然出てこない。
むしろその旅行記を書いていたときのことが思い出される。
これは旅行記ではないなと、読み直して気がついた。

どうして「したこと日記」を書きたくなかったか、それを考えてみた。
否定のために否定するような俺が、先生の指示だからと素直に従ったとは思えない。
では、何故か。
たぶん、みんながしたこと日記を書いていたからだ。

「目覚まし時計がピピピピピと鳴って僕は目を覚ましました」
小学校高学年の旅行記は大体そんな具合に始まる。
低学年なら
「朝おきて学校へいきました。○○くんと○○くんと○○ちゃんがいました」
という感じか。
文集ができあがって、それを読むたびに「みんな同じだ」と感じて、次はみんなと違ったふうに書こうと思う。
ところが、そんな考えはみんな同じで、次の文集にも同じような
旅行記が並ぶ。
小学生くらいでは「したこと日記」が何であるのかよくわかっていないらしく、みんな、手を変え品を変えながらも結局「したこと日記」を書く。

中学高校くらいになると知恵が付く。根本的なスタイルの変更が必要だと感じるようになるわけだ。
だが、それは同じ土俵で勝負することを放棄している。
手段のすばらしさだけに満足してしまって、碁盤でチェスをしていることに気付いていない。
高校生になって初めてのクラス文集に、(俺のクラスには何故かそういうものがあって、書く内容はすべて個人任せだった)俺は「MADARA」(漫画)のある1カットをコピーして、そのままそれだけ載せていた。著作権の問題に触れているかもしれない。

要するに、ありきたりの旅行記だと思われるのがイヤだっただけなのだ。
「したこと日記」自体がイヤだったのではなく、それがありふれたものだと思われていたからイヤだったのだ。
流行っているから「遊技王」が嫌いだ、という短絡的思考に等しい。(流行ってなくても遊技王は嫌いだが)

大学では旅行記など書く機会がなかった。そのせいもあるかもしれない、
したこと日記自体について考える余裕が持てるようになった。
結果、「したこと日記」はつまらなくても、無意味ではない。
少なくとも書いている本人にとっては。
という心境にいたった。
結果ではなく過程が大事、という言葉の実践ともいえる。
comments(0)
ゲームかいて〜
ある方面における最先端を行く人物が
嘘をついていたら、詐欺をはたらいていたら、
いったい誰がそれに気付くだろう。
天才といわれる人々はその才能故に完全に孤立していて、
凡人といわれる人々は証拠とか証明とかそういったものの
伝聞によってしか天才の業績を理解するこができない。
天才の作った虚構が、凡人の真実になることだってある。
疑い始めたら、それこそ事実は虚構になってしまうかもしれない。

昨日今日とニュースになっている、
旧石器時代の発掘に関する
「やってはいけないことをやってしまった」事件。
(詳しくはよくわからないけど、日本人の起源が
前70万年前ということを示す重要な石器の発掘が、
実は発掘者によるねつ造だったという事件)
問題の石器が発掘されたときは、
一部関係者の興味しか引かなかっただろうに、
それがインチキだとわかると、俺のような奴の耳にも入る。
人の興味なんてそんなものかな。
(俺がニュースを見る機会が増えただけかもしれない)
comments(1)
23時間
今日、目を覚ますと外が暗かった。
日が短くなっていることを実感した。
人間は朝日を浴びて体内時計を調節するそうだ。
太陽光線を浴びることで体内時計がリセットされ、
実際の時間との折り合いをつける。
体内時計は23時間くらいの周期だから、
時間経過のわからない場所で生活すると、
一日につき一時間くらい、就寝・起床時間もずれていくそうだ。
もしも地球が自転も公転もしていなかったら、
体内時計に合わせて一日は23時間になっていただろうか。
一日が24時間なら一年で8760時間。
一日が23時間だと一年で8395時間。
その誤差は当然365時間。
体内時計、つまり肉体が求める一年間は8395時間だが、
実際には一年は8760時間ある。
ということは、一年につき365時間というものは
体内時計を騙すことで稼がれた時間ということになる。

朝起きて太陽光線を浴び体内時計を調節する。
体の求めていない時間を無理矢理獲得する。
何者かの陰謀を感じるな。

地球が自転も公転もしていなかったら、
一日は23時間になっていたかもしれないが、
地球に生命が誕生することもなかったかもしれない。
comments(4)
今日仕事中に考えていたこと。(ボツぎみ)

「おい!ラーメンの中にゴキブリが入ってるじゃないか!」
「すいません、すぐに新しいものと取り替えます。それでよろしいですか?」

「おい!ラーメンの中にゴキブリが入ってるじゃないか!」
「すいません、すぐに新しいものと取り替えます。クワガタでよろしいですか?」


「こちらがヒレステーキになります」
「やあ、ようやく来たか」

「こちらがヒレステーキになります」
「じゃあ今は何なんですか?」


「あなた最近冷たいのね。私はあなたの何なのよ」
「…………」

「あなた最近冷たいのね。私はあなたの何なのよ」
「!!??☆♪」


「おまわりさ〜ん、今そこで、財布拾ったんですが…」
「拾得物ですね。それでは拾った場所や時間を教えてください」

「おまわりさ〜ん、今そこで、財布拾ったんですが…」
「いいなあ…」


「今度のバイオ、すごく早くて性能がいいらしいぜ」
「新型のパソコンか。興味ないな」

「今度のバイオ、すごく早くて性能がいいらしいぜ」
「新型のモビルスーツか。興味ないな」


「僕のお父さん、パイロットなんだぜ」
「すごい。かっこいいね」

「僕のお父さん、PILOTなんだぜ」
「万年筆か。しぶいね」
comments(1)
超能力の話をしよう
いやー、それにしてもスプーンがあんなに曲がるものかね?
もうグニャグニャよ。
超がつくとかつかないとか関係なく、あれはたいした技能だ。
ちょっとは入ってるんでしょう?って、相変わらず韮沢おもしれぇー。

信じられないことを目の当たりにすると、普通は疑うものだ。
あるはずがない、これはインチキだということを証明しようとする。
だが、スプーン曲げのインチキを証明できたとして、それが誰にでも簡単にできるものでないことがわかったらどうだろう。
もしも、厳しい訓練の末に到達できる境地だったら。
それって、オリンピックの金メダルと、もうほとんど差がないのでは?
100メートルを9秒台で走るのは信じられるけど、スプーンをグニャグニャに曲げることは信じられない、ってことはないでしょう。

超能力が胡散臭く思われるのは、そのメカニズムが明らかになっていないからだ。だが、超能力が超能力たる所以は、その能力が人知を越えているところにある。
メカニズムが明らかになってしまっては、もはや超能力とはいえなくなる。
肯定派の人たちが肯定したいのは、メカニズム不明の不思議な力だ。
だから超能力は信じても、どうしてそうなるのかを明らかにしようとはしない。
スプーン曲げを超能力として認めさせようとするから、反発する人が現れる。
これは特殊技能だ、仕組みは企業秘密、という風にいって回れば、反発も少ない気がする。金も稼げるだろう。
現にマジックはエンターテイメントとして認められている。

超能力者の主張というのは、
「私には人にはない能力がある。これはトリックではないし、金儲けをしたいというやましい気持ちもない。私はただ、私の能力を認めてもらいたいのだ」
ということだろうが、それはつまり、超能力者の特殊性を認めろということに他ならない。
特殊性が拒絶されるのは世の常だ。
「私は君たちとは違うのだよ、それを認めなさい」
といわれて誰が認めるというのか。

科学的アプローチによる超能力の承認が不可能な以上、超能力者が世に認められるためには、もはや実践しかない。
超能力によって生活が成り立つ人がいれば、それを認めないわけにもいくまい。
思うにスプーン曲げができて役に立つことは、人を楽しませることくらいしかない。(最後のカギを作れるくらいの能力なら別だが)
スプーン曲げ能力者が個人として認められる余地は、エンターテイナーとしてくらいしかないのではないだろうか。
それ以上、つまり人類を超越した存在として認めろというのではあまりに分不相応というものだ。
また、彼らの能力が科学的に証明され、そのメカニズムが世界の技術革新に一役買ったとしても、その能力は新しいパターンとして評価されるにとどまり、彼らが超人類として認められることはないだろう。

超能力者が超人類でいられるのは、その能力がなんだかわからないうちだけで、理解されてしまっては超が消えてしまう。
同じことがUMAにもいえて、見つかってしまうと未確認ではなくなってしまう。
なんとも儚い奴等ではないか。
俺としては奴等が見つからないことを祈るばかりである。
でも見たい。


スプーン曲げもオリンピック種目になるくらい一般に認められれば、たとえメカニズム不明でも、誰も疑わなくなるだろう。
3ヶ月後はいよいよ21世紀である。
来世紀のオリンピックには、超能力種目が多数現れるはずだ。
なにしろ21世紀なのだから。
comments(3)
昨日の出来事
朝、目が覚めて時計を見たら、3:37を指していた。
外は明るい。テレビをつけたら[笑っていいとも]をやっている。
これはいったいどうしたことか。
私はあわてて家にある時計をすべて見てみた。
民主主義の精神にのっとり、多数決で現在の時刻を決定することにした。
もちろん、公正を期すため、壊れて止まっている時計や、ビデオ等の時刻を設定していない時計も考慮に入れてある。

すると、
3:37 1票(壁掛け時計)
5:14 1票(目覚まし時計)
00:00の点滅 2票(ビデオの時刻表示、オーディオの時刻表示)
12:30 3票(腕時計、PHSの時計、テレビ(NHK)の時刻表示)

という結果だった。

というわけで、現在の時刻は、3票を獲得した12:30に決定した。
1票の差で、あやうく永久に00:00になってしまうところだった。

起きてから一番最初に見た時計が、既に壊れていることは知っていたが、
何かの弾みで直っている可能性もあったので、このような手順を踏まざるを得なかった。
いつでも時間を知ることができるようにとなるべく多くの時計を家に設置していたわけだが、かえってわかりにくくなってしまっているようだ。

起き抜けの身でありながらこのような冷静な判断が下せるとは、我ながらなんと卓越した判断能力であろう。
この冷静さと公正さは、Mルミエール(わたしの住んでいるマンション名)101号室のなかでもいちばんであると思われる。
これなら、いつ裁判所からお呼びがかかっても大丈夫だろう。

わたしは、裁判官の依頼がくるのを心待ちにしつつ、大学へ行くことをあきらめ、インターネットに繋ごうとダイヤルを試みた。

しかし、繋がらない。どうしたことか。
試しに受話器を耳にあててみたところ、話し中でおなじみの音が聞こえた。
電話していないのに話し中とはこれいかに。
わたしはいくつかの可能性を考えてみた。

1.電話を止められた
2.わたしが寝ている間に機能が強化され、常に話し中になるように仕様が変わった
3.ストライキ
5.通話可能の音が、ぷ――――から、ぷ― ぷ― ぷ―に変更されていた
6.その他

可能性としては1が高そうであるが、家には先月分の電話代の受領証が
あったため、この説はあっけなく却下された。電話代は既に支払い済みだ。

2だとしたらお手上げである。他の電話機も同じような機能が搭載されていない
ことを願いつつ、新品に買い替えるしかない。だがそんな話は聞いたことがない。

3の可能性は。そうかストか。最近電話をずいぶん酷使していたようだ。
電話くんもさぞや疲れているだろう。
そう思ったわたしは、この電話機に1分の休憩時間を与えることにした。
1分後、再度受話器の音を聞いてみたが症状は改善されなかった。
どうやらストライキでもないらしい。

4の可能性はどうだろう。
しかし4という選択肢はかんがえていなかったため、4である可能性はなさそうだ。

5の可能性を考えてみた。受話器を取り、番号を押してみたが、いくらやっても繋がらない。これも違うようだ。

こうして消去法の結果、電話が使えない原因は、「その他」であることが
判明した。
先ほどの時計問題の時は多数決、そして今回は消去法を採用し、柔軟な思考力が備わっていることを証明してみせたわたしは、すぐさま次なる行動に出た。

原因が判明したのはいいが、電話が使えないという状況に変わりはない。
こうしている間にも、一流企業から、採用の連絡があるかもしれない。
ジャイアンツの4番打者として試合に出てほしいと言われるかもしれない。
裕木奈江から、結婚してほしいという電話があるかもしれない。
うかうかしていられないのだ。

わたしが取った行動とは、NTTに抗議に行くことだ。
相変わらず冷静な判断である。

その結果、先々月および先々々月の電話代が未納だったということが判明した。
comments(3)
1/2 PAGES >>

このページの先頭へ