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2014/11/8 更新してないねぇー ねたはあるんだけどね
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Lemmingology#8:Compression Method 1
少し風が強いが、今日はすっかり春の陽気だ。
あと何日かすれば、桜の花が咲き始めるだろう。
いつもの公園を、二人でゆっくり歩いていた。
彼女と散歩するときの、お決まりのコースだ。

彼女は、お気に入りの白いワンピースを着ていた。
長い黒髪が、よく映えている。
ずっと黙っていた彼女が、ようやく口を開いた。

「私、やっぱり行くことにしたの」

半分、予期していた言葉だったが、彼女の口から出たその言葉は、僕の淡い期待を裏切るものだった。
思わず僕は立ち止まってしまった。
「どうしても・・・か?」
「うん。もう、決めたことだから」
そう言って、数歩離れたところで彼女も立ち止まり、振り返って僕を見た。
彼女は微笑んでいた。
白いワンピースが、眩しかったから、僕は思わず目を細めた。
彼女の性格はよくわかっている。おとなしい顔をしているが、
一度決めた事は最後までやり抜く人だ。
今さら、僕が何を言っても無駄だろう。
「そう、か・・・」
「ごめんね」
強い風が、彼女の、やわらかい髪をなびかせる。けれど、手を伸ばしても、その髪は僕のところまで届かない。
たったこれだけの会話で、僕はもう、二度と彼女と並んで歩くことができなくなってしまったのだと感じた。

沈黙が訪れた。
すでに、彼女は、自分の人生から僕の存在を消してしまったかもしれない。
目は合わせていても、彼女の瞳は違う何かを見つめているのだろう。
それでも、僕は精一杯の抵抗を試みる。
「本当に君の意思なのか?その、強制なんてことが・・・」
「それはないわ。すべて私の意思。私が考えて、私が決めたの。誰の意見も聞かなかったし、いまさら何を言われてもやめるつもりはないわ」
彼女は少しうつむき、悲しそうな顔になった。
「誰も理解してくれない。そんなにいけないことなの?」
そんなことを言われても、僕にはわからない。
僕はただ、彼女が離れてしまうのが堪えられないだけだ。
僕は必死だった。
「僕にはその、今の生活を捨ててまで行く価値があるとは思えないよ。将来を約束したじゃないか。ずっと一緒にいようって決めたじゃないか」
悲しそうな顔は相変わらずだったが、その瞳は僕を軽蔑しているようにも見えた。
彼女にかける言葉を間違えてしまったのだろうか。
「一生に一度の名誉よ。私が選ばれたのだって、本当に偶然。誰にでもあるチャンスじゃないの。たしかに危険だけど、死ぬって決まったわけじゃないでしょう」
「だけどさ、君はまだ若すぎる。それに女性だ」
「やめてよそんな事言うの。あなただったら、笑顔で送り出してくれると思ったのに。わかってくれると思ったのに」
すでに彼女は涙目になっていた。
風はおさまらない。これ以上強くなったら、彼女は飛ばされてしまうかもしれない。
そのくらい、病気がちの彼女の体は華奢だった。
その体を抱きしめたかったが、それもかなわなかった。
たった数歩の距離が、ものすごく遠く感じられた。

そして長い沈黙。
彼女にかける言葉が見つからない。
「もう、これ以上話すこともないと思う」
彼女の口から出たのは、決定的な一言だった。
僕にはもう、彼女をまっすぐ見据えることすらできなかった。
「ひとつだけ教えてくれ。君にとって、そんなに魅力なのか。その・・・ポールポジションというのは」
彼女は一瞬だけ、上目遣いで僕を見て、そして小さく頷いた。
その顔は、微笑んでいるようにも見えた。
「さよなら」
彼女はそういうと、踵をかえし、再び一人で歩きだした。一度も振り返ることなく、
やがて僕の視界から消えていった。
僕は、しばらく動けなかった。
風は相変わらず強かったが、急に冷たくなったような気がした。

数日後、僕は彼女の死を知った。
ミッション開始5秒で、彼女の名誉あるポールポジションは終わった。
彼女はスタート直後、ファイヤーアームの毒牙にかかって、その身体を消滅させたらしい。
ミッション失敗。彼女の死は、何の意味も持たずに終わってしまうという結果になってしまったようだ。
同じ頃、僕の元に一通の手紙が届いた。同じミッションの第二次突入隊の参加申込書だった。
いつもの公園の桜の花は、もう散ってしまっただろうか。
最後にもう一度、一人であの散歩道を歩いてみようと思った。
comments(1)
Lemmingology#7:Steel Works
今日もやってまいりました、「罠の世界」の時間です。
パーソナリティは私、虎鋏地雷之助です。
解説は、おなじみ、物理罠学博士、オトシアーナ・ギ・ロチンさんです。こんばんは。
こんばんは。ロチンです。よろしく。
さて、今日ら数回に分けまして、ゲームにおける数々の罠を特集してみたいと思います。
本日は、おなじみの三国志から行ってみましょう。よろしくおねがいします。
はい。三国志に登場する罠は、舞台が舞台だけにとても古典的です。
斬新なものは少ない。しかし、そこから学ぶ点も多数あるわけですから、
おろそかにすることはできないでしょう。三国志には、大きく分けて
2種類の罠が存在します。ひとつは野戦・攻城戦のときの落し穴や落石などの罠。
一般的に罠と呼ばれるものです。もうひとつは、流言や埋服などの、
計略に属するものですね。
なるほど。計略も罠に入るんですね。
まあ、意見が分かれるところではありますが、私としては、罠の仲間に
入ると思っています。敵を罠に嵌めた、とか言いますからね。
それでは、まず最初に、主に戦闘時の罠について解説していただきたいのですが。
わかりました。
まずは火罠から。
はい。アジア地方では最もポピュラーかつ最古の罠です。
火をつけるという、ただそれだけですからね。
ただ、これだけならば罠でもなんでもない。しかし、現代の地雷のように、
敵がスイッチを踏むなりして発動するようなものは、立派な罠になるわけです。
なるほど。
一番の目的は、敵の部隊なり兵糧庫なりに火をつけ、その数を減らすこと。
もちろん、敵も黙って火をつけられるのを待っているわけもないので、
どうやったら敵を火攻めにするところができるか。このプロセスこそが
火計の罠たる本来の部分です。
では、さきほどもありましたように、火のつくスイッチを地面に隠しておく
というような部分ですね?
そうです。あとは水上戦の場合も、
敵の船同士を繋げて動けなくしてしまってから
火矢を放つなどですね。火計自体は地味な計略ですが、
効果は計り知れない。敵の数が減少するだけでなく、
一時的に混乱させることもできますからね。
よくわかりました。では、落し穴はどうでしょうか。
落し穴の成功率に知力など関係ないと思います。
たしかにそうですね。では城を守る際の落石はどうでしょう。
あんな大きな石をどうやって何個も城のてっぺんに運ぶんだと、
私は言いたい。
では同士討ちの計などは。
普通騙されません。
特殊な罠として、妖術や幻術などもありますが。
あれはプラズマです。罠でも計略でもなんでもない。
なるほど。では、戦闘以外の罠についておねがいします。ええと、
流言や二虎競食、駆虎呑狼の計について解説願えますか。
ありえませんね。
今回はずいぶん辛口のようですが。
そうかもしれません。私はもっと物理的な罠が好きなので。このゲームで
気になるのは落し穴くらいですね。
どうもありがとうございました。次回はゲームにおける罠、第二弾と
いたしまして、レミングスを取り上げてみたいと思います。ロチンさん、
本日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。


今日もやってまいりました、「罠の世界」の時間です。
本日はスペシャル版ということで、時間を拡大してお届けします。
パーソナリティは私、虎鋏地雷之助です。
解説は、おなじみ、オトシアーナ・ギ・ロチンさんです。こんばんは。
こんばんは。ロチンです。よろしく。
さて今回は、かねてからですね、リスナーからの要望が高かった、
レミングスについて解説していただくわけですが。
はい。レミングスは、罠を研究する上で、絶対に避けては通れないです。、
研究者である私などは1週間に一度は全ステージクリアするようにしています。
それはすばらしいですね。
罠の美学、罠の哲学、とにかく罠のすべてがこのゲームに集約されていると
言ってもいい。
では、虎バサミからおねがいします。
虎バサミの本来の目的は、標的すなわちターゲットを動けなくする、
足止めをすることです。トルネコの大冒険をやったことのある人なら
わかると思います。
わかります。あれには悩まされました。
トルネコにおける罠の解説は次回以降に持ち越しますが、私がなにを言いたい
のかというと、レミングスの虎バサミはすばらしい。
と、おっしゃいますと?
標的の足止めにあらず。殺戮するための兵器だということです。
なるほど。
しかも普通、虎バサミは一度発動したら終わり。仕掛けた本人が
再びセットしなければ二度と使えないのです。
ははあ。たしかに、一度発動して噛み付いたら、
絶対に放してはいけないわけですからね。
そうです。しかしレミングスの場合は噛み付いたあと、すぐ放す。
噛み付いたままでいる必要がない。なぜか。一度噛み付けば、たとえ放しても
標的は二度と動かないから。すなわち標的が確実に死亡するからです。
たしかに。
そのために連射が利くようになる。これはレミングにとって脅威意外の
何者でもない。
すばらしいですね。では、逆さ首吊りはどうでしょう。
申し訳ないが、それは後で解説します。次はファイヤーアームが良い。
失礼しました。ではファイヤーアームについておねがいします。
火炎放射器と同時に解説してしまいましょう。これらは、
前回三国志で説明した、火罠とプロセスが非常に似ている。
と、申しますと?
たとえば先ほどの虎バサミでは、普段は地面に隠れていますよね。標的が
真上に現れたときだけパクッと、こう来るわけですな。明らかに罠です。
確かに。
ファイアーアームは、その存在自体を隠そうとしていない。危険度で言えば
最高クラスであり、連射も利く。しかしこれは罠にして罠にあらず、なのです。
もう少しわかりやすくお願いします。
つまり、この罠があるステージは、ステージそのものが罠だということです。
レミングたちがどうしてもその場所を通らなければいけない場所に、
これ見よがしに置いておくからです。
わかる気がします。
彼らに何の命令も与えなければそのまま全滅してしまう。虎バサミと違って
一匹も通り抜けることが出来ない。そこで攻略法を考えざるを得ない、と。
なるほど。少し難しかったですね。次は何にしましょう。
では巨大柱について解説しましょう。これは虎バサミ系に属します。
明らかな罠、ということですね?
そうです。罠としての性能、この場合の性能とは殺傷力や連射などを
さしますが、これは低い方です。
そうですね。固まって通過すれば被害は最小限に抑えられますからね。
はい。ただし、この罠の発見率の低さは目を見張るものあがあります。意外なところに
隠されている場合が多い。
たしかにそうかもしれません。
分かってさえいれば回避は容易ですが、初回プレイ時や、ゴールまでの道筋が完成して、
あとは見ているだけという状態なったときに出てくる、
プレイヤーの一瞬の油断、隙が命取りなのです。
一匹だけしかやられてないのにクリアの条件を満たさないときがありますからね。
あとは音ですね。かなり大きい音がします。これはプレイヤーに与える
心理的効果も高い。侮れない罠です。
私もこの罠を見直しました。
また、少数ながら、プレス機という罠の存在も確認されています。これは
巨大柱の小型タイプであり、改良版です。
巨大柱との違いは何でしょう?
まず、発見されにくいこと。一度かからないと、まずわからないでしょう。それから、
ひとつのステージに大量に存在していることが多い。あと、これが大事なのですが、
多少ビジュアルに拘っているという特徴があります。
どのようなビジュアルなのでしょう。
巨大柱は標的を押しつぶすものでしたが、これは多少違いまして、
標的を地面に埋め込むわけですな。レミングを釘かなにかに見立てて、
金槌のごとく何度も上から叩くのです。こういいますと、一匹の処理に時間が
かかるかと思われるかもしれませんが、意外と動作は速い。
巨大柱とそう変わらないほどのスピードは維持しているのは特筆すべき点です。
それはレミングにとっては怖い存在ですね。
では逆さ首吊りを解説しましょう。このタイプについてはまとめて説明
したかったのです。
既出の罠とはタイプが違うのですか?
はい。これは完全にビジュアル重視タイプです。
ビジュアル…ですか?
さようです。
この罠は、レミング一匹を処理するのにとても時間をかけていることからわかると
思いますが、仕事が非常に丁寧なのです。足を捕まえて逆さ吊りにし、
地面にたたきつけるビジュアル。これがこの罠の存在意義、
存在価値とでも申しましょうか。確かに、性能だけに注目すれば、
連射が利かないし、隠れているわけでも
ないから回避されやすい。それどころか、もともと設置されている場所が、
基本的にレミングたちの通り道にないのです。
そういえばそうですね。
だからゲームクリアのみに固執するプレーヤーであれば、一度も
かかったことがないということもありえます。
はあ。
しかしそれではあまりに悲しい。この罠は、
製作者とプレーヤーが一体になる、罠の美学ともいえるものです。
わざわざこの罠にかかるために、レミングの一匹や二匹をつれてくるぐらいの
度量を見せておかなければ、罠に対して失礼に値しますし、
到底真の罠学者にはなれません。
なるほど。だいぶロチンさんも熱がこもってらっしゃるようですね。
当然です。この罠に出会えたことは、私の人生に大きな影響を
もたらしたといっても過言ではありませんからね。
ではこの罠のほかに、ビジュアル系に属する罠を紹介していただけませんか。
わかりました。ビジュアルといえば、はずせない罠があります。
ミンチローラーですね。
何度も申しますが、罠というものは、性能だけにこだわれば、虎バサミのように
コンパクトかつ連射の利くものほど良いとされています。しかし、
すべてをかなぐり捨て、ビジュアルのみにこだわる、
罠の美学。罠にかかれば標的は死亡するのが当たり前。柱に押しつぶされても、
虎バサミに挟まれても死は死です。そこで製作者は思ったことでしょう。
ただ殺すだけで良いのか…?と。こう感じたに違いない。
そして出来上がったのがこのミンチローラーです。ビジュアルで言うなら
逆さ首吊りよりもすばらしいと、個人的には思うわけです。
どうせ死ぬなら華々しく死にたいとレミングたちも思っているはずですし、
彼らの間ではこのミンチローラーにかかって死ぬことこそが最大の栄誉だと
いうレミングもいるくらいです。
確かに単に溺れたり墜落しただけではプレイヤーは見向きもしませんからね。
そうです。個性のない彼らが唯一注目してもらえる場面がちゃんと
用意されているわけです。この罠の人気が高いのも頷ける話なのです。
他にはこういった罠はないのですか?
そうですね、強いて言えば電撃マシンがあります。
ああ、それは見たことがあります。
この罠には横型と縦型の二種類がありますが、どちらも共通しているのが、
「ステージの背景にうまく溶け込んでいるということが挙げられると
私は思います。
罠としての機能をうまく果たしているわけですね。
そうです。まったく隠れていない。しかし背景なのか罠なのか
見分けがつかない。
それでいてビジュアルはしっかりしていると?
はい。標的がこの罠の射程範囲に入ると、突然電撃を放ち、
レミングを感電死させます。このとき、
レミングの色は真っ白になり、光を放ちながら死んでいきます。
これは非常に怖い。プレイヤーに対する心理的効果も抜群です。
罠としての発見率の低さと発動時のビジュアルをうまく両立させていると
いうわけですね?
そのとおりですが、ひとつだけ残念な点がありまして。
何でしょう?
このゲームに登場する罠の中でも非常に稀なのですが、この電撃マシンは、
遠距離型なのです。
遠距離型?
おそらく発動するためのスイッチのようなものが地面にあると思われるのですが、
実際に電撃を受けるのは、そのスイッチを踏んだ者だけです。
そうなんですか。
標的が射程ポイントより近くにいても、発動しませんし、発動しているときに、
それより手前にいても、そのレミングは無事なのです。
それは非常に珍しいですね。
そうですね。まだまだこの罠には研究に余地がありますね。
そういえば、ビジュアルといえば、カメレオンという罠が
最近発見されたそうですが。
あれは、確かにビジュアル重視ですが、多少趣が違います。
と、おっしゃいますと?
存在としてのビジュアルなのですよ。あれは。勘違いの感は
否めないところです。
そうなのですが。
もちろん、罠ではあるわけで、危険度はそこそこあります。もしかしたら
プレイヤーを油断させるという目的があるかもしれませんが、現在の
ところは研究段階なので、あまり詳しいことは判っていません。
なるほど。研究の成果に期待したいところです。
レミング以外の生物という意味でもカメレオンは貴重な存在ですから。
たしかに、あのゲームには生命の息吹がほとんど感じられませんからね。
生命体という意味では、レミング、カメレオン、そしてもうひとつ、
これも罠なのですが、食虫植物がいます。
正確には食レミング植物ですね。
正式な名前はまだついていないようですがね。この生物は、
カメレオンに比べると見事なほど、罠としての存在を認識しているようです。
たしかに、ちょっと地面から生えているだけですから、草と見分けが
つきにくいですね。
そうでしょう。そして連射も利くし、一匹あたりの処理時間も高速です。
とすると、虎バサミに匹敵する能力、ということですね。
そのとおり。総合的な危険度でいえば、かなり高いレベルにあります。
ええと、申し訳ありませんが、ここでお時間が来てしまいました。
そうですか。まだまだ紹介したい罠がたくさんあったんですが、残念です。
では残りについては別の機会ということで。
わかりました。
では最後に、まとめといたしまして、一言お願いします。
オホン。最近、プロ・アマ問わず、罠の研究者が増加傾向にあるのは
大変喜ばしいことでありますが、
基本をおろそかにしている者が多いのもまた事実です。
始めも申し上げましたが、この道を志す者にとっては、レミングスというゲームは、
必ずやっておかなければいけない、教科書のようなものです。
最低でも一ヶ月に一回はクリアして、知識と理解を深めていってもらいたいと
思う所存であります。以上。
ロチンさん、どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
次回は、ゲームにおける罠シリーズの最終回になります、
カラテカに迫っていきたいと思います。それでは。


今日もやってまいりました、「罠の世界」の時間です。
パーソナリティは私、虎鋏地雷之助です。
解説は、おなじみ、オトシアーナ・ギ・ロチンさんです。こんばんは。
ロチンさんは今回の出演で最後になってしまいますが、
どうかよろしくお願いします。
こんばんは。ロチンです。よろしく。
さて、大好評のゲームの罠シリーズも、三回目にして最終回ということに
なります。今回のテーマはカラテカです。それでは、
ロチンさんに解説をお願いしたいと思います。よろしく。
はい。これは非常に難しい。まだ解明されていない部分が多すぎるんです。
そうなのですか。罠学の権威であるロチンさんでも?
そうです。このゲームに登場する罠についての論文は多数存在しますが、
完全に解明したといえるようなものはひとつもない。
そんなに難しいものとは思いませんでした。
この研究で成果を上げる人がいるとすれば、ノーベル罠学賞は確実です。
私のような素人にはわからないのですが、どの辺りが難しいのでしょう?
では、このゲームに登場する罠を列挙してみましょう。まず、
スタート地点。右に向かって進んで行くアクションゲームですが、スタートは
断崖絶壁の上から始まる。右に進んで行けば敵のアジトがあるのですが、左に
後ずさりすれば、崖からあっさり落ちてゲームオーバーです。
・・・。
もうひとつ。ゲーム中盤に位置するギロチン。主人公が通り抜けようとすると、
上から刃が落ちてきて、これもあっさり死んでしまう。
・・・。その二種類だけですか?
現在のところは、です。なにしろ、ギロチンから先へ進めないのですから。
どうやってもですか?
どうやってもです。
それでは研究のしようがありませんね。
そうです。残念ながら、私の知るところは以上です。
どうもありがとうございました。時間が多少余ってしまいましたので、
また、ロチンさん本日で最後ということもありますので、
なにか一言いただきたいのですが。
では少しだけ。カラテカというゲームは、その名のとおり純和風なゲームですが、
海外で製作されたものです。だからギロチンが出てくる。また、
今回のシリーズでは紹介できなかったが、プリンスオブペルシャというゲーム、
それから前回紹介したレミングス、どれも罠ゲーですが、海外製です。
これらのゲームに共通する、罠の定義というものが、日本のそれと
ずいぶん異なっていることは注目すべき点と思います。
日本のゲーム、たとえば三国志、まあ舞台は中国ですけどね。
もちろん信長の野望にも罠はあります。また、。
前回チラッと出てきましたトルネコの大冒険。風来のシレンもそうです。
ドラクエなどのRPGにも、人食い箱などの罠がありますね。
これら国産のゲームにおける罠の定義、まあ存在理由というか、価値ですな。
これは、標的を消耗または足止めするところにあるのです。いわば時間稼ぎの手段です。
しかし海外産のゲームの多くは、罠イコール殺人兵器という位置付けになるのです。
時間稼ぎなどというちまちましたことは好まない。標的の
殺戮を第一の目的として罠が存在しているのです。
だから当然罠ゲーというジャンルも確立されている。
日本のゲームの場合は罠は補助的な攻撃または防御の一手段でしかありませんから、
メインで使用されることはない。当然、罠ゲーなどというジャンルもありません。
この罠文化の違いについて、もっと深く掘り下げていきたいというのが、
私の罠学人生の始まりであり、また最大の目標でもあるのです。
ロチンさん、どうもありがとうございました。
それではそろそろお別れのお時間です。次回は、電車に乗っているときの
罠について、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。
今回で、物理罠学博士、オトシアーナ・ギ・ロチンさんは
最後ということになります。次回からの講師は、現代状況罠学の第一人者である、
ガム・フンヅケータさんにお越しいただくことになっています。
ロチンさん、どうも、お疲れ様でした。ありがとうございました。
私も楽しかったです。ありがとうございました。
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Lemmingology#6:Lend a helping hand....(3/3)

開けた通路にはワタリとツキシマだけが残された。頭に直接響くようなあのどこかとぼけた曲が、繰り返し繰り返し途切れることなく流れいる。
愉快なクイズタイムを終了したキーティングはそれきり何も言ってこない。
スギムラもハラダも、同じ時間を共有し合った仲間はみんなみんな死んでしまった。ゴールはもう目前だというのに。
立ちはだかる壁の手前にツキシマがポツンとうつむいて立ち尽くしている。スギムラが生きていれば、何か励ますような言葉をかけてあげただろうか。しかしワタリにはそんな言葉など思い浮かばない。
状況は何も変わっていなかった。
目の前には壁があり、ワタリのポケットにはボンバーがひとつ。
もう決断しなければならない。
「ツキシマ……」
ワタリはポケットからスイッチを取りだし呼びかける。ツキシマがゆっくりと顔を起こした。疲れ切ったその表情。
「残ってたんだね、まだ……」
ワタリの手元に視線を移してツキシマが囁く。諦めたような、絶望に満ちた声だった。
「さっきは言い出せなかった」
「そう……」
ツキシマは一度後ろの壁を見上げてから再びワタリに視線を戻す。そして訊ねた。
「──それ、どうするの?」
ワタリには答えられない。答えたくない。しかし──
使わなければ二人とも死ぬ。
「ツキシマ──」
ワタリは一歩踏み出した。
ピクッと肩を震わせたツキシマがゆっくりと退く。しかしその背後には壁。
「あのさ、スギムラがお前のこと好きだって言ってたんだ。気づいてたか?」
「うん。……知ってる」壁際に追いつめられたツキシマは後ろ手に壁を探っている。「この前スギムラに言われたから」
「ああ、なんだ。じゃあちゃんと言ったんだな、あいつ」
言いながらワタリは手の中のスイッチを確かめた。
「……いや、それならいいんだ。なんて言うかさ、俺、見ててもどかしくて……」
ここで生き残れるのはどちらか一人。
もうすぐ全てが終わるだろう。
「ワタリ君」
ツキシマが真っ直ぐにこちらを見つめて言った。
「……私を殺すの?」

                    *

──それとも俺が死を選ぶかだ。
ワタリがそう思ってスイッチを握りしめたとき、
コツ、コツ、コツ。
上空から何か妙な音が聞こえた。咄嗟に二人は顔を上げる。
三面を取り囲む高い壁の頂上。それより遙かに高い天井との間。そこからにょっきりと白い板のようなものがせり出している。
その先端に佇む人影。
「て、テラワキ?」
ワタリは思わず声を漏らした。ツキシマも目を見開いて声を失っている。
それは間違いなくテラワキだった。残る最後の生存者。
左の肩にバッグを担いでじっとワタリたちを見下ろしていたテラワキは、不意に降参でもするように両腕を広げてみせると、何故か大げさに首をすくめた。
そして次の瞬間、
「な──」
躊躇いもせずポンと板の先から飛び降りる。
唖然と見守るワタリたちをよそに、悠々と空中で手にした黄色い傘を開いたテラワキは、それに掴まるようにしてフワフワと落下。
そのままスタッと器用に着地した。
「よう、ワタリ。ツキシマ。残りの二人ってのはお前らか」
着地と同時に傘を投げ捨ててテラワキが言う。
ワタリはしばらく声を出すことができずにいた。放送を聞いていれば、テラワキがまだ生きていることは知れたのだろうが、まさかこうして再会できるとは思わなかった。それにしても、なんて登場の仕方だ。
「て、テラワキ君──」
しばらくしてから、ようやくツキシマが声をかけた。するとテラワキはゆっくりと周囲を見回し、あたりの状況を確認しているようだったが、ふと驚いたように視線を止めて、ワタリの手元を凝視した。怪訝そうに眉をひそめる。
「おいワタリ、まさかそれ使うつもりか?」
不自然なくらい落ち着き払った声。
──使う? 使うって、何を……
「お前が持ってるのって、ボンバーのスイッチだろ?」
その言葉を聞いた途端、ツキシマが思い出したように表情をこわばらせた。
テラワキの口元がニヤリと歪む。
「ち、ちが──」
一瞬自問するワタリ。
本当に違うのか? はっきりとそう断言できるのか? 手の中にボンバーのスイッチ。目の前にツキシマ。この場所で生き残るための手段は一つしかなかったはず──。
「……ワタリ君?」
ツキシマの声で我に返ったワタリは、咄嗟に右手のスイッチを引っ込める。
しかし、
「おいツキシマ、いいから早くこっちに来い。殺されるぞ」
不意に声を張り上げるテラワキに、ピクッとツキシマが反応した。
「待ってくれ! 違うんだ、俺は──」
ワタリは続けて弁解しようと乗り出したが、素早く身を屈めたツキシマに突き飛ばされて体勢を崩した。その隙に壁を離れたツキシマは、逃げるようにしてフラフラとテラワキの方に駆け寄ってく。しかし。
「──きゃッ」
「ツキシマッ!」
ワタリから数メートル離れたところで、テラワキが突然ツキシマの腕を掴んだ。そのまま身体を捻るようにして背後を取ったテラワキは、素早く腕を首にまわしてもがくツキシマの動きを封じる。ほんの一瞬の出来事だった。
「なんのつもりだッ! テラワキ!」
「おっと、動くなよ。ワタリ、まずは質問からだ」
咄嗟に床を蹴るワタリだったが、鋭いテラワキの声に気圧されて立ち止まる。
「そのボンバー以外にアイテムは?」
「ぅ、うぐぅ」
首を絞められたツキシマが苦しそうにうめき声を上げる。
「やめろッ! なに考えてんだ!」
「答えろ、どうなんだ? そのボンバー以外に何か持ってるのか?」
「ない! 持ってない! もうこれだけだ! ツキシマを放せッ!」
叫ぶワタリ。しかしテラワキはじっと睨み付けたまま動かない。その表情はあくまでも落ち着いているように見えたが、行動はすでに尋常ではなかった。
「無理に動くなよ、ツキシマ。腕が折れるぞ」
脅すように諭され、もがいていたツキシマが抵抗するのをやめる。
ワタリにはテラワキの意図が読み切れなかった。ただでさえ差し迫っていた状況が、ますますその度合いを増している。
「それじゃあもう一つ聞くぞ」ツキシマの後ろに立ったテラワキがどこか満足そうに口元を歪めて言った。「──ワタリ、お前にツキシマが殺せたか?」
それは妙な問いかけだった。
「なんだと? どういうことだ?」
「俺が来る前、お前は何をしようとしてた? ツキシマを殺そうとしてたのか? そのボンバーを使って」
テラワキの言葉にツキシマがうっすらと目を開いた。ふるふると揺れるその瞳。
「……違う」呟いてワタリは首を振った。「そうじゃない」
「だろうな」テラワキが冷ややかに言う。「じゃあ、自分で使うつもりだったのか? ツキシマを生かすために?」
そう問われてもワタリは答えることができなかった。もちろん、それも一つの選択肢であることは承知している。しかし……。
「もし自爆するつもりだったんなら、今からでもそうしてもらえると助かるんだけどな。あいにく俺もアイテム切れでね。ゴールはその壁の向こうなんだろ?」
しれっと言ってのけるテラワキ。その表情には圧倒的な優位者の笑みが浮かんでいた。
「くッ──」
ワタリは悔しさで身悶えする。その姿を愉快そうに眺めていたテラワキが、たっぷり間を取ってから頷いた。
「わかってるよ、ワタリ。要するにお前は何も決められなかったんだろ。せっかくのボンバーを無駄にして、二人で仲良く時間切れを待つしかなかった。でもやっぱりまだ死にたくはないんだろ? 違うか?」
──そう。きっとそうなのだろう。けれど。
犠牲にするのも犠牲になるのも全部拒んで、それでも生き延びたいと思って何が悪い。
ワタリは知らず拳を強く握りしめている。
「ワタリ、助けてやるからそのスイッチを渡せ。今からこいつをボンバーにする」そう言ってテラワキはぐっと腕に力を込めた。ツキシマが苦しそうに悶える。「お前が嫌だっていうなら俺がかわりにやってやるよ。それでお前は手を汚さなくて済むし、俺もお前も二人とも助かる。悪くないだろ?」
「ふざけるな。そんなことできるか! ツキシマを放せ!」
真っ直ぐにテラワキを睨み付けてワタリは言った。しかしテラワキは一向に怯まず、ふうんと一度納得したように頷き、
「そうか、お前はツキシマを助けたいんだな? だったらお前がボンバーになってその壁を壊せ。そうすればツキシマは助けてやる。この先にゴールがあればの話だがな。迷ってる暇はないぞ。どっちも選べないなら、俺はツキシマを殺してお前をボンバーにしたっていい。その方が楽だ」
「黙れよ、テラワキッ!」
怒鳴りつけ、ワタリは素早くスイッチを握る右手を高く掲げた。
「ツキシマを放さないなら、俺はこいつを叩き壊す」
それは半ば自棄くその行動だった。悔しさに駆られ、冷静な思考力が失われている。もしテラワキが素直に従わないようなら、このままスイッチを思い切り床に叩きつけてやるつもりだった。
しかしテラワキは見透かしたような瞳を向け、ゆっくりと首を左右に振った。
「お前、それ意味がわかって言ってるのか?」
突き放すような冷たい声。ワタリは同じ要求を繰り返す。
「黙れ! 俺は本気だ。ツキシマを放さないなら今すぐこいつ叩き壊す」
「やってみろよ。だが、それでどうなる?」テラワキが鋭く切り返した。忌々しげな表情を顕わにして、ツキシマの首に回していた腕にグッと力を込める。
「ぅう、うっうぅ」
ツキシマが苦しそうに身を揺すった。
「少しは頭を使え、ワタリ。お前は何がしたい? スイッチを壊したところで、自分で自分の首を絞めるだけだぞ。ツキシマをボンバーにするのと何が違う? お前は俺たちと心中でもしたいのか?」
問いかけられ、ワタリは次第に冷静さを取り戻していく。
──心中だと? 冗談じゃない。誰がお前なんかと。
しかし……そうなのだ。テラワキの分析は正しい。スイッチを破壊すれば道は完全に閉ざされ、ここで三人リミットを待つ以外に方法はなくなる。ボンバーは唯一最後に残された希望なのだ。たとえ絶望とイコールの希望であっても、希望は希望。
全てを投げ出し希望を失い、ただここでじっと死を待つ──俺にそれができるか?
ワタリはゴクリと唾を飲んだ。
すでに見越していたのだろう、テラワキは余裕の表情を浮かべている。そしてツキシマの祈るような眼差し。
──駄目だ。スイッチは壊せない。
理解したワタリだったが、掲げた右腕を下げることはできなかった。
要求に従ってスイッチを渡せば、ひとまず生き延びることは可能だろう。何も決められない自分とは違い、テラワキはきっと躊躇わずにツキシマをボンバーにする。しかしそんなことは認められるはずがない。ツキシマを犠牲にすることは……たとえ自ら手を下さなくても、それだけはスギムラが許さない。
なら俺がボンバーになるか? そうすればツキシマは助かる。何もかも諦めてスイッチを壊す決心がついていたなら、さっきすでにそうしていたかもしれない。いや、躊躇わずにそうするべきだったのだ。どうせ死ぬ覚悟があるのなら、せめて人の役に立って死ねばいい。しかしそれはできなかった。できなかったのは自分がまだ死にたくないからだ。
──ちくしょう。決められない俺は臆病者か?
「もうわかっただろ、ワタリ」
テラワキが落ち着き払った声で言う。
「ツキシマを助けたいならお前が死ね。死にたくないらスイッチを寄越せ。他に選択肢はないんだ。早く決めろ」
「駄目だ! ツキシマを放せ!」
叫びながらワタリは必死で右腕を掲げ続けた。今はその手の中にあるスイッチだけが、唯一こちらに与えられたアドバンテージなのだ。たとえ状況的判断からスイッチを壊せないと見透かされていても、実際の実行力はこちらにあるのだし、少なくともテラワキだってスイッチの破壊だけは免れたいと考えているはず。いや、そうじゃない。それは確実にそうだと断言できる。このことに関しては相手も必死だ。つまり逆に考えれば、このスイッチは最終的な切り札になり得る。
「テラワキッ! 俺は本気だって言ってるだろッ! 早く言うとおりにしろ!」
「呆れたな。まだそんなことを言っているのか?」テラワキがゆっくりと首を振りながら言う。「ワタリ、それを壊せばお前も死ぬんだぞ? それがわかっているなら、もう無駄な悪あがきはやめろ」
やはりそうだ。テラワキはまだ警戒している。お前も死ぬぞと繰り返し脅してくるのは、こちらに状況を理解させてスイッチの破壊を防ぎたいからだ。
ならばスイッチを壊せないとはっきり認めるわけにはいかない。むしろそれを逆手にとって交渉の主導権を握る。最悪でも膠着状態には持ち込めるだろう。
「その手を下ろせよ、ワタリ。どのみちお前にそんなマネはできないんだからな」
じっとこちらを見据えてテラワキが言った。
「いいや。できるさ」
右腕を掲げたままワタリは努めて冷静に言う。嘘でもハッタリでも、ここは相手に揺さぶりをかけることだ。上手くすればツキシマを解放させ、何とか話し合いに持ち込むことができるかもしれない。そのあとのことは──。
今は考えなくていい。
「……テラワキ、俺はもう諦めたんだ。さっきだってスイッチを壊そうと思ってた。そりゃまだ死にたくはないけど、でも生き残ることだってそんなに望んでるわけじゃない。俺は人を殺したくないし、殺されるのも嫌だ。だからこいつを壊して時間切れまで待てば、少なくとも俺は誰も殺さずに死ねる。そうだろ?」
「そう思うなら、お前はスイッチを渡して何処かに消えろ。そんで死ね」
しかしテラワキは微塵も動揺を見せなかった。
「バレバレなんだよ、ワタリ。お前はさっきよりずいぶん冷静になってる。だからそいつはハッタリだ。本当に諦めてるなら、ツキシマを放せなんて要求はしない」
咄嗟に反論することができなかった。自暴自棄の演技はあっさりと見抜かれている。
言われるまでもなく冷静さを取り戻したワタリにはスイッチを壊すことができない。一方テラワキも次第にそれを確信しつつあり、状況はますます悪くなっていく。
「いいか、ワタリ。念のために言っておくがな、もしお前がそのスイッチを壊したら、俺はこの女を徹底的に殺すぞ。あっさりと殺したりはしない。残りの時間を全部使って、お前らに地獄以上の地獄を見せてやる」
そう言ってテラワキはツキシマの髪を掴み、涙でぐしゃぐしゃに濡れたツキシマの顔をこちらに向けた。
「さあ、どうするんだ? ワタリ」
有無を言わせぬ表情でテラワキが迫る。ワタリは必死で考えた。しかし、そうして考えれば考えるほど、最も安直な手段──ツキシマをボンバーにして生き延びるという選択が再び現実味を帯びて浮上してくる。
違う、駄目だ。まだ方法はある。
その誘惑を揉み消してワタリは言った。
「……待ってくれ、テラワキ。話し合おう」
「話し合う余地はない」
「いいから聞け」
あっさりとはね除けるテラワキに構わずワタリはすぐに話し始める。
「……確かにお前の言うとおりだ。俺がこいつを壊せないのは認めるよ。でもそれはツキシマが無事でいる間に限ってのことだ。もし今お前がツキシマを殺せば俺は躊躇わずにスイッチを壊す。これはハッタリじゃない」
こうなればもう認めるしかない。そしてそれは本気の意思表示でもあった。あとはテラワキが信じてくれるよう祈るだけだが、今度はすでにはっきりとその効果が現れいてた。
ピクリと眉を動かしたテラワキは、じっとこちらを睨み付けている。ジリジリと苛立つように刻まれる眉間の皺。すぐに反論してこないのはこちらの言い分を吟味し、次の対応を練っているからだろう。
よし。これでひとまず、かなり危うい状態ではあるが一時的にツキシマの安全は保持することができた。しかし恐れていた膠着状態。
──さて、どうする?
このまま牽制しあっていても時間の無駄だろう。根本的な解決にはならない。同じような要求を繰り返しても、よくしてせいぜい時間稼ぎ。しかもそれは稼ぐ価値のない時間だ。リミットは確実に迫っている。そして悪くすれば相手を逆上させる。堪えきれなくなったテラワキがツキシマを痛めつけ始めるのも時間の問題だ。それはわかっている。
ワタリはゆっくりと深呼吸した。
──ツキシマを取り戻すんだ。
そう。人質であるツキシマを奪還することができれば間違いなく状況は変わる。テラワキの優位性とは全てその上に成り立っているのであり、人質さえなければこちらの行動が制限されることはない。
──でもどうやって?
一瞬、強引に突っ込むことを考えたワタリだったが、そんなことをすれば、テラワキはあっさりとツキシマを殺すだろう。たとえツキシマの存在を無視したとしても、テラワキはワタリよりもずっと体格がいいし、何より喧嘩慣れしているから、格闘に持ち込んだところで圧倒的にこちらが不利。不用意に仕掛けるのはあまりにも危険だ。
「……テラワキ」
先手を取ってワタリはすぐに話し始めた。
「もうよそう。こんなことしてても誰も助からない」
「違うな。それはお前の選択次第だ。ワタリ」すかさずテラワキが口を挟む。「ボンバーを使えば、お前かツキシマのどっちかは助かる」
あくまでも自分は生き残る気でいるらしい。それも当然なのだろうが。
ワタリは首を振って続ける。
「ツキシマを放さないならスイッチは渡せない。こんなやり方は間違ってる。ボンバーを使うにしても、使わないにしても、それは三人で話し合って決めるべきだ」
「話し合うだと? 何を寝ぼけたこと言ってる。お前たちはそれで何か一つでも解決できたのか?」
ちくしょう。腹の立つ奴だ。
「少なくとも協力はしたさ」ワタリは声に力を込めて言う。「水もアイテムもみんなで分け合ったし、最初は上手くいってた」
「その結果がこれだ」テラワキが足下に視線を移した。そこにはテラワキの担いでいたバッグが転がっている。「もう何も残ってないがな、もとは一杯にアイテムが入ってた。チバが持ち逃げしたんだろ?」
なるほど、テラワキはチバが奪ったアイテムをさらに奪ってここまで来たということか。まったく。ワタリはため息をつきたくなる。
「みんな追いつめられて混乱してたんだ。もっと落ち着いて行動すれば、誰も死なずに済んだかもしれない」
「今更だな」
「ああ、今更だよ。でも俺たちはまだ生きてる。こんなことしてる暇があったら、何か別の方法を探すべきじゃないのか? ボンバーを使わなくたって、もしかしたら──」
「そんなものは無いんだよ」提案は即座に打ち消された。「それに、お前の愚痴に付き合う気もない。これ以上無駄口叩くようなら──」
そう言って冷酷な瞳をツキシマに向けるテラワキ。どうやら説得に応じるような相手ではないらしい。ワタリは慌てて声をかける。
「待ってくれ。テラワキ」待ってくれ。まだ何も打開策を思いついていない。「俺たちがこんな目に遭ってるのは誰のせいだ?」
それこそ愚痴でしかなかったがワタリは続ける。「キーティングだろ。あいつのせいで、俺たちはこんな馬鹿げた審査に参加させられてる。いや、こんなのもう審査でも何でもない。ただの悪趣味な殺戮ゲームだ。友達同士で殺し合って、いつまでもそんなこと続けてたら、それこそあいつの思うつぼじゃないか。そうだよ、テラワキ。ここでボンバー使って生き延びたって、それであの男が合格にするとは限らないだろ? いや、失格にするに決まってる。サエキたちが殺されるのを見てわかったんだ。あいつには最初から誰も合格させる気なんてない。俺たち全員皆殺しにするつもりなんだ」
ワタリは必死でまくし立てた。まくし立てるうち、いっそうキーティングが憎くなった。何が審査だ。何がキャプテン・キーティングだ。ヘゴのくせに。陰気で低脳のサディストめ。今度顔を見せたら絶対にぐちゃぐちゃになるまで殴って殴って殴り殺してやる。
「──言いたいことはそれだけか?」
しかし、テラワキはクールだった。あくまでも冷徹に、刺すような眼差し。
「ならここまでだ。ワタリ。俺はこれからツキシマの腕を折る」
そう言ってテラワキはグッとツキシマを突き出した。
──ああもうッ! 最低だ最低だ最低だ。最低過ぎて救いようがない。キーティングもテラワキも何も思いつけない馬鹿な自分も。
ツキシマがピクピク頬を引きつらせ苦悶に顔を歪めていく。
テラワキがグリグリと徐々に腕を持ち上げている。
「待て、テラワキ! わかった、わかったから」
言ってはみたものの、あとのことなど考えていなかった。説得は無駄に終わり、せっかく時間を稼いでも隙の一つも見つけられない。
ならばどうする? どうすればいい?
ワタリはひたすら考える。考えながらテラワキを睨んだ。さすがにここまで生き延びただけあって、大した顔つきをしている。女を人質にとって腕まで折ろうとして、まったく見下げ果てた男とはこいつのことだ。わりと男前な顔立ちに真っ黒な瞳がギラギラと輝いている。それは何の感情も映し出さないくらい、果てしなく深い場所に堕ちた瞳。
案外、俺もあんな目をしているのかもしれない。ワタリは思った。何もできずにこんなことをしている自分だって、相当見下げた人間だ。偉そうなことを言う資格はない。
「──ううッ、うぅッ、うぐぅ」
ツキシマが苦しそうな呻き声をあげた。首を絞められ頭を後ろに引かれているから声も出せないのだ。テラワキは無言でこちらを睨み付けている。このまま何もしないでいれば、確実にツキシマの腕は折られるだろう。
クソッ、やめろ。どうしてそんなことをする? どうして──。
そうだ。なぜテラワキはこんなことをする?
そして、ワタリはようやくそれに思い至った。
やり方は卑怯だが、ツキシマを人質に取ったテラワキの行動は賢明であり有効だった。しかしだからといって絶対的に確実な方法ではない。現にボンバーのスイッチはこちらにあるのだし、こうして手間取っている間にもリミットは刻々と迫っている。ずいぶんと落ち着いた顔をしているが、実際にはテラワキだってことが上手く運ばず相当苛立っているはずなのだ。──そう。テラワキにとって最も確実な手段とは、人質を取る以前にボンバーのスイッチを入手することではなかっただろうか? こちらを油断させておいてスイッチを奪い、その上でどちらかを捕らえてボンバーにする。それほど難しいことではないように思う。しかしテラワキはそうしなかった。──何故?
思い返してみるとツキシマを人質に取ったときのテラワキには迷いがなかった。それはあらかじめ計算された予定どおりの行動だったからではないのか?
そうか。
それならば、あるいは──。
「テラワキ」
ワタリは掲げた右手を下げながら言った。
「これは俺への嫌がらせか? こんな最低な選択を強制しやがって……お前、俺に怨みでもあるのか?」
「別に。知ったことじゃないな」
素っ気なく答えるテラワキ。
ワタリは一歩踏み出して二人の様子を観察する。
辛うじて腕は折られずに済んだのだろう、きつく拘束されたツキシマが虚ろな眼差しでこちらを見ている。背後に立ったテラワキは相変わらず殴りたくなるような不適な笑み。
しかしそこに完全な優位者の余裕をワタリはもう見ない。
ツキシマの髪の後ろに半分隠れたテラワキの額には、びっしりと玉のような汗が浮いている。そして二人の足下。ポタリポタリと床に流れ落ちる赤い──血?
血だ。まだ艶やかに光を反射する赤い血が数滴、床に落ちて擦れている。
ならばおそらく間違いない。テラワキは負傷している。
そのとき再度、ワタリの脳裏にテラワキめがけて突進するイメージが浮上した。
そう。テラワキは最初に躊躇うことなくツキシマを人質に取った。スイッチを持っているワタリではなく、騙し討ちのような形でツキシマを人質に取ったのは体力的な問題を考慮した結果だったのではないだろうか。格闘になった際に分が悪いと判断してやむを得ずテラワキが今のような行動に出ているのなら、こちらにもまだ勝機は残っている。
──いけるか? いけるだろ? いや待て。一瞬、決断しかけたワタリだったが、すぐに別の可能性に気がついて反問する。
……あの血がただの返り血だったら? 
少なくともテラワキはチバと接触している。その際に格闘がなされていたとしてもおかしくないし、それでテラワキが返り血を浴びている可能性だって否定はできない。
ワタリはそっと自分の額に触れてみる。
ぐっしょりと、指先が汗に濡れた。
ここは暑い。汗くらい誰でもかく。
クソ、駄目だ。……決め手がない。
「さあワタリ。わかったなら早くしろ」
テラワキが急かす。せっかちな奴め。しかしもう時間稼ぎをすることもできない。
「もうこの次はないからな。せいぜい悔いのないようにすることだ」
悔いのないように。そんなふうにできるだろうか。いいや。何をやっても悔いは残る。
俺のすることなんて全部そんなものだし、そんなものだった。きっとこれからもそんなものなのに違いない。結局、生きることってそんなものだ。
──なんてね。もうやめよう。考えるだけ無駄。
どうせ俺にできることなんて、もう一つしかないのだから。

「オーケイ。降参だ、テラワキ」
ワタリは一歩踏み出して言う。
「決めたよ、俺はツキシマをボンバーにする」
ワタリが言うと、テラワキの腕の中でツキシマが大きく目を見開いた。そして途端に暴れ出す。
「うぅ、うぅぐぅううッ」
「暴れるな!」
テラワキが忌々しそうに怒鳴りつけて、ツキシマの首をきつく絞めた。
「おい、やりすぎるなよ、テラワキ。せっかくのボンバーが使えなくなる」
言いながらワタリはスタスタと二人の方に近づいていく。
「駄目だ。待て、ワタリ」
しかしテラワキは隙のない眼差しを向けて制止した。
「俺はまだお前を信用したわけじゃない。とりあえずスイッチはそこに置いて、お前は少し離れてろ」
まあね。そう言うだろうとは思っていた。あれほど反発していたのだから、テラワキがあっさり信用してくれなくてもそれは無理もないこと。
「このあたりでいいのか?」
距離はまだそこそこにあったが、テラワキは特に気にする様子もなく頷く。
まったく感心させられるくらい抜け目のない奴だ。
それもわかっていたからワタリは一度スイッチを見つめて息を吸った。
「何してる、早くしろ!」
テラワキが怒鳴る。そうしてワタリはゆっくりと顔を起こし、叫んだ。
「上手くキャッチしろよ、テラワキッ!」
叫ぶと同時にスイッチを思い切り上空に放り投げる。
精一杯力を込めて、出来る限り高く高く。
高く高く上昇したスイッチは次第にその速度を失いのろのろと空中に静止した。
そして、落下。
「てめぇッ!」
一瞬、目を見開いて硬直したテラワキだったが、即座にツキシマを放り出して真っ直ぐスイッチの真下に駆け込んでくる。
「ツキシマッ! 逃げろッ!」
そのときワタリはもう走り出していた。ツキシマとテラワキの距離が開くのを確認して一気にスピードを上げる。スイッチの落下地点は二人のちょうど真ん中あたり。かなりいい加減だったが、ぎりぎりテラワキのダッシュが間に合いそうなポイントを狙ってあった。負傷していることも計算に入れてある。ツキシマを放してスイッチを守りに動くかどうかは賭だったが、その目論見はどうやら成功。諦めの悪いテラワキは一心不乱にスイッチを目指して駆け込んできた。
──今だッ!
上空を見上げながら向かってくるテラワキの足下めがけてワタリは飛びつくようにタックルを仕掛ける。
肩に鈍い衝撃。ワタリはテラワキを巻き込むようにして転倒する。そのままマウントを取って顔面に拳を叩き込もうと右腕を振り上げたとき、グリッと強引に身体を捻ったテラワキの側面から強烈な肘打ちが飛んできた。鋭い衝撃が顎をかすめ、そして間髪おかずに逆側から飛んでくる左の拳──いや、それはただの拳ではない。テラワキの左手にはあの忌々しいスイッチが握られていた。
──クソッ、なんて奴だ。本当にキャッチしやがった。
思う間もなくワタリは咄嗟に身をかわし、突き出されたテラワキの左腕に飛びかかる。
こうなったら何が何でも組み伏してしまうしかない。テラワキがスイッチを持っている以上、それを押しつけられたら終わりなのだ。こっちも必死なら相手も必死。がむしゃらに身体を密着させ、わけもわからず揉み合ううち、ぐるぐると視界が回って何度も頭を床にぶつけた。それでもどうにか互角に渡り合えているのは、テラワキの傷が思った以上に深手だったからだろう。耳元でハアハアと荒い息づかいが聞こえる。そして一瞬目を閉じた隙にガツンと脇腹に鈍い衝撃を受けた。痛みを感じる前にふっと気が遠くなる。しかし掴んだテラワキの左手首だけは何があっても放さなかった。誰が放すか。放すものか。絶対に。絶対に絶対に──。
「ちくしょうッ!」
目を開けたとき、テラワキが恐ろしい形相で睨んでいた。
──何だ?
ぐったりと身体を投げ出したテラワキからは、もう何の抵抗力も感じられない。スイッチを握った腕はテラワキの胸の上にのっている。
「──ワタリ……」
ギリギリと奥歯を噛み鳴らしてテラワキが唸った。
そしてゆっくりと視線をずらしていったとき、ワタリは途轍もないくらい安堵した。
テラワキの頭上でアラビア数字が回っている。
──安堵。そう、やはりこれは安堵なのだろう。しかしそう思う道理がわからない。こうなることを積極的に望んでいたわけではないし、まして狙ったわけでもない。最初からテラワキがスイッチをキャッチできるとは思っていなかった。投げた時点でスイッチのことは諦めていたのだ。だからツキシマを解放させ、テラワキを取り押さえたら、そのあとは何とか他の手段を考えるつもりでいた。それが──。
テラワキのカウンタはすでに作動している。数秒後には爆死するだろう。
俺が殺すことになるのだ。それなのになぜ俺は安堵している?
──いや。
考えている時間はなかった。ワタリは立ち上がり、掴んだままのテラワキの腕を引く。
早く壁まで運ばないと。
しかし勢いよく立ち上がったテラワキの様子を見れば、その考えは嫌でも諦めざるを得なかった。もう一度格闘を挑む力も時間もワタリにはない。
強引にワタリの腕を振りほどいてテラワキが言う。
「よくやったよ、ワタリ。だが俺はお前らのためには死なない」
その真っ黒な瞳。テラワキは諦めたような、それでいてどこか満足したような笑みを浮かべて、ゆっくりとワタリに背を向けた。
それは壁とは逆の方向。
「テラワキ──!」
次第にペースをあげて走り出したテラワキはぴたりと通路の真ん中で立ち止まり、
そこで獣のような雄叫びを残して破裂した。

【残り二人】

                    *

ツキシマがぽろぽろと涙をこぼして泣いていた。よほど怖かったのか、立ち上がることもできずに小さな身体をぶるぶると震わせている。まだ腕も痛むのだろう。
あれほど脅威となっていたテラワキは死んだ。幸運が重なって、どうにかツキシマを助け出すことはできたが、二人にはもう一つのアイテムも残されていない。
目論見は半ば成功した。しかし結果として状況は変わらなかった。いや、ボンバーを無駄に失ったことで、それはむしろ悪くなったとさえいえる。
──それでも。泣いているツキシマを見つめながらワタリは思う。それでも、ツキシマをボンバーにするという選択肢がこの場から消滅したのはせめてもの救いだ。もう二度とそんなことは考えなくていい。
「……ごめんなさい、ワタリ君」
駆け寄ったワタリに、そっとツキシマが囁いた。
「ごめんなさい。……私が、私があのとき信じてたら──」
わっと床に突っ伏すようにして泣きじゃくるツキシマ。その悲しみや痛みはいったいどこに向かうのだろう。
ツキシマが謝ることないとワタリは言った。勝手な判断で最後のボンバーを失ってしまったのは自分の責任だし、ツキシマを助けようとしたのだって、もとを正せば自分が死にたくなかったからだ。真っ先にツキシマを救うことだけを考えていたら、何も躊躇わず犠牲になることを選べただろう。スギムラなら、きっとそうしていた。
「だからツキシマが謝ることないんだ」
「でも……だけど……」
ぶるぶると首を振るツキシマを宥めながら、ワタリはそっとその肩に触れる。
「それよりツキシマ、怪我は? 腕、痛むだろ?」
「……うん、大丈夫。ありがとう」
「礼なんていいよ。俺、全然上手くできなかった。ツキシマをこんな目に遭わせて、テラワキだって殺しちまって……。あんなスイッチ、最初に捨てちまえばよかったんだ。どうかしてたよ。人殺しの道具なんか持ち歩いて、使わないって言ったくせに、結局自分のことしか考えてなくて……本当に、何やってるんだろうな、俺……」
「……ワタリ君」
悲しそうな瞳を向けるツキシマ。気がついてワタリはスッと顔を背けた。
「……悪い、愚痴っぽかったな」
「ううん。いいのよ。ワタリ君は頑張ったもの。それに自分のことしか考えなかったのは私の方だよ。……私ね、捕まってる間もずっとワタリ君のこと疑ってたの。スイッチは渡さないって言ってくれたのに、でも、もしかしたらやっぱり殺されるんじゃないかって、すごく怖くて、だから──」
「いいんだよ、ツキシマ」ワタリは首を振ってツキシマの声を遮る。「俺だって最後まで悩んでた。スイッチ渡して楽になろうかって、ずっと迷ってたんだ」
それは事実。人はそんなに強くない。
「だからもうこんな話はよそう。それよりツキシマ、まだ歩けるよな?」
ワタリが訊ねるとツキシマはふっと表情を曇らせうつむいた。けれどそれは怪我のせいではないのだろう。依然として立ちふさがる壁を見れば、明るい気持ちになどなれるはずもない。それでもワタリは語りかける。
「おい、そんな顔するなよ、ツキシマ。まだ終わりって決まったわけじゃない」
嘆きも後悔も漏らした途端に意味を無くした。懺悔の時間は過ぎたのだ。
励ますようにして肩を掴む両手に力を込めると、ツキシマがゆっくりと顔を起こした。
零れる涙に濡れ、不安そうに揺れる大きな瞳。
ワタリはもう一度問いかける。
「どうだ、歩けそうか?」
「う、うん、でも……」
小さく頷いて、ツキシマがチラリと腕時計に視線を移した。
「でも、ワタリ君、もう時間が……」
時間がないのはわかっている。
全てのアイテムを失い、もう他に打つ手などない。
ワタリは真っ直ぐにツキシマを見つめて言う。
「諦めるなよ、ツキシマ。お前が諦めたら、俺が困る」
「……え?」
ツキシマが不思議そうに首を捻った。
「──お前が生き延びるんだ」
そう言い残してワタリはすっと立ち上がる。天上を見上げた。ピンクとクリームに彩られた垂直の壁面。この馬鹿げた世界の向こう側で、ひとり嘲笑っているその男に向かい、ワタリは腹の底から大声で叫ぶ。
「おいッ! 聞こえてるか、キーティングッ! 俺はこの審査を降りるッ!」
すぐに返答はなかった。ツキシマが目を見開いてこちらを見ている。しかし構わずにワタリは立ちふさがる壁に向かった。向かいながら叫び続ける。
「どうした、ヘゴッ! 聞こえてるんだろ! 答えろよッ! 俺はもうやめるって言ってるんだ! こんな審査はもうまっぴらなんだよッ! 馬鹿にしやがって! 早く俺を失格にしろッ!」
「──ワタリ君ッ!」
そのとき、ツキシマが勢いよく立ち上がった。驚いたように目を瞠り、わなわなとこちらを見つめている。
そして周囲に軋むようなハウリングが響いた。
『へーえ、ずいぶん格好いいことを思いついたじゃないか、ワタリ』粘っこいキーティングの声。『でも、さっきまで必死に生き残ろうとしてた奴の発言とは思えないなァ。どういう心境の変化だ?』
「黙れッ! もうウンザリだ! お前の声なんて聞きたくもない。降りるって言ってるんだからいいだろ。さっさと俺を失格にしろ」
「そ、そんな、ちょっと待って、待ってよッ! ワタリ君!」
慌てて駆け寄ろうとするツキシマを制止して、ワタリは叫ぶ。
「来るんじゃない、ツキシマ! 大丈夫だ。いいか、ヘゴ。俺はもう気づいた。だからこんな審査は降りる」 
『ほーお。何に気づいたっていうのかな? ワタリ君』
キーティングがすぐに問い返した。ワタリはスゥっと息を吸って答える。
「もちろん、この審査のカラクリにさ。本当にくだらないハッタリだ」
一瞬、間ができた。
『……うぅん? カラクリ? ハッタリ? 何のことか先生よくわからないなぁ』
「ハッ、とぼけるなよ。これはあくまでも審査なんだろ? 実際のミッションじゃなく、人員獲得が目的の模擬ミッションなんだ。なのに何で人が死ぬようなやり方をする? そんなの意味ないだろ。もともと人手不足を解消するためにこんなことを始めた連中が、審査の途中でせっかくの人員を無駄に殺すなんてあり得ないんだ」
『だから?』
「だから、こんなのは現実じゃないってことなんだよ。結局は全部嘘のバーチャルリアリティで、実際は誰も死んだりなんかしていない。お前らはそうやって俺たちの行動を観察して、ずっと適性を見極めてただけだッ!」
『……おぉ、おぉ、おおぉッ! 凄いこと考えるね、お前。そりゃあ何ともびっくりだ。ワーォワーォ』
大げさにはしゃぐキーティング。ツキシマが唖然とこちらを見つめている。
構わずワタリは話し続けた。
「ずっとおかしいと思ってたんだ。最初に部屋で気がついたときから妙な感じだったし、だいたい、スイッチを押しただけで身体が爆発するなんて、そんなの完全に漫画だろ。あんな馬鹿げた装置が実際にあってたまるかよ」
『え〜、そう言われてもなァ。実際にここにあるんだから、先生困っちゃうよ』
「だったらそれで俺を殺してみろッ! 現実に戻ったら、すぐにお前をブチのめしに行ってやる! メチャメチャにしてやるからな。現実のお前なんて、どうせ何にもできないヘボ教師だッ! 抵抗なんてできないんだろ? ゴリラみたいな顔しやがって、ヘボのゴリラだからヘゴなんだよ、このヘボゴリラ! 生徒にビクついてるてめぇみてぇなヘタレはな、さっさと教師なんか辞めて便所の中にでも籠もってろッ!」
ワタリはキーティングを罵り、罵り、罵り、罵り倒して息が切れたとき、
「──駄目ッ! ワタリ君ッ!」
はっとツキシマの表情が変わった。白い頬が引きつったまま固まっている。
ワタリは即座に頭上を見上げた。
ゆっくりと回転する数字。それがかろうじて見える。
よかった。どうやら上手くいったらしい。
そう悟ってワタリはほっと胸を撫で下ろした。
まったくバーチャルリアリティなんて、我ながら都合のいいことを思いついたものだ。ほとんど祈り半ばのアイディアだったけれど、それでもみんなのところに行けると思えば勇気も湧いた。これでこの壁は壊せるだろう。ツキシマも助かるし、死ぬほどヘゴをこき下ろしてやれたんだから、まんざら悪い気分でもないってもんだ。
──これでいいよな、スギムラ?
『あーはっはっは』
突然、嘲るような笑い声。
『いやはや、参った参った。ついついムッとしてボタン押しちゃったよ。──でも残念だったなぁ、ワタリ。これは全部現実なんだよ』
「そ、そんなッ! ワタリ君ッ!」
ツキシマが叫ぶ。駄目だ。来るんじゃない。せっかく上手くいきそうなのに、お前が爆発に巻き込まれたら全部台無しだ。
『ほら、なんて言うの? 先生ってアレだろ? なんかさ、毎日みんなに馬鹿にされて、いい加減堪忍袋の緒が切れちゃったっていうのかな。いやぁ、こんなチャンスもう二度とないかなって思ってさ、だからここにいた政府の人たちも皆殺しにして、それで好き勝手にやらせてもらうことにしたんだよ。結果はまあ上々だよな。お前が死ぬところも見られたし』
うるさいヘゴ。お前のことなんてどうだっていいんだ。現実とか虚構とか、そんなのどっちだって構うもんか。
「──ツキシマッ!」
真っ直ぐにツキシマを見つめ、ワタリは叫んだ。
呆然と立ち尽くしたツキシマが震えながら目を閉じる。
「諦めるな、ツキシマ! 頑張れ──」

頑張るんだ。

【残り一人/ミッション終了・ノルマ達成・合格者:女子8番ツキシマ 以上一名・適性審査委員会本部モニタより】

                    *

エピローグ

秋の静かなお昼休みにはやっぱり一人で机に向かって、お気に入りの文庫なんかをぱらぱら捲ったりしているのが一番の幸せ。暖かい部屋の中、お腹いっぱいで活字びっしりの本とにらめっこしていると、いつの間にかついウトウト気持ちよくなってくる。だめだめ、あわてて顔を起こしてギュッと頬をつねっても、抵抗虚しく吸い寄せられて夢と物語の間を行ったり来たり。だからそんなときは潔く諦めて机の上に突っ伏してしまう。滑らかな机の表面にぴったりと頬がくっついて、ひんやりした宝石みたいなその肌触りがもう最高にたまらない。あっという間に瞼が落ちて、クルクルクルクル夢の中。
そこは楽しいことだけがいっぱい詰まったカラフルな世界。
ピンクの地面はフルーツケーキ。可愛い小川はパステルグリーン。黄色い傘をさした女の子がのんびり空を漂って、青い服の男の子はみんなそろって壁登り。ニコニコ楽しそうに笑っている。ここはジャングルの遊園地なのだ。大きな緑のカメレオン。虹のトンネル。雲のクジラ。硝子のお城だってなんでもある。夢の中ではどんなお話も自由。だから夏休みと冬休みを全部使って、いつかみんなであのお城に行こう。地面を掘って遠くの国にも行ってみよう。
けれど夢はすぐに覚める。
ざわざわとまわりが騒がしくなって、心地のよい眠りは妨げられた。いつだって、こうして夢はあっさりとどこか遠くに消えてしまう。
ゆっくりと眠い目を擦りながら顔を起こした。
そこには見慣れた日常の光景が広がっている。
鉄パイプと合板でできた机。同じ材質の椅子。ホワイトボード。大型テレビ。
まわりのみんなは、取り留めもなく、てんでにお喋りを続けている。
「よう、ツキシマ。久しぶりだな」
不意に声をかけられた。となりを見る。そこに懐かしい人が座っていた。
「……ニシザワ先生」
思わず声を漏らしてしまう。
懐かしい、本当に懐かしい。
すると先生はちょっとおどけたように首を傾げて、
「えっと、私はキャプテン・キーティングですが?」
ガラガラと廊下側のドアが開いた。
スタスタと厳めしい顔をした男の人が入ってくる。
みんなは一斉に真面目な顔に戻って正面のホワイトボードに向き直ったけれど、そのとき私の頭の中には大好きだったあの懐かしい人たちの顔が次々と浮かんで、とても目を開けていられそうになかった。
擦っても擦っても、じんわり涙が溢れて目の前が霞んでしまう。
──ぽろぽろ、ぽろぽろ……。
「よく集まってくれたな、諸君」
部屋に低い声が響き渡った。
ぐるっとみんなを見回してから、厳めしい顔つきの男の人が続ける。
「私は第8大隊司令のヘクターである。これより本作戦実行にあたっての最終ミーティングを始める」
それはミッション開始前の戦士たちに告げられる最後の通達。
部屋に集められた100人はじっと固唾を呑んで言葉を待つ。
ヘクター指令は言った。
「知っての通り、本作戦にはかなりの人員が投入されるわけだが、それは諸君らの挑むエリアが極めて攻略困難と予測されるためである。しかし何も恐れることはない。司令部はこれに物量でもって当たることを決断し、すでに現状で出来うる限りの準備を済ませた。あとは諸君らが挫けることなく邁進し、それぞれに己の使命を全うしうれば、必ずや道は開けるだろう。ただし、先発する者は現時点で覚悟を決めて欲しい。おそらく生きて帰ることは叶わないだろうが、犠牲の上にこそ多くの命が育まれるのもまた事実。ならば己を捨て他者を生かすことは称賛に値する英雄的行為である。嘆くことなかれ。それでは発表する。今回のノルマは60%。本作戦の肝となる先発隊はエレイン以下15名で構成し、名誉あるポールポジションは、ニシザワ、お前だ」
淡々と告げられる作戦内容には耳も傾けず、私はいつか壊れてしまった輝かしい思い出を深い記憶の海からサルベージする。
錆びた宝箱の中にぎっしりと詰め込まれたラピスラズリの原石。
素晴らしいみんな。三年二組の仲間たち。
そう言えば、そんな日々もあったのだ。

【TAXING LEVEL:27 ミッションスタート】


***************

男子
×01アサイ
×02イデイ
×03ウラベ
×04エトウ
×05オダ
×06スギムラ
×07ソネ
×08タムラ
×09チバ
×10テラワキ
×11トノムラ
×12ネモト
×13ムカイヤマ
×14モチヅキ
×15ワタリ

女子
×01イシダ
×02ウエハラ
×03キウチ
×04コミヤ
×05サエキ
×06シバタ
×07スドウ
△08ツキシマ
×09ナカムラ
×10ニシオ
×11ハラダ
×12ミラハ
×13ムラオカ
×14ヤギ
×15ワカサ

***************
comments(1)
Lemmingology#6:Lend a helping hand....(2/3)
「うわぁあああッ!」
頭上から振り下ろされる鉄のくちばし。
すんでの所で相手の攻撃をかわしたスギムラは、転がるようにしてその場を離れた。
すかさず繰り出される二撃目。
「な──」
叫ぼうとしてスギムラは言葉を続けることができなかった。
──何してんだよ、チバ!
チバの両眼はカッと大きく見開かれ、真っ直ぐにスギムラを捉えている。ハァハァと荒い息づかい。手にはツルハシを握っていた。
「じゃあお前、帰れよッ!」チバが怒鳴った。「水飲まなかったらな、人間は死ぬんだよッ、この馬鹿ッ!」
絶叫してチバは闇雲にツルハシを振り回す。
「帰れよッ! 帰れ帰れ帰れッ!」
その向こうに、ぐったりとうつ伏せに倒れているハラダの姿があった。
弾かれたように飛び退いたスギムラは、全力で来た道を引き返しながら思う。
──ちくしょう! 何なんだ? 何でこんなことになった!?

七度目の偵察に出たスギムラ、チバ、ハラダの三人は、五分ほど進んだところで広い場所(といっても四方は相変わらず壁に囲まれていたから、いくら広くても部屋は部屋だ)に出た。その部屋の中央には進路を塞ぐようなかたちで幅の広い川が横たわっていたが、マップで確かめたとおり、そこにはちゃんと橋が一本かかっていた。
ここまでは一応予測していた通り。予測と違ったのは、川の水がいわゆる普通の水ではなくて、明らかに飲んではいけない色をしていたことだ。淡いグリーンの川(流れはほとんどなくて澱んでいたからプールと言った方が正確かもしれない)はボコボコと泡だって、あたりに強烈な臭気を発していた。
そこにたどり着く前、先頭を歩いていたチバがポツリと言っていた。
「……水、足りるのかな?」
コミヤが落としてしまってから、誰もがそれを気にかけていたのだ。
しばらく進んだ後、チバはぼやくようにこうも言った。
「あーあ。水もアイテムも、もっとたくさんあればいいのにな。サエキが気前よくわけてくれたから俺たちはいいけど……」
水もアイテムも、偵察隊には充分な量が持たされていたが、その分、本隊ではそれら物資が不足している。特にトラップ回避用のビルダーはほとんどが偵察隊に託されていた。
また少し進んだところでチバは荷物を眺めながら呟いた。
「なあ、これ持ったままさ、俺たちが戻らなかったら……みんな、困るだろうな」
ジョークのつもりだろうとスギムラは思った。当然、困るどころではないのだ。だからそんな最悪の事態にならないよう、偵察隊は三人で組まれている。
そのときスギムラは少し冗談めかしてチバのぼやきに答えたと思う。
「心配すんなよ、チバ。お前がやられたら俺が荷物持って引き返す。そんで俺がやられたら、そのときはハラダだ」
チバは鼻で笑った。
「バーカ。俺がそんな簡単にやられるかよ」
ハラダが泣きそうな顔をして二人のやりとりを見つめていたが、それからはしばらく黙って通路を進み、特に問題なく例の広い部屋に出た。
そして──。
そう、三人で橋の真ん中あたりまで進んで、そろそろ引き返そうかとスギムラが考え始めたときだった。
「なあ、二人とも──」
急に振り向いてチバが言った。
「マジ提案なんだけどさ、俺らだけで、もうちょっと進まないか?」
スギムラにはチバが何を言いたいのかわからなかったし、ハラダだって同じだったのだろう。キョトンとした表情でチバを見ていた。
「ちょうど水もアイテムも充分あるわけだし……」二人をじっと見据えたままチバは続ける。「いや、別に抜け駆けしようとか言ってんじゃないよ、俺は。……たださ、ほら、なんつーの? ここまで結構上手くやって来たわけじゃん、俺ら。このまま進んでもわりとイケると思うんだよな。ビルダーもたくさんあるし、ゴールだって案外すぐ近くにあるかもしれないし──」
「なに言ってんだよ、チバ」
スギムラはすぐに諫めた。
「そんなこと勝手にできるわけないだろ? 馬鹿なこと言ってないで、早くみんなのところに戻ろうぜ」
チバもちょっとした思いつきを口にしただけだろうと思ったから、厳しくは咎めるつもりはなかったし、それで充分だとスギムラは思った。けれど。
「あ、ああ……でもさ、これってチャンスだろ? 俺たち、水もアイテムもこんなにたくさん持ってるんだ。なあ、だからお前らも頭使ってよく考えろよ。この水、三人だったら全然足りるけど、みんなでわけたら足りなくなる。つまり、効率の問題なんだ。三人で使うのと、十八人で使うのと、どっちが合理的だと思う?」
チバは何故か執拗に喋り続け、スギムラは堪えきれずに怒鳴りつけた。
「いい加減にしろよ、チバ。言ってる意味わかってるのか? これ以上続けたら、いくら俺だってもう冗談じゃすまさないからな」
「けど、スギムラ。アウトドアじゃ飲料水の確保は最優先なんだぜ……」
「もう意味わかんねぇよ。おい、チバ。お前ちょっと頭冷やせ。なに焦ってんだよ。水なんてちょっとくらい飲まなくたって、どってことないだろ。な、ハラダ」
同意を求められたハラダはうんうんと頷く。
「とにかく、俺はもう戻るからな。みんなを連れてくる」
そう言い残してスギムラはその場を離れた。
しかし、橋の真ん中で立ち止まってブツブツと何か小声で呟いているチバから、スギムラはたとえ一瞬でも目を離すべきではなかったのだ。
たぶんそのとき、チバはそれまでの人生にないくらい重大な選択を迫られていたのだし、心を決めるのには充分な時間だってあった。
スギムラがUターンして橋を渡り終えた、次の瞬間。
「きゃぁッ!」
突然、後方からハラダの悲鳴が聞こえた。
驚いて振り向くと、チバがハラダに掴みかかっている。
そして素早く荷物を奪い取ったチバは、そのままハラダを突き飛ばし、持っていたツルハシを振り上げて、唖然とするスギムラめがけて真っ直ぐに──。

「俺は一人でも行くからなッ!」
チバは橋のそばでブンブンとツルハシを振り回して怒鳴り散らしていた。
「スギムラ! チャンスを無駄にするヤツは馬鹿だッ! せっかく誘ってやったのにッ! なんでわかんねーんだよッ!!」
背後からチバの罵声が聞こえなくなるまでスギムラは全力で走り続けた。ハラダを残してきてしまったことが悔やまれる。自分の荷物も置いてきてしまった。
ちくしょうちくしょうちくしょう。
それでもチバは本気だったのだ。
あのチバが、ツルハシ持って襲いかかってきやがった。危うく殺されかけた。一歩間違ったら死んでた。いいヤツだと思ってたのに、なんでそんなことするんだよ、チバ!
スギムラは振り向くことなく走り続ける。
女の子を残して逃げるなんて最低だ。男らしくない。もしハラダに何かあったら、一生後悔するだろう。でもさっきのチバは正気じゃなかった。マップだって持ってないのに、そんなこともわからないくらい、あいつは壊れてた。──クソッ! 水くらい何だよ! そんなモン、こっから出たら嫌ってほど飲んだらいい。みんなに報せたら戻って絶対にぶん殴ってやる。──ああ、でもごめん、ハラダ。

数分後、やっと本隊に合流したスギムラはそれまでに起こったことを報告した。ずいぶん取り乱していたから、みんなが理解するのには時間が必要だった。それでも緊急事態であることだけはすぐに伝わって、本隊は即座に例の部屋まで移動した。
広い部屋。
そこには川があって橋がある。
ハラダがいた。
そしてもう一人。チバは何故か、まだそこに残っていた。
ハラダが橋の真ん中に立たされていて、チバはその後ろで何かしている。
「なにやってるんだ! チバッ!」
すかさず数人が二人の方に駆け寄った。
それに気がついたチバは逃げるようにして対岸に渡る。チラリと覗いたその顔には、引きつった笑みが張り付いていた。
「待てッ! チバァーッ」
スギムラは叫ぶ。
──この裏切り者め!
途端に頭に血が上って我を忘れたスギムラは、駆け出そうとしたところを誰かに羽交い締めにされて為す術を無くした。
「駄目だ、スギムラ」
耳元でワタリの声。
──何が駄目だ!
スギムラはもがく。何人かが飛び出して橋の上を駆けていった。
「馬鹿ッ! みんな戻れッ! 行くなッ!」
ワタリが何か喚いている。
「駄目! ヤギさん、戻って! 早く!」
サエキも喚いている。
スギムラは無理矢理体をひねって右腕を伸ばした。
あと数メートル先にハラダがいる。
「ハラダッ!」
無茶苦茶に腕を振り回すうち、肘がワタリの顎に直撃した。一瞬、拘束する力がゆるんだころを逃さず、スギムラは全力で地面を蹴る。
どうしても、ハラダの元にたどり着きたかった。
「しっかりしろ、ハラダッ!」
その叫びにハラダがはっと顔を起こす。
「ス、スギムラ……」
「待ってろ、今そっちに──」
「駄目! 来ないで!」
拒絶するハラダを無視してスギムラは駆け寄る。橋の上で立ち止まってるシバタたちを押し退け腕を伸ばし、目前に迫ったハラダと向かい合ったとき、
スギムラは悔しさに打ちのめされた。
「お願い! 早く逃げて、スギムラ!」
みんなの水とアイテムを奪ったチバは、どこまでも利己的だった。
ブロッカーにされたハラダは動けない。頭上でカウンタが回っている。
そこに示されている数字は──
【1】
何でだ、何でわざわざそんなことするんだチバの阿呆!!
「ハラダ……」
時間はあまりにも短すぎた。
「もう。駄目だよ、スギムラ。ちゃんと言うこと聞いてくれないと」
目の前でハラダがどこか諦めたように微笑んでいる。はにかむような、優しい笑み。そしてハラダは何故かそっと目を伏せ、
「こんなときにゴメンね、スギムラ。でも聞いて……あのね、私、ずっと前からスギムラのことが──」
しかし、言葉は最後まで続かなかった。
構わずにスギムラは腕を伸ばす。
ハラダに向かって、真っ直ぐに。
──ごめん、ハラダ、俺は、俺は……。
直後にふっと目の前が真っ白になり、
爆風をあびたスギムラの身体はバラバラになって霧散した。
轟音。橋の上は惨状となり広い部屋の中に絶叫がこだまする。
対岸へ渡るための唯一の橋はハラダもろとも崩れ去り、崩落に巻き込まれたネモトとシバタとヤギ(女子出席番号14)は、泡立つ緑の川に呑まれて消えた。

【残り17人】

                    *

T字路の角に身を潜めたウラベは、壁を背にしたままゆっくりと顔だけ突き出して奥の様子を窺った。つい先ほど、そちらから言い争うような喧噪が聞こえたからだ。
「──テラワキだ」
ウラベはスッと頭を引っ込めて振り返る。
「テラワキ?」
今度は後ろに控えていたトノムラが位置を変えて通路の奥を覗き込んだ。こちらに背を向けたテラワキは床にしゃがみ込んで何かゴソゴソやっている。
テラワキもウラベたちと同様、クラスのはみ出し者として認識されていた。彼らに馴れ馴れしく話しかけてきたのはデブのイデイくらいなもので、他の連中は多かれ少なかれ距離を取っているようだったし、教師連中からもやはり同じように睨まれていた。
しかしだからといって必ずしも同じ穴に狢ばかりが住んでいるとは限らないし、類は友を呼んだりもしない。
ウラベの見るところ、テラワキはどこか種類が違っていた。自棄になって荒れているだけのスドウとも違うし、狡猾で手を汚さずに自分の欲を満たすトノムラとも違う。
テラワキは孤独だ。いつもたった一人で喧嘩を挑んで、それで相手にしているのは世の中の人間全部、そんなそんな大それたイメージさえある。
そのテラワキの様子を窺いながらトノムラが言った。
「何やってるんだ? あいつ」
「さあ」ウラベは囁いて首を振る。「……で、どうする? やり過ごすか?」
訊ねるとトノムラは「いや」と短く答えて立ち上がった。
「役に立ってもらう」
そのままトノムラがスタスタと通路に進み出たので、ウラベとスドウもそれに従った。テラワキはこちらの接近に気づいているのかいないのか、ずっと先ほどから同じポーズ。何をしているのだろうと覗き込んだとき、視界に思いがけないモノが飛び込んでウラベはギョッと目を瞠った。
「よォ、テラワキ」
同じものを目にしたはずなのに、トノムラは平然と語りかける。
「あーあ、ひでぇなぁ。お前がやったのか? それ」
指さしたモノは頭のてっぺんにツルハシを打ち込まれたクラスメイトの死体だった。サバゲー大好き自称モデルガンマニアのチバだ。どうやらチバのバッグを漁っていたらしいテラワキがようやく立ち上がって振り返る。
「お、マジかよ。スゲーじゃん。なんでそんなにアイテム持ってんの?」
トノムラが言った。死体のすぐ脇にバッグが三つほど転がっていて、中からどっさりペットボトルやらアイテムやらが顔を覗かせている。テラワキはチラリとチバの死体に目をやってから、なぜか不思議そうに首をひねった。わけのわからないヤツだ。
「なんだか知らねぇけど──」そこで初めてテラワキが口を開く。「いきなりこいつが飛びかかってきたからな。ツルハシ振り回して」
つまりテラワキは正当防衛を主張しているのだろう。あわれなチバは返り討ちにあったのか?
「ふぅん。そりゃ災難だったな」
トノムラは言うが、頭からツルハシを生やしているチバを見ればどっちが災難なのかわからない。チバの死体は壁を背に、もたれ掛かるようにして両足を床に投げ出している。
「そのアイテムもチバが持ってたのか?」
「ああ」テラワキが頷く。
「それで、全部独り占めってワケ?」
「そうだ。──欲しいのか?」
テラワキが意外なことを言った。トノムラは少し考えるような素振りを見せてから、「いんや。別に」素っ気なく答える。「どうせそんな気ないんだろ? ま、くれるんならもらうけどね。あ、でも俺はこれでいいや。これくれ」
途端に浮かれたような口調になってトノムラはテラワキの足下を指さした。
そこにはチバが死んでいる。
「こいつはいらないだろ? な、テラワキ」
「ちょっと、トノムラ。そんなのもらってどうすんのよ」
スドウが本気で不安そうに顔をしかめる。頭の潰れたチバの死体は今にも目玉がこぼれ落ちそうで、とても見られたモンじゃない。
「おいウラベ、まだ残ってたよな? ボンバー」
不意にトノムラが振り向いた。ウラベはビクリとする。
「ボンバー? ああ、まだ二つくらいある……けど?」
「ちょっとォ、だからどうすんのって聞いてんじゃん。無視しないでよ」
「うるさいな。ちょっと黙ってろよ」
適当にスドウをいなしたトノムラは、慎重に床の血溜まりをかわしてチバの死体がもたれ掛かっている壁に近寄ると、秘密の抜け道でも探すような調子で、コンコンとその壁を叩き始めた。
「オーケイ。わりと薄そうだ」言ってトノムラはウラベに何かよこせというような格好で右手を煽る。ウラベは戸惑った。何をするつもりなのだろう。
「死体にも使えるか試すんだよ。ボンバーをさ」
なるほど。
それは案外いいアイディアかもしれない。
「無駄だ」
それまでじっとトノムラの行動を眺めていたテラワキが呟いた。
「何で?」
「もう試した」
「あ、そう」
呆れたように呟いてトノムラは壁を一歩離れる。
警戒しているのかテラワキは射るような眼差しを向けたまま動かない。
空気が妙に張りつめていた。
「で、どうよ? テラワキ」少し間を取ってトノムラが言った。「俺たちも連れてってくれたりするわけ? それとも一人で行っちゃうのかな?」
あっけらかんとした声。
「……さあな」対照的な低音でテラワキが答える。「だが、連れて行って欲しいなら、お前らの持ってる道具を俺に渡せ。それが条件だ」
じっとトノムラを見据えるテラワキの表情には揺るぎはなかった。高圧的な視線。交渉の余地なし。
こんな状況下にあってもテラワキは他人との共同作業を拒むのだろうか。一歩も引く様子のない相手を眺めながらウラベはそんなことを考える。
「いや呆れたね。三対一だってのにさ」
トノムラが首をすくめて言った。
「知るか」テラワキは吐き捨てるように言って足下のバッグを肩に掛けた。「俺はもう行く」
「ちょっと、ねぇトノムラ……」
もどかしそうに二人のやりとりを見ていたスドウが、去っていくテラワキの姿(正確には腰のあたりで揺れているバッグ)を細い目で追いながら囁く。
こんなチャンスをみすみす見逃していいのか?
スドウはそう言いたいのだろう。ウラベもそう思ってトノムラに視線を送ったが、沈黙するトノムラの表情からは何のサインも読みとれなかった。
──どうした、奴のバッグを奪うんじゃ……
と、不意にトノムラの口元が歪んだ。
いつの間にかチバの死体の傍らに移動していたトノムラは、無言でその頭からツルハシを引き抜くと、瞬く間に背を向けたテラワキとの距離を詰めていく。ウラベは一瞬だけ遅れてそれに続いた。スドウも慌ててトノムラを追う。
テラワキはまだ気づいていない。油断している相手に三人がかりならば簡単に──。
ウラベがそう判断してテラワキに掴みかかろうとしたとき、突然顔面に何かが飛び込んできてウラベは咄嗟に目を閉じた。ガン──と衝撃。そのまま後ろ倒しに床に転がる。
慌てて顔を起こすと眼前、トノムラが膝をついて苦しそうに腹を押さえていた。
「ぅぐぎゃあああ」
すぐ隣で悲鳴。腕をねじりあげられたスドウが醜く顔を歪めている。
──ゴキ。
どうやったのか、いつの間にかスドウの背後に回り込んだテラワキは、情けも容赦もなくその腕を折った。
もうスドウの悲鳴は聞こえない。気絶したんだろう。情けないヤツめ。かくいうウラベも完全に鼻の骨をへし折られていた。トノムラは無様に背を丸めて呻いている。
見事なまでの返り討ちだった。
何だよ、テラワキのヤツ。ケンポウでも使うのか?
感覚のなくなった顔面中央からボタボタと流れ落ちる鼻血を拭うことも忘れて、ウラベはよろよろと上体を起こして残った気力を振り絞る。ぐでんとなったスドウを解放したテラワキが水面を這う蛇のような足取りでスルスルとトノムラに歩み寄り、おそらく渾身の蹴りを三発その顔面にぶち込んだとき、ウラベはようやく床に投げ出されていた血塗れのツルハシを握りしめた。
「うぁあああッ!」
ドス。
絶叫して飛びかかったウラベはまたしても床に仰向けに倒れる。今度は腹に強烈な蹴りを決められた。さっきは拳だったんだろう。ちくしょう。
目を開けると無言で見下ろしていたテラワキが無表情のまま腹を踏みつけてきた。勢いよく立て続けに三発。胃に収まっていたものが逆流しそうになる。声を出す暇も与えられないまま、ウラベの意識は遠のいた。
時間にして数十秒。一分は経っていないはず。
再び目を開けると、少し離れたところにしゃがみ込んだテラワキが何かゴソゴソやっている。一瞬、チバのバッグを漁っていたテラワキの姿が脳裏をかすめたが、そうではない。テラワキはバッグの肩掛け部分を引きちぎって、それで気絶したトノムラの両手両足を拘束しようとしている。見るとスドウにはすでにその処置がなされていた。
わけもなくその光景に恐怖したウラベは咽せかえりそうになる呼吸を必死で殺して、ゆっくりと自分の状態を確かめた。
手足は自由。幸運にもまだ順番は回ってきていないらしい。ただ、持っていたバッグはすでに奪われていた。
慎重に体をひねって音を立てないように身を起こすウラベ。テラワキはトノムラを縛るのに夢中になっていて、ウラベの動きに気づいていない。
一瞬、そのニワトリ頭を蹴り飛ばしてやろうかとウラベは考えたが、ズルズルと尾を引く全身の痛みに負けて即座にそれを諦めた。
そんなことよりも早くこの場を離れることだ。やはりテラワキは違っている。和解など望めそうもないし(自分たちが先に仕掛けたことを差し引いてもだ)、ダメージ量からいって再戦も不可能。何より、あの男のそばにいるのが嫌だった。
トノムラもスドウも力無くのびている。あわれなくらい無様だが、構っていればこっちがやられる。そもそも助けてやる義理もない。
ウラベは壁を背に立ち上がって、ジリジリと移動を始めた。
このままある程度距離を稼いだら全力でダッシュ。走り出すだけの体力が残っているか甚だ疑問だったが、他の選択肢は思い浮かばない。ああクソッタレめ。
のろのろと8メートルほど距離を稼いだとき、トノムラにかかりきりだったテラワキがいきなり立ち上がった。
振り向く。
そのときウラベは全力でダッシュして逃走する予定だったのだが、余裕過ぎるテラワキの表情にグラグラと腹が煮え立つのを感じて、あっさりとその予定をキャンセルした。
テラワキには驚いた様子もなければ特に焦ったふうもなく、ただ寒い芸人でも見るような目をして立っていた。
「トノムラたちをどうする気だ?」
せいぜい虚勢を張ってウラベは言う。本当はそんなことなどどうだっていい。
「役に立ってもらう」じっとウラベを見据えたまま、落ち着き払った声でテラワキが答えた。「こんな奴らでも、爆弾がわりにはなるからな」
「てめぇッ!」
などと怒鳴りつけながらウラベは思う。考えることは皆同じってわけだ。ずいぶん前にイデイを失って以来、ウラベたちが求めていたのもまさにそれだった。単独行動しているような間抜けがいれば、捕まえて役に立てる。トノムラは最初からそう言っていたし、スドウもウラベもそのつもりだった。アイテムを大量に持ったテラワキなどいいカモのはずだったが、どうやら立場が逆転してしまったらしい。
テラワキが一歩コツリと歩み寄る。
「く、来るなッ!」
ウラベは怒鳴りつけて壁を離れた。素早く周囲に目を向けたが、武器になりそうなものは見あたらない。
「覚えてろよ、テメェ」
泣きそうなくらい情けない捨てぜりふを吐いてウラベは全力でダッシュした。ここで捕まったりしたら、殺される以前に最低最悪格好悪すぎる。もしテラワキがヒーローの出てくるようなテレビ番組でも見ていれば、そんなことを言い残して去っていく負け犬ををわざわざ追いかけたりはしないだろう。
しかしテラワキは追ってきた。しかも全力で。
あっという間に距離を詰められ、手を伸ばされたらそれまでという恐怖に何度も襲われながら、それでもウラベは懸命に走った。ルート的には来た道を引き返していることになるが、もちろんそんなことは気にしていられない。幸い周辺の通路が狭く入り組んでいたおかげで、テラワキは完全にスピードに乗り切れないようだった。
迫ってきた十字路を右に折れ、少し進んだところでウラベは素早く後方を確認する。追跡者の姿がチラリとよぎった。テラワキはそのまま十字路を直進したようだったが、すぐに戻って勢いよくこちらに突進してくる。
しつこい。しつこすぎる。
ウラベは大声で罵りたい気分だったが、慌てて通路を進もうとしたとき、突然足下に床の抵抗を失い戸惑った。
何だ? と思う間もなく体勢を崩して落下する。
そこは深い窪地だった。窪地というよりは穴。
穴の底に叩きつけられたウラベはあまりの衝撃に気を失った。

【残り16人】

                    *

《第六回中間報告》

『ピンポンパンポーン。ヤーホ! こちらはキャプテン・キーティング。さあ皆さんお待ちかね、今から楽しい中間発表の時間です。どうだー、みんなー、ちゃんと元気でやってるかーってモニター見てるから先生は全部知ってるんだけどね。まあいいや。はい、それじゃあ今回はちょっと趣向を変えて、失格者を発表する前にみんな宛てに届いた励ましのお便りなんかを紹介しちゃいまーす。えー、実はこの手紙、頑張ってるみんなのためにってことで、前回この審査に合格した先輩たちがわざわざ寄せてくれたものだから是非是非攻略の参考にしてください。
それではさっそく一通目。P.Nレッグイーターさんからのお便りです。えー、なになに? 僕はこの審査を受けるまで全然パッとしない普通以下の中学生でした。あらー、そうなのかー。ところが審査に合格してみてびっくり。ほうほう、どうしてどうして? なぜかそのあと急に運気が向いてきて、初ミッションではポールポジションに選ばれるし、そのおかげでカワイイ彼女もできたりで、本当に僕一人がこんなに幸せになって良いのかと驚いてしまうくらいハッピーになれたんです。なのでみんなも絶対合格して最高の幸せを手に入れてくださいね……だって。あー、そうかー確かに初ミッションでポールポジションっていうのは凄いねぇ。先生も羨ましいぞ、レッグイーターさん。
はいそれでは続いて二通目いってみよう。と思ったけどなんだか先生飽きちゃったからもういいや。みんなも別にいいよなー? はい、いいそうなので新しく死んだ人、もとい失格者の発表です。一気にいきまーす。って、あれー、そういえば今回はずいぶん少ないんだよなー。男子11番トノムラ君、女子7番スドウさん、男子14番モチヅキ君の三人だけです死んだのは。困ったもんだねー。いやはや。
……あのさあ、先生ちょっと思ったんだけど、お前たちもしかしてやる気ない? 橋が壊れてからずっと同じところをウロウロしてるみたいだけど?
あーあーあー、もしもーし。君たちは次に自分たちが何をするべきかってことにちゃんと気づいているんでしょうか? もし気づいてるんだったら先生心からの忠告です。躊躇している時間はありません。実際のミッションでは犠牲を踏み越えていくなんてことは、まったくもって日常茶飯事。何も気に病む必要はないし、そういう決断は総じて英断と言うんです。
そうそう、それから、どうやらみんな誤解しているようなので、ここではっきりさせておくけど、何も死んだ奴だけが失格になるわけじゃないんだからな。これはあくまでも審査なので、こっちで失格と判断した場合にも当然死んでもらいますからそのつもりで。
あれ、何? もしかしてお前ら信用してない? 先生の言うこと疑ってるの? まさかこっちから手は出せないだろうとか? ははぁ、そうかそうか、わかったわかった。じゃあせっかくだし、ちょっと今から実演しちゃおうかな。それでみんながやる気を取り戻してくれたら先生うれしいし。
さて男子8番タムラ君。君はみんなに迷惑かけているばっかりで、今までなーんにもミッション攻略に貢献してませんね? 女子のみんなだって偵察に出たりして頑張ってるっていうのに、恥ずかしくないんですかお前は。いやまあな、タムラがケガしてちゃんと動けないのは知ってるよ。でもミッションていうのはそんなに甘くないし、そういうお荷物さんはさっさと切り捨ててあげるべきだと先生は思う。
……と言うわけでタムラ君は失格になりました。今から個人的にボンバーをかけます。みんなも失格にならないように、早くするべきことをしてください。
では最後になりましたが、みんな余裕が出てきたみたいだから、このあたりで新ルールを導入してみようかと思います。これからは同じエリアに10分以上留まっていたらその時点で失格にするので、どんどん先に移動していきましょう。なーに、橋がなくなたって大丈夫さ。なせばなる。自分を信じてがんばれよ。ああ、そうだ。ちなみに同じところをグルグル回り続けるのも建設的でないのでダメにします。オーケイ?

【残り12人】

                    *

通路の真ん中に堂々と構える怪しげな建造物。あまりにも不審なそのオブジェを出口かもしれないと言って駆け寄ったモチヅキは途端に動き出した巨大ローラーにメリメリと巻き込まれて挽肉のようになって死んだ。
ようやく足取りもしっかりしてきて、もうみんなに迷惑をかけたくないと言っていたタムラも、つい先ほどキーティングから失格を言い渡された直後に爆発して死んだ。
みんなのアイテムを持ち逃げしたばかりか、復習を恐れ唯一奥のブロックに通じる橋をハラダたちもろとも爆破して逃走したチバもやはりどこかで死んだらしい。
ハラダがチバに殺されてから、あるいは残り少ない手持ちの水やアイテムの大半を一度に失ったと気づいてから、みんなの様子が少しずつおかしくなり始めた。スギムラはもういない。ツキシマはほとんど口を利かなくなり、いつでもポジティブシンキングが売りのオダやミハラも口にするのはほとんどうわごとのような恨み言ばかり。なんでなんでなんでどうして俺が私がこんな目に。
橋を修復する道具はなかった。残された手段は、橋よりこちら側のブロックのうちでまだ探索の済んでいない通路に望みを託すことだったが、そこにゴールが存在しないと確かめられたときには、それまで嘆く間も惜しんで一行の指揮をとり続けていたサエキでさえもはっきりと絶望の色を顕わにした。道を失った集団はいつしか結束を忘れ、励ましや慰めは嘲りと罵りに打ち消される。
そんな状況下にあって、キーティングの放送は決定的だった。あまりにも理不尽なタムラへの宣告。目の前で爆破される失格者。それは見せしめであり脅迫だった。砕け散るタムラの叫びを聞きながら誰もが理解しただろう。自分たちは今、口の中に銃を突っ込まれているのとなんら変わりのない状態にあるということを。
ゲーム盤はキーティングの目前にある。そこには生存者全員分の命の蝋燭が火を灯しており、あの男はいつでも気分次第でその炎を吹き消してしまうことができるのだ。
ならばもう逃げ道はない。ここでは抵抗と死とはイコール。
自分たちのするべき事に気がついているのかとキーティングは言った。
橋が破壊された以上、残された手段はもう一つしかない。なすべきこと。マップを検証すればそれがなんであるのかは明白だったが、あえて口に出そうとする者はいなかった。新ルールの導入により同じ場所に留まることが許されなくなった一行は、いつの間にか目的の場所にたどり着いている。
あるいは望みなど残されていない方がマシだったのではないかとワタリは思った。

「──やるしかないのよ、もう……」
強いられた沈黙を投げ出すようにして、とうとう口を開いたのはミハラだった。
「やるしかないって……何を?」
演技だろうか、不思議そうに首を傾げてナカムラ(女子出席番号9)が訊ねる。
ミハラは忌々しそうにナカムラを睨めつけ、
「ハッ、何よ今更!」ヒステリックに叫んだ。「そんなの決まってるじゃないッ! とぼけたこと言ってんじゃないわよ! わかってるくせにッ!」
怒鳴りつけられたナカムラは黙ってミラハを睨み返す。ミハラの叫びはなおも続いた。
「ああッ! もうウンザリ! ホント、あんたっていっつもそうだよね。私はなんにも知りません〜みたいな顔しちゃってさ! バッカじゃないの!」
「おい、落ち着けよ、ミハラ……」
オダが駆け寄って肩を掴んだが、ミハラは滅茶苦茶に暴れてそれを振り払う。
「放してッ! もう時間がないのよ!? オダ、あんたわかってんの? 早くしないとみんなタムラみたいに殺されるんだからッ!」
喚くミハラにみんなの注目が集まっていた。
「──ミハラさん」サエキがよく通る声で話しかける。「何か意見があるのなら、はっきりと言って欲しいわね。……つまりあなたはどうするべきだと思うの?」
突き放すような言い方だった。ミハラは暴れるのをやめ、憎しみのこもった眼差しをサエキに向ける。他の者は一様に不安そうな表情でそのやりとりを見守っていたが、しかし決してミハラに助け船を出そうとはしない。
「どうするべきかって、なに? サエキ、そんなこともわからないの?」
ミハラがさっと一同を見回して言った。
「いいわよ、じゃあ言ってあげるわよ。ここから先に進むためにはね、もうボンバーを使って新しい道を造るしかないの。誰かがボンバーになってこの壁を壊してくれたら、それでみんな助かるんだから私はそうしようって言ってるんだけど、どう? これって間違っているかしら?」
半ば自棄になって堂々とまくし立てるミハラ。その場にいた誰もが、聞きたくもないことを聞かされたというような表情を取り繕って沈黙した。ひたすら気まずさが募る。もちろん、すぐに反論が出ないのは、他に手だてのないことをよく理解しているからだ。
「おい、いい加減にしろ!」突然、ソネが怒鳴った。ソネの顔は半分、吹き飛んだタムラの血で赤く染まっている。「そんなの間違ってるに決まってるだろ! みんなもなんで黙ってるんだ!」
「へーえ。じゃあ、ソネ。あんたはどうしろっていうのよ?」ミハラがどこか勝ち誇ったような表情で言う。「他に何か良いアイディアでもあるの? あるなら早く言ってみなさいよ。ほら、もうあと5分しかないんだから」
ソネはミハラの追及に答えられない。他の誰だって答えられない。唯一の解答はすでに提示されているのだから。
「とにかくボンバーは駄目だ」それでもソネは頑なに主張した。「俺は絶対に賛成できない。そんなのは……間違ってる」
「ハッ、わかってるわよ、そんなこと!」ミハラが喚く。「でも他にどうしようもないでしょう! このまま何もしないでいたら五分後にはみんな死ぬの。ニシオやハラダやタムラみたいに、みんなバラバラに飛び散って死ぬのよ! 私はそんなの絶対にイヤ」
死ぬのはイヤだ。誰だってそうだ。そんなことは今更ミハラに言われなくたってわかり切っている。
再び沈黙が訪れた。もう時間がない。チラリと腕時計を確かめたサエキが、一歩踏み出してみんなに言った。
「──決を採りましょう」
一斉に顔を起こしてサエキに注目する一同。
「な、おい、なに言ってるんだ、サエキ──」
食ってかかるソネを無視してサエキが続ける。「ボンバーを使うことに賛成の人、挙手してください」
ミハラが早速手を挙げた。不安そうにみんなの顔色を窺いながらムラオカ(女子出席番号13)怖ず怖ずと腕を上げる。そして、うつむいたままオダ、ナカムラ、ウエハラ、コミヤ。
ソネが驚いたように目を瞠ってみんなを見ていた。
最後にゆっくりと、サエキが自ら手を挙げて言う。
「賛成は7人。では反対の人」
今度はしばらく誰も挙手しなかった。10人中7人が賛成したのだから、残った者に何ができるというのだろう。ソネが慌てて手を挙げる。
「反対は1人だけのようね。……残りの二人はどういうつもりかしら?」そう言ってサエキは、ワタリとツキシマに批判的な眼差しを向けたが、小さくため息をついてから淡々と言った。「何か意見があるのなら聞きたいところだけれど、時間がないのでこのまま進めます」
有無を言わせぬ司会進行。
──そんなのってあるか。
ワタリは思ったが、黙ってその光景を見守っていた。どんなに卑怯だと罵られても、こんな決議に参加できるはずがない。そもそも無意味なのだ。ボンバーの使用を決定したところで、その先自分たちに何ができるというのだろう。
「次はボンバーになる人だけど……志願者はいないわよね、当然」
サエキがそう言って鋭い眼差しを向けると、やはり一同はあたふたと顔を伏せた。
そらみろ。問題は何も解決していない。いい加減な覚悟で賛成なんてするからだ。
内心罵声を浴びせるワタリだったが、サエキは進行を止めなかった。
「立候補する人がいないのなら、誰か相応しい人を推薦してください。発案者としてミハラさん、どうですか?」
「嫌よ、私は嫌ッ!」早とちりしたのか指名されたミハラがけたたましく叫んだ。「絶対に嫌!」
「当たり前だ! そんなの誰だって嫌に決まってるだろッ!」いきり立ったソネがここぞとばかりに口を挟む。「もうやめろよ、こんなの!」
しかしサエキは完全にそれを無視して、
「もうあまり時間がありません。ミハラさん、発案者としてあなたには責任があると思います。立候補したくないなら、せめて誰か他の人を推薦してください」
何かがおかしかった。学級会でも進めているような冷静なサエキの態度に、ミハラは完全に気圧されている。
「どうですか、ミハラさん」半ば強制するようなサエキの声。
「わ、私は……」観念したように呟いて、ミハラはゆっくりと順番にみんなを見回し始めた。大きく見開かれたその瞳。そこにはチロチロと獲物を見定めるような陰湿な輝きが宿っている。
沈黙。誰もが気配を潜め、その視線から逃れようと必死になっていたとき、
「──あ」
ミハラが何かを見つけたように呟いた。固定される視線。
「……コミヤ」
名を呼ばれたコミヤが、ビクッと肩を震わせる。──と、それまで緊張に固まっていたミハラの口元が、何故か安堵したようにほころんだ。
「委員長」ミハラは素早くサエキに向き直って言う。自信に満ちた声で。「私はコミヤさんを推薦します。だって、もとはといえばあのコが原因でしょう? コミヤが水を落としたりしなけりゃ、チバの馬鹿だってあんなことしなかったかもしれないんだよ? そしたら私たちもこんな目に遭わなくて済んだんだし。そうだよ、悪いの全部コミヤじゃん。コミヤが水を落としたりするからいけないのよ。みんなだってそう思ってるんでしょ? だったらコミヤに責任取ってもらうべきよ」
次第に語気を荒げ、せわしくまくし立てたミハラは、ついにはコミヤを指さした。
「──それにコミヤ、あんただってオメイヘンジョウしたいでしょ?」
「そ、そんな……」
消え入りそうな声でコミヤが呻く。ガタガタと震え出すその小柄な身体に、品定めでもするようなみんなの視線が集まっていた。
「まぁ確かにな」ポツリとオダ。「あの水は痛かった」
「そうだよね、やっぱり……」顔を背けてナカムラが呟く。
そしてサエキがまとめるように言った。
「わかりました。他に意見がないようならもう一度決を採りましょう。コミヤさんがいいと思う人」
「ちょ、そんな、待ってよ」
慌てて駆け寄るコミヤを無視して、ミハラがスッと手を挙げた。コミヤを除く先ほどのメンバーが次々とそれに続く。
「い、嫌だよ、嘘でしょ? やめて、やめてよ、ねぇ、ナカムラ──」コミヤは泣きながらナカムラの腕にしがみついたが、ナカムラは煩わしそうに顔を背ける。「お願い、そんな、待ってよ、オダ君──」
今度はオダがまとわりつくコミヤを強引に引き離して突き飛ばした。床に倒れ込んだコミヤは呆然とみんなを見つめてパクパクと口を動かしている。
「どうしてよ、オダ君! どうして? ねえ、さっきはみんなも大丈夫だからって、気にすることないって、言ってくれたじゃない……」
しきりに身体を揺すり懇願するコミヤ。挙手する者たちは皆冷酷な瞳を向けるだけで決して声をかけようとしなかった。愕然と見開かれたコミヤの瞳から大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。
「賛成は6人。……決定ね」
コミヤを見ずにサエキが言った。
「嫌、嫌だよ、ゆるっ、うぅ、許してよ、ごめ、ひっく、ごめんなさい。謝るから。もう絶対あんなことしませんから、ごめんなさい、ねぇ、ごめん、うぇ、ごめんなさい、ごめんなさいってばぁ……」
顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくるコミヤ。無言でその姿を見つめていたオダが躊躇いもなくボンバーのスイッチを取り出した。そのとき、
──バンッ、ソネが勢いよく壁を叩いた。
「やめろッ! こんなの人殺しと同じだ!」罵り、コミヤに駆け寄ったソネはそっと優しくその肩を掴む。「──コミヤ、落ち着け、大丈夫だ」
コミヤがゆっくりと顔を起こした。一度大きく頷いて、さっと一同を見回すソネ。
「もうこれ以上付き合いきれない。俺は他の道を探す。コミヤも連れて行くからな」
そう言ってソネが再びコミヤに向かい合ったとき、突然一歩踏み出したオダが思い切りソネの顔面を殴りつけた。
「──ぅぐっ」
そのままコミヤの襟首を掴んだオダは、暴れるコミヤを力ずくで立ち上がらせ、投げるようにしてポンとミハラたちつき渡した。
「い、嫌ぁッ、放してッ」
「何のつもりだ、オダ!」
ソネが潰れた鼻を押さえながらオダを睨みつける。
「うるさい。勝手なこと言ってんじゃねぇ! これはな、みんなで決めたことなんだ! さっきはコミヤだって賛成してただろ! おい、ワタリ! 早くこの馬鹿を取り押さえろよ」
命じられたワタリだったが、動くつもりなどなかった。いや、単に選べなかったのだ。ソネを取り押さえることも、コミヤを助け出すことも。
「チッ、腰抜け野郎!」蔑むように怒鳴って、オダが持っていたスイッチをミハラたちに投げ渡す。「早くしろ、ミハラ!」
「い、いやぁぁああ!」
「やめろッ! よせッ!」
次の瞬間、ソネの抵抗も虚しくコミヤの頭上でカウンターが作動した。ミハラとムラオカがコミヤの首根っこを押さえつけて力任せに突き飛ばす。壁に激突したコミヤはぐったりと床に崩れ落ち、ふらふらと顔を起こして縋るような瞳をソネに向けたが──。
近くにいた者たちは一斉にその場を離れた。
炸裂音が響き渡り、あたりに砕けた壁の破片が降り注ぐ。
そうして尊い犠牲の上に新たな道は開かれたが、泣き叫ぶソネの声にワタリは耳を塞がずにはいられなかった。

【残り11人】

                    *

「──お前らは人殺しだ」
ソネはその場にいた全員を睨みつけて言った。
「わかってるのか? お前らがコミヤを殺したんだ」
「仕方がないでしょ。みんなで決めたことなのよ」
サエキが冷たく言い放つ。
「仕方がないだと? ふざけるな! 自分が生き延びるためなら友達殺してもいいって言うのかッ! みんなで決めたって何だッ!」
「ちょっと、うるさいわよ、ソネ」自分の荷物を担ぎながらミハラが言う。「あんたさ、なに一人でカッコつけようとしてるワケ? 自分だって同罪じゃん」
「違う! 俺は反対した!」
「だったらコミヤのかわりにあんたが立候補すればよかったのよ。そしたらコミヤが死ぬことなかったでしょ? 違う? なにもしてないくせに偉そうなこと言わないでよ!」
ミハラの言葉にソネは黙った。
違う。ソネがなにもしてないなんてことはない。なにもしていないのは自分だ。ワタリは思う。ひたすら沈黙を続けてコミヤを見殺しにした自分は卑怯だ。常軌を逸したみんなの行動を制止するでもなくただ静観し、あまつさえその成り行きに微かとはいえ希望を見出そうとしていた自分は限りなく卑怯だ。結果として命は長らえたが、その過程において自分は最悪の判断をした。いや、判断さえできずにいたのだ。卑怯だ卑怯だ卑怯だ。それはわかる。しかし、ワタリにはそれ以上考えを進めることはできなかった。
悔しそうにうつむくソネを残してミハラがさっさと歩き出し、他の者たちも黙ってそれに従った。もう立ち止まっている時間はない。
「行こう、ソネ」
ワタリはソネに呼びかける。犠牲の上に立つ者はひたすら生き続けなければならない。たとえどんなに卑怯であったとしても。
しかしソネは堅く拳を握りしめ、
「──嫌だ」
はっきりと拒絶した。
「その道を通ったら、お前らのやり方を認めることになる。それはできない」
その言葉に皆がいったん足を止めてソネの方を振り返る。
ソネはぐるりと一同を見回して、突然高らかに声を張り上げた。
「その道を進むってことはな、人間やめるってことだ」
「黙れよ、ソネ!」素早くオダが怒鳴りつける。「どのみちここ通らなきゃお前だって死ぬんだ。意地張ってないでさっさと諦めろッ!」
そしてオダは再び背を向け歩き始めた。
ワタリは黙ってソネの正面に立ちすくみ、その傍らでツキシマが不安そうに二人の様子を見つめている。
「ワタリ……」ポツリとソネが呟く。「ツキシマ、俺はもう嫌になったよ。こんなこと言いたくないけど、あいつらどうかしちまってる。でも、お前たちはまだ正気だよな?」
そう言って順番に二人を見つめるソネ。
「俺はここに残るよ。ああ、死んだって構うか。友達殺して生き延びるよりはずっとマシだ。そんなの人間のすることじゃない。お前らだってそう思うだろ?」
ワタリには頷くことができなかった。ツキシマも答えない。ふぅと溜め息をついてソネが続ける。
「俺さ……コミヤが好きだった。今更だけど」言いながらソネは少し照れたように顔を伏せた。「──でもこの前フラれんたんだ。他に好きな人がいるからって。はは、知ってるか? コミヤが好きな奴って、オダだったんだぜ? それなのにオダの奴、全然気づいてなくてさ……そんなのってないよな。可哀想だろ、コミヤが」
「待ってくれ、ソネ、俺は……」
ワタリはどうにか呟く。
ソネはしばらくじっと二人を見据え、そしてどこか寂しそうに言った。
「……そうか、わかった。いいよ。もう行け。やっぱりお前らも──」
「駄目だ。お前も来い、ソネ」
ワタリは怒鳴ってソネの腕を掴んだが、ソネは勢いよくそれを振り払う。
「お前らも同じなんだよ。コミヤを殺したあいつらと」
もう時間がなかった。説得を諦めワタリはツキシマの腕を引いて全力で走り出す。
先に進んだ連中はもう新しいブロックに足を踏み入れていた。背後から呪いに満ちたソネの叫び声が聞こえる。
「覚悟しろよ、お前ら! そっから先は地獄だからな! お前らはこれからも絶対に同じことを繰り返す羽目になるぞ!」
そうなのだろう、きっと。
もうやり直しの利く段階ではない。ゴールはどこにも見あたらず、ボンバーはまだ4つ残っている。
ソネは最後にこう問いかけた。
──人を犠牲にしてまで、お前らに生き延びる価値があると思うのか?

「フン、バッカじゃないの。無理してカッコつけちゃってさ。どうせ死ぬならコミヤみたく役に立って死ねつーの。あんなのただの無駄死にじゃん」
ソネの死をそう評したのはミハラだった。
きっとミハラは知らないのだろう。
この先にいくつの壁が立ちふさがっているのかを。
そして誰もが目を閉じ耳を塞いでいるはず。
果たしてソネの死は本当に無駄だったのか。
命と引き替えに人であることを貫いたソネの死が?
進むことを選んだワタリにはもうわからない。

【残り10人】

                    *

──うう。
気がついて目を開けたとき、ウラベはあまりの激痛に泣きそうになった。
しばらく何が起こったのか理解できずにいたが、突然テラワキの顔が脳裏に浮かんで、自分が深い穴の底に落下したことを思い出した。
見ると右足があり得ない方向にねじれている。鼻血が乾いて顔はガサガサ。四方は10メートル近いツルツルの壁に囲まれていて、たとえ足が無事だったとしても、とても上までは登れそうにない。さすがに諦めたのか、あたりにテラワキの姿は見えなかったが、それでも状況が好転したとは思えなかった。
どれくらい時間が経ったのだろう。
トノムラやスドウの名を呼んでも返事はなかった。いや、声を出そうにも胸が苦しくてまともに発声ができない。何がどうなっているのか、身体だって動きやしない。
途方に暮れたウラベは、何一つまともにできないまま、ひたすら深い穴の底で転がっていた。時間が過ぎる。──ちくしょう。無人島に漂着した遭難者だって、もう少しまともな対応ができるんじゃないか。のろしを上げるとか、大声で叫ぶとか、野豚を狩るとか。
ウラベは自分の不甲斐なさを悔やんだが、しかし脱出の手段など思い浮かぶはずもなく、唯一自分にできること(ぼんやりと目に映る天上の様子を眺めること)だけを長く続けなければならなかった。しかしこうも身体の自由が利かないというのは、もしかすると背骨をやられてしまったのかもしれない。将来の生活を思って気が滅入ったが、今身体を支配しているこの痛みから解放されるならそれでもいいとウラベは思った。
痛くて痛くてたまらない。いい加減気が狂いそうだ。
助けてくれ! 誰か! ヘルプ!
叫びたくても叫べないウラベはやがて呪いのこもった眼差しで穴の縁を睨み付ける。ああもう井の中の蛙は大海を知らずに死んでくれ。木乃伊取りは木乃伊になって死んでくれ。目糞は鼻糞を笑い殺して窮鼠は猫をかみ殺せ。ちくしょう。こんな穴の中で身動きもできずに野垂れ死んでしまうのか俺は。いやもう死にたいかも。
テラワキのクソ野郎。トノムラの阿呆。こんなふうになって、俺もう駄目じゃないか。助かったって残りの人生ベッドの上だ。ギターだって弾けやしない。十九でメジャーデビューする予定だったのにさ。しかたない。こうなったら誰にも気づかれずに寂しい最後を遂げてやる。一人暮らしの寝たきり老人みたいに世間の片隅でひっそりと誰にも迷惑かけずに眠るように天に召されて、そりゃあもうどんな極悪人だって絶対胸を痛めずにはいられないってくらいに寂しくな。だから悔やめよ世の中の人。
──あ。ウソ。ウソです。ごめんなさい。俺はまだ生きられる。
「た、助けて……くれ……」
ウラベはどうにか口元だけを動かして助けを求める。
穴の縁には下を覗き込む顔がぞろりとあった。
見覚えのある顔。オダ、サエキ、ウエハラ、ツキシマ、ワタリ、その他諸々。
ああ、これぞ天のタスケだ。やっぱり持つべきものはクラスメイト。ウラベは必死で自分の存在をアピールする。
……と、クラスメイトたちは怪訝そうにウラベを眺めおろし、しばらく通夜みたいな辛気くさい顔をしていると思ったら、それも束の間。
何故か諦めたように顔を見合わせて首を振った。
──なんだそりゃ! おい、お前ら、後で一人ずつ体育館の裏にでも来いッ!
そそくさと穴の縁から顔を引っ込めていくクラスメイトたち。
しかし、身動きのとれないウラベには次々と立ち去っていく彼らをただ呆然と眺めることしかできない。情けないことに声もまともに出なかった。
そうしてウラベは一人深い穴の中に取り残される。
もちろんウラベ自身は気がついていなかったが、そのときウラベの頭上では刻々と自爆カウンタが進んでいた。
なんで? なんでだよ? 意味不明だよ。
朦朧とした意識に支配されたウラベはゆっくりと目を閉じながら思う。
あ、わかった。つまりあれは幻覚ってヤツだろ?
あんな善良な連中が困ってる奴を見捨てるはずないし。
そういやもう身体の感覚とか全然ないし。

【残り9人】

                    *

通路を進むうち、途中で深い穴の底に横たわるウラベを発見する一行だったが、助けようという意見が出ることはなかった。同じ場所に長く留まれば爆破されてしまうのだし、怪我人のために労力を惜しまなかった勇敢なソネはもうどこにもいないのだから。
新しいブロック入っても、依然としてゴールが見つかることはなかった。
コミヤの一件から誰もが慎重に行動するようになり、表面的な結束力は回復したかに見えたが、実際は自分が次のボンバー候補から逃れるための布石に過ぎない。ミスをすればそれを理由に犠牲に捧げられるのだから、注意深くもなろうというもの。そのセオリーを確立したミハラは、特に警戒し、警戒され、次第に孤立するようになっていった。
そして再び目の前に壁が立ちはだかったとき、ワタリはソネの言葉を思い出さずにはいられない。確かに、ここは地獄なのだ。
「なによ! ムラオカ! さっきはあんただって賛成したでしょ!? ううん、あのときは、みんなああするしかないってわかってたはずよ! それをなに? 今更いい子ぶってさ、冗談じゃないわよ!」
二人目のボンバー候補に挙げられたミハラは必死の形相で反論した。最初はミハラがムラオカを推薦したのだが、ムラオカはすぐに発案者としてミハラの名前を挙げたのだ。誰にもミスらしいミスがない以上、無理矢理にでも理由をこじつけなければ保身を計ることもできない。
「でも、ミハラがあんなこと言い出さなければ、私たちこんなに苦しい思いをしなくてすんだかもしれないんだよ?」ムラオカは落ち着いた声で不平を言う。どちらに利があるかわかっているのだろう。「もしかしたらコミヤだって死ななくて済んだかもしれないし、他の方法だってあったかも──」
「なかったわよ、そんなのッ!」
「でも、私は本当に嫌だったの。こんなに嫌な思いをするくらないなら、ソネと一緒に残ればよかった。人殺し呼ばわりまでされてさ、ホント最低だよ。それもこれも全部あんたがあんなこと言い出したせいなんだからね」
「だから、それはみんなだって──」
「だいたい、平気でコミヤ名指ししたりしてさ、ミハラ、あんたおかしいよ。みんな、みんななんて言って、最初から自分が助かることしか考えてないくせに」
「うるさい! あんただって同じでしょ! 自分だけ被害者ぶってんじゃねぇよッ!」
二人はお互いにがなり合い、ただ相手をなじるばかりで進展はない。それでもミハラが喚けば喚くほど、みんなの視線は冷たくなった。
ここにいられる時間もあと僅か。
「そこまでよ、二人とも」
どれほどタフな精神を持っていのか、相変わらず冷静な声でサエキが言う。
「──決を採りましょう」

発案者には発案者の責任があるのだから発案者はその責任をとるように。
どんなに子供じみた理屈でも、みんなで決めたことはちゃんと守らなくてはならない。
「ありがとう、ミハラ。これでみんな先に進めるわ」
昏倒し、ぐったりと力無く項垂れるミハラを壁の前に連れて行くとき、ムラオカがボソリとそう伝えた。
ソネの予言は的中し、地獄の通路に安らぎはない。

【残り8人】

                    *

いつの間にか、犠牲は当然のものになっていた。
多くのアイテムを失い、使えそうなものはボンバーだけ。チバの一件から偵察隊は廃止され、油断した者は次々と罠の餌食になった。ウエハラとムラオカが死んだとき、オダは忌々しそうに地面を蹴りつけて言った。
「ちくしょう、またボンバー候補が減ったじゃねぇか!」
しかし、そのオダも残りのアイテムが全部入ったバッグを持ったままプレスマシンに押しつぶされて死んだ。
マップはほとんど網羅した。
まだゴールは見つからない。
アイテムは尽きた。
そして三度壁が立ちふさがる。
「そんな……」
呟いたナカムラはヨロヨロと揺れながら床にしゃがみ込んだ。サエキが慌ててマップを取りだし、ルートの確認をする。
「どうして? こんなのおかしいわ。ほら見て、この道を真っ直ぐ進んできたんだから、この奥に通路が続いてるはずでしょう? ゴールだってきっとそこにあるのよ。ええ、そう。間違いない。だから絶対にここであっているはずなの」
言いながらサエキは正面を指さした。
しかしそこには壁がある。
「卑怯よ! こんな壁、マップに出てない!」
つまりマップにも裏切られたのだ。いや、そもそもそのマップだってキーティングに渡されたものなのだから、ここまで正確だったことの方がむしろおかしい。
「どうするのよ! もうボンバーだってないじゃない!」
サエキは叫んでマップをビリビリと引き裂いた。何度も何度も、徹底的に。
クラスメイトを何人も犠牲にして、ようやくここまで来て、それで手詰まり。
──ノルマ5パーセントだって?
最初からクリアさせる気なんてないくせに。
今更罵っても遅かった。
ワタリはそっと自分のポケットをまさぐる。
堅い感触。四角い箱。
それはこっそりと忍ばせておいたボンバーのスイッチ。
しかし、それをどうしろというのだろう。どういうつもりで自分がそれを手元に確保しておいたのか、ワタリにはもう思い出せない。
ソネならば躊躇わずに処分してしまっただろうか。
ツキシマがフラフラと壁に近寄って、そこに虚しく爪を立て始めた。
ガリガリ。
無言でナカムラもそれに従う。ツルハシだって、もうここにはない。行く手を遮るモルタルのような壁は、爆発によって崩れる程度には脆く、しかし決して人の指先でどうにかなるような代物ではなかった。その半端な強度が憎たらしい。
掘るというよりも削る。削るというよりも引っ掻く。
壁を引っ掻き続けた二人の爪から、じんわりと赤い血が滲み始める。
ワタリはもう一度ポケットに手を伸ばした。最後のボンバー。これを使えば四人のうち三人は助かるかもしれない。しかし、その先にまた壁がないとどうして言える? 絶対にゴールがあるとどうして言える?
それでも、こいつに頼らなくてはならないのか?

──ピンポンパンポーン。

その放送が始まったとき、四人は息を呑み込んでぴたりと動くのをやめた。
もう時計など見ていなかったが、まさか制限時間が過ぎたのだろうか。
『はいはいはいお疲れお疲れ〜』
キーティングが相変わらず軽い調子で話し始める。
『やー、それにしてもみんな、ずいぶん減っちゃったなぁ。このままじゃノルマ達成も危ういんじゃないかー? 知ったことじゃないけど。ってウソウソ。君たちはここまで本当に立派にやってきました。友達を犠牲にして生き延びて、みんな立派な卑怯者です。あいや、ごめん。そうじゃないな。勇者って言うべきだよな。うん、でもこれで身にしみてわかっただろう? ミッションというのがいかに過酷なモノか。だけどな、そうでもして生き延びる強い意志のある人だけを我々は求めているのです。あ、ちなみに、実際のミッションはもっともっと過酷だからあんまり調子に乗るんじゃないぞ』
「ニシザワ先生!」
突然、サエキが天上を見上げて叫んだ。
『えっと、私はキャプテン・キーティングですが?』
「先生! これはどういうことですか! マップが間違っています!」
果敢に問い質すサエキだったが、今、そんなことは問題ではない。キーティングが間延びした声で答える。
『え〜、そんなこと言われてもなぁ。それって先生の責任か?』
「なによそれッ! ふざけんじゃないわよ!」
今度はナカムラが叫んだ。
『まあまあ、落ち着きなさい。先生だって君たちがどういう状況にあるのかは、よーくわかってるんだから。そうだね、ここまで来たご褒美にいいこと教えてあげようか。ゴールはその壁の向こうにある。そして制限時間はあと僅か』
「わかってるのよ、そんなことはッ!」
ナカムラが悔しそうに壁を叩く。
『おいおいナカムラ。お前ちょっと口が悪いなぁ。このミッションで何も学ばなかったのか? 先生の言うことをちゃんと聞かない子は駄目だぞ。仰げばと尊し我が師の恩って、そういう有名な歌があるだろ?』
ナカムラは黙った。かわってサエキが問いかける。
「じゃあ、どうすればいいんですか? もうアイテムも何もないんです。私たち、ここまで必死でやってきました。失敗もしたけど、でも諦めずに続けたんです。このまま失格なんて納得できません!」
『うんうん。わかるわかる。サエキもナカムラも頑張ってたもんな。みんな勝手な行動ばっかりで迷惑しただろ。うん、いいよ。わかった。それじゃあ特別にちょっとだけサービスしちゃおう』
「た、助けてくれるの?」
途端に目を輝かせてナカムラが立ち上がる。
『いやまさか。いくら先生でもそこまではできない。でもまあチャンスはチャンスだからな、お前たちの対応次第では合格にしてやってもいいぞ』
「ど、どうすればいいんですか?」
『うん、そうだな。これから先生がクイズを出すから、それに正解できたら合格ってことでどうかな? あでも、さすがにみんなってわけにはいかないから、うーん、そうだな。じゃあ二人。二人だけにそのチャンスをあげます。よーく話し合って参加する人を決めてくれ。なるべく早くな』
「私が受けるわ」
間髪おかずサエキがすぐに名乗り出た。
「私だって」
ナカムラも続く。そして二人は、ワタリとツキシマに向き直った。
「あなた達は駄目よ」厳しい表情でサエキが言う。「だって何もしてないでしょ? 多数決にだって参加しなかったんだもの。そんな人たちが堂々とここまで残ってるってこと自体おかしいんだから」
ツキシマは顔を伏せたまま答えない。
「お前ら──」ワタリはじっとサエキを見据えて言った。「あんな奴の言うこと、真に受けるつもりか?」
「うるさいわね」ナカムラが怒鳴る。「いいよ、サエキ。こんな奴らほっとこう」
「待て、サエキ、冷静になれ。そんな都合のいい話があるわけない」
ワタリは説得したが、サエキは小馬鹿にするようにフンと鼻を鳴らして、
「ワタリ君、あなたが腑抜けで助かったわ。──先生! オーケイです! 私とナカムラさんに決まりました」
『はいはいはーい。了解でーす。それじゃあさっそく……と思ったけど、あれ? ちょっと待って。あー、うーん。その場所だとちょっとカメラから遠いんだよなー。悪いんだけど、二人とももう少し前の方に寄ってくれるか?』
顔を見合わせ素直にそれに従うサエキとナカムラ。
「おい、よせ。二人とも」
しかしサエキもナカムラも振り返らない。
『あー、そうそう。そのあたり。そこでちょっと右向いて。はい、オーケイ』
キーティングに誘導された二人は通路の中央に立ち止まってじっと次の指示を待つ。
『よろしい。ではお二人に問題です。できるだけ簡潔に答えてください』
そしてキーティングは言った。
『──ええと、どうすれば世の中の不幸はなくなりますか?』

「は?」
ポカンと口を開けて声を失うナカムラ。サエキは一度ピクリと眉を動かしたまま、険しい表情で硬直している。
だからやめろと言ったのに。
キーティングの提案は間違いなく罠だった。
そんな漠然とした問題に正解などありえない。
「ま、待ってください、先生。それはつまり……」
サエキは必死で食い下がろうとするが、『駄目です。質問は受け付けません』キーティングはぴしゃりとそれを切り捨てた。
『はい、じゃあナカムラ。どうだ? どうすれば世の中の不幸はなくなるんだ?』
ナカムラは「うう」とか「ああ」とか唸るばかりで何も答えることができずにいる。
『ほら、どうした。せっかくのチャンスを無駄にする気か?』
「わ、私は……」ようやくナカムラがもごもごと口を動かす。「私は、もっと、みんなが……みんなに……優しくなれたら、いいんじゃなかって──」
『ふうん。それでお前はみんなに優しくしてあげたのかな?』
追及され、ナカムラは縋るような眼差しを天上に向ける。「し、しました、しました。私ずっと──」
『っていうかさ、ナカムラ。先生はどうすれば世の中の不幸がなくなるかってことを聞いたんだけどな。お前の考えとかそういうんじゃなくてさ、もっと画期的かつ具体的な解決策を答えて欲しいわけだよ。もう遅いけど』
キーティングがそう告げた瞬間。
軋むような音を立てて天上が落下した。
あっという間もない。それまでナカムラが立っていたところには、巨大なブロックがそびえている。床の隙間からヌルヌルと流れ出すナカムラの血。
「いぃ、いやぁぁぁ」
ナカムラを押しつぶしたブロックのすぐわきで、腰を抜かしたサエキが震えるような悲鳴を上げた。
「クソッ! 早くそこから離れろッ! サエキ!」
咄嗟にワタリはサエキに駆け寄ろうとしたが、
『勝手に動くんじゃない! ワタリ! 死にたいのかッ!?』
「あっ、あぁ、ああぁ」
サエキが手足をばたつかせてもがいている。ブロックはギリギリのところでサエキの身体をかすめてナカムラだけを潰したのだ。
『サエキ、お前もそこを離れたら失格だぞ。せっかくのチャンスなんだから、早くクイズに答えなさい。ほら、どうすれば世の中の不幸はなくなるんだ?』
サエキはガクガクと顎を揺らし、必死になって自分の服を引っ張っていた。裾がブロックに挟まれてしまっているらしい。
こんなものはすでに審査ではなかった。堂々と実行される殺人。これはキーティングによる虐殺だ。
『ほらほら早く答えてくれサエキ。お前の答えで世界中の人たちが幸せになれるかもしれないんだから。はい、ごー、よーん、さーん』
いきなりカウントダウンを始めるキーティング。
その刹那、サエキはぴたりともがくのをやめ凄まじい形相で天上を睨み付けた。
そして叫ぶ。
「このろくでなしッ! あんたが死ねばみんな幸せになれるのよッ!」
しばしの沈黙。
──まったくだ。まったくもってその通りだ。
ワタリは強くそう思った。
しかしキーティングは嬉しそうに告げる。
『残念! ハズレです、サエキさん。というか、こんな誘惑に負けているようでは、とても合格にはできません』

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Lemmingology#6:Lend a helping hand....(1/3)
プロローグ

「あのさ、ハラダのことなんだけど……」

──実力テスト。
終了して放課後。昼下がり。神社にて──。

「そしたらさ ハラダの奴 急に泣き出して……
 なあ俺 何か悪いこと言ったかな」
「スギムラさ ユウコはあんたがどうして そんなこと言うのって言ったんでしょう」
「うん だから野球部の友達に頼まれたって」
「違う!
 それってスギムラにはそんなこと言われたくないってことよ
 この意味わかるでしょう」
「わかんないよ!
 はっきり言ってよ」
「もう 本当にニブいわね
 ユウコはね あんたのことが好きなのよ!」
「え!? そんな俺、困るよ」
「困るって かわいそうなのはユウコよ
 ショック受けて休んじゃったんだから」
「だ…… だって俺……
 俺 お前が好きなんだ」
「えっ……!?
 やだ…… こんな時冗談いわないで」
「冗談じゃないよ ずっと前から お前のことが好きだったんだ」
「だめだよ私は…… だってそんな」
「俺のことキライか? つきあってる奴がいるのか?」
「つきあってる人なんかいないよ
 でも……
 ごめん!」
「待てよっ!
 ツキシマ はっきり言え」
「だって ずっと友達だったから
 スギムラのこと好きだけど
 好きとかそういうんじゃ……
 ごめん うまく言えない……」
「ただの友達か?」
「…………」
「これからもか?」
「…………」
「そうか……」

                   *

つるんとした平面に押しつけられた頬が摩擦のせいで突っ張っている。肌が適度に潤っているから、ぴったりと吸い付くようにして固定されるのだ。
ぼんやりとした頭で何を考えるでもなくのろのろと身体を動かすと、途端に右手が支えを失ってぶらんと下に垂れ落ちた。
ハッとして覚醒する。
深い混濁の中から抜け出したワタリ(男子出席番号15)の目に最初に映ったものは、どこか見慣れた感のある色褪せた黒板だった。
腰が痛い。低迷する意識を奮い立たせ、ぼんやりと周囲を見回して目を擦る。
鉄パイプと合板でできた机。同じ材質の椅子。正面に黒板。大型のテレビ。
──ああ、居眠りしちまったかな?
教師の姿が見あたらないから、幸い授業中ではなかったのだろう。
ということは休み時間? 放課後かもしれない。
目を覚ましたばかりのワタリが、そこをいつもの教室だと錯覚しても無理はなかった。
それにしても、妙に静かだ。部屋は不気味なくらいひっそりと静まりかえっている。
ともすると鈍痛の残る頭を左右に振って、ようやく焦点の合い始めた両眼を隣席に向けたとき、
「な──」
ワタリはその異様さに思わず上擦った声を漏らした。
右隣の席には陰気なアサイ(男子出席番号1)が、大口を開けて間の抜けた顔を向けている。左は委員長のサエキ(女子出席番号5)だが、こちらもぐったりと脱力して、憚りもなく机の上に突っ伏していた。
アサイはともかく、優等生のサエキまでが、だらしなく眠りこけて無防備な姿を晒している。これも稀にみる珍事だが、しかし異様なのはそんなことではない。
ワタリは慌てて自分の胸元を確かめる。
一瞬、我が目を疑ったが、どうやら錯覚ではないらしい。
自分の身体を覆っている濃いブルーの布地。見慣れない服。襟のあたりを摘み上げるようにして内側を覗き込んでみると、恐ろしいことに、そのまま足下が筒抜けだった。
「な、なんだよ、これ……」
アサイもサエキも、なぜかお揃いの真っ青な服を着ている。見慣れた学生服やセーラー服ではなく。それは大きな袋に穴を三つ──首と両腕を通す穴を開けただけの、至って単純な代物だった。そしてワタリも。
おいおい、何だって俺がこんなモノを──。
て、まさか。
──着させられたのか?
着替えた記憶がないのだから、そう判断するほかないだろう。
ぶるりと悪寒がした。
着させられたって? 誰に?
冬だというのに袖は捲られ腕は剥き出し。裾は足首まで届いているが、ワンピースのスカートを着ているようで酷く落ち着かない。下着を付けているだけマシだったが、意図はまったくもって不明だった。何かの冗談だろうか? こんな服はすぐにでも脱ぎ捨ててしまいたかったが、もと着ていた制服が見あたらず、そうすることもできなかった。
見回すと他のクラスメイトたちも皆同じ格好をしている。
右前、無口で妙に威圧感のあるテラワキ(男子出席番号10)。正面、普段からムードメーカーで通っているおかっぱのミハラ(女子出席番号12)。左前のエトウ(男子出席番号4)は特徴らしい特徴のない空気のような男。みんながみんな、そろって同じ服を着ている。ぐうぐう眠っている。なんだか馬鹿げた光景だった。
混乱をねじ伏せようとワタリは強引に深呼吸をする。
ともかく、目を覚ましたのは自分だけらしい。
そう悟って、時間を確かめようと正面の壁を見上げたワタリだったが、そこにあるはずのシンプルな丸時計がなくなっていることに気づいて首を傾げた。咄嗟に腕時計を探ってみると、いつの間にかそれもなくなっている。
なんなんだよ、ルミノックスだぞ。ちくしょう。
ワタリはぶんぶんと頭を振ってみた。効果は少ない。だが──。
おかしい。何か……。
否、よくよく観察してみれば、なにもかもがおかしいのだった。
教室の時計がない。部屋中妙に片づいていて装飾がない。黒板脇の掲示板にも掲示物がひとつもない。廊下側の壁にしたってそうだ。そこには掃除当番表だとか、担任が勝手に作った『今月の目標』なる標語だとか、そういうしょうもないものがびっしりと貼り付けられていたのではなかったか?
──違う。違うんだ。ここはいつもの教室じゃない。どこなんだ? いったい……。
部屋はそこかしこがぼろ布のようにくたびれていた。教室といえば教室。しかしワタリの普段見慣れたそれとは明らかに異なっている。にわかにしつらえたような空間。舞台セットのように配置された教室用の備品、そして生徒たちまで。
まるでリアリティがなかった。
加えてこの薄暗さはどうだ。思いがけない光量の乏しさにワタリは戸惑う。
蛍光灯は点いていたものの、窓の外の景色は見えなかった。
カーテンは引かれていない。
──まさか、夜?
ワタリは身体をひねってもう一度まじまじと窓を観察した。
ガラスに教室の光景が映り込んでいる。狼狽した自分の顔。その向こう。
窓は、外側から板のようなもので覆われているように見えた。
「……よォ、ワタリ」
不意に後方から声がかかった。寝ぼけた声。慌てて振り向くと、ひとつ席を挟んで後方、ポカンと口を開けた親友の間抜け面が飛び込んでくる。
「スギムラ!」
ようやく目を覚ましたらしいスギムラ(男子出席番号6)は、大きな目をしばたたかせながらガリガリと頭を掻き回していた。ワタリとは小学校以来の腐れ縁。野球部所属。
「おい、スギムラ、ヤバイぞ。俺たち何してる? この服──」
言いながらワタリが自分の服を引っ張ってみせると、スギムラは一瞬ぎょっとして何か言いかけたが、すぐに自分も同じ装いをしていることに気づいて、絶句。
しばらく死にかけの魚みたいにパクパクと口を動かしていたスギムラは周囲を見回し、怖ず怖ずとようやくしゃがれた声を絞り出した。
「じゅ、授業、終わったのか? ワタリ。……ヘゴの授業だったろ、さっきまで」
「ヘゴの?」
──そうだ。
「なあ、ワタリ……っていうかさ、なんでみんな寝てんの? 教室だろ、ここ……」
「そうだ! そうだよスギムラ、授業中だったじゃないか! 確か、ヘゴの現国だった。俺、途中で急に眠くなって……ああ、飯喰った後だから、じゃあ五限か? 月曜だよな……でもそうだよ、さっきまでそこにいただろ、ヘゴの奴」
突然興奮気味に喚き散らすワタリに、寝起きのスギムラは困惑しているようだった。
ワタリはようやく思い出す。
そうなのだ。いつだって月曜五限は最低だったし、居眠りして目を覚ます前までは普段と何も変わらなかった。
刺激のない生活は決まりきったパターンの繰り返し。ありがちでありきたり、面倒で退屈で、開始早々うんざりで。けれどそれがそれなりに幸福だと思えるときもあったりして、まあこんなもんだろうとずっとほったらかしにしていた、そういう日常。
思い出した上で、ワタリはいっそう混乱した。停滞が生み出した平穏だけが取り柄のこの国にあって、本当の混乱なんてモノは絶えて久しい。
「じゃあ、どこなんだよ? ここはッ!」
ワタリが怒鳴ると、目の前に丸まっていた青服がモゾモゾと動いた。
「──うぅ」と、消え入りそうなうめき声。
「あ、ツキシマ?」
二人の間の席で眠っていたツキシマ(女子出席番号8)が、いつになく緩慢な仕草で顔を起こした。とろんとした表情。
「おい、ツキシマ!」
後ろから身を乗り出したスギムラが心配そうに呼びかけた。
「……え? スギムラ……?」
その声で覚醒したツキシマは素早く表情を切り替え、きょろきょろとあたりを見回す。
「ワタリ君も……何? ちょっと、どうしてみんな寝てるの? え、──ええっ?」
どうやら自分の妙なファッションに気がついたらしい。
ほぼ同時に他のクラスメイトたちもちらほらと顔を起こし始めた。寝ぼけているのか、全員自失した様子で、すぐに席を立とうとする者は一人もいない。ふらふらと首を動かして周囲を見回したてみたり、訝しげに着ているものを引っ張ってみたり。
クラスの中ではいち早く覚醒したワタリだったが、依然として調子は戻っておらず、それは全身を支配している妙な気怠さのせいのように思えた。
「ここ……教室じゃない」
小声でツキシマが確かめるように囁く。
──そのとき。
ガラガラと勢いよく廊下側のドアが開いた。
授業開始を待つクラスのように、にわかに室内が緊張する。開け放たれたドアに生徒たちの視線は釘付けとなり、そして、のっそりとそこから姿を現した人物を目にしたとき、ワタリは知らず安堵の溜め息を漏らしていた。
「ヘゴだ」
ヘゴこと、クラスの副担任で現国担当のニシザワは、いつもと同じように陰気な表情で室内を見渡すと、そのままおたおたと教壇に向かった。無言で背を向け、慣れた手つきでチョーク箱から白のチョークを一本を取り出す。
カツカツカツカツ。キューキュー、ペキ。
チョークの折れる音。
ヘゴが振り向く。脂ぎった黒髪。中肉中背。やたら目つきが鋭いくせに、瞳は絶えず警戒するように忙しく動き回り、どこか小動物を思わせる挙動。
しかし、何か様子がおかしかった。ヘゴは不自然に目を細め、ギリギリと頬を引きつらせている。肩が微かに震えていた。
嗤っているのだ。
──本当にヘゴか?
目が合った。……沈黙。
どれくらいそうしていただろう。しばらくすると周囲がざわざわと騒がしくなり始めた。「起きろ」と誰かが誰かに呼びかける声も聞こえる。「ヘゴだ」
それを機に教壇のヘゴはワタリから顔を背けて正面に向き直ると、突然やたら明るい声で語りかけた。
「はいはい皆さん、おはようございまーす。よく眠れましたか〜」
何を思ったか、今まで聞いたことのないくらい明瞭な声。
「まだ寝てる人は早く起きてくださ〜い」
あっけらかんとしたその言動。まるでらしくない。小声で囁き合う生徒たちをよそに、ヘゴがパンパンと手を打ち鳴らす。それで、まだ眠っていた者も目を覚ました。
「はーい、みんな起きましたね〜。そしたらちゅうもーく! 私は今日から皆さんの新しい担任になりました、キーティングといいます。キャプテン・キーティングと呼んでください」
気持ちの悪い薄ら笑いを浮かべたまま、ヘゴが言った。
ワタリは戸惑う。
新しい担任? キーティング? ヘゴは何を言っている?
まるで意味不明だった。状況が飲み込めず、生徒たちはしばらく呆然としていたが、事態の異様さに気がついたのか次第にガヤガヤと騒ぎ始める。
「何なの?」「ここどこ?」「授業は?」「なんでヘゴがいるの?」
「こらッ! お喋りやめッ!」
ヘゴが怒鳴った。大声で生徒を怒鳴りつけるなんて、小心者のこの教師にしてはずいぶん思い切った行動だったが、所詮はヘゴのこと。生徒たちはまるで聞こうとしなかった。
「ちょっと今何時よー?」「うわ、ダッサ、何この服?」「サイテー」
ヘゴはふてくされたように一同を見回し、もう一度声だけ張り上げて怒鳴りつける。
「静かにしなさいッ」
「うるせーよ! ヘゴッ! お前が黙っとけ」
普段からキレやすいウラベ(男子出席番号3)がキレたらしい。いつもならそれですっかり怖じ気づいたヘゴは、注意したことを後悔するみたいに大人しく背を向けて、黒板に教科書の丸写しを始めたりするはずだったが──。
「うぅぅらぁぁべぇぇッ!」
ヘゴは突然教卓に両手をかけると、そのまま勢いよくなぎ倒した。顔面をヒクヒクと痙攣させ、射るような眼差し。
「ひッ」と誰かが息を呑む。
「静かにしろっつってんのがわかんねぇのかッ! ああァ!? ウラベ! こっちはな、お前らのためにわざわざ早起きして働いてやってんだ。それを毎日毎日気楽な顔しやがって! 何様のつもりだ、おい、オラッ! 聞いてるのかこの便所虫! ションベンひっかけてブチ殺すぞテメェはッ!」
狂ったように大声で喚き散らすヘゴ。並びの悪い前歯を剥き出しにして、ギリギリと軋むような音を立てている。その豹変ぶりに生徒たちはもはや、しらける以前に完全に引いていた。室内は異様なほどに静まりかえる。
と、ヘゴは不意に穏やか顔に戻って、
「いやぁ、ごめんごめん。先生ついカッとなっちゃって……。でも、汚い言葉遣いは品性を下げます。皆さんくれぐれも気をつけましょう」
諭すように言った。
一瞬、呆気にとられる生徒たちだったが、いつまでも黙ってはいない。
「て、てめー、フザケんじゃねーよッ! どこなんだよ、ここはッ」
大声でシバタ(女子出席番号6)が言い返すと、ワタリの隣でサエキが立ち上がった。小さく右手を挙げている。
「ニシザワ先生、意味がわかりません。何なんですか、これは? ちゃんと説明してください」
その発言が呼び水となって、教室は再び騒がしくなり始めた。
「そうだそうだ!」
「先生なんだから、ちゃんと説明してくださーい」
「大人のくせに逆ギレしてんじゃねーよ」
「オラー、説明責任果たせー」
生徒たちは口々に喚き散らして、場は一時混沌とする。
「はいはいはい、静かにしなさーい」
ぱんぱんと再び手を叩きながらヘゴが言った。今度は怒鳴りつけはしなかったが、威圧するような眼差しに部屋は次第に静まっていく。生徒たちは警戒の眼差しを注いだまま、じっとヘゴの言葉を待った。
「よろしい。じゃあ説明します」
ゆっくりと頷き、コツコツと背後の黒板を叩いて生徒の注意を引くヘゴ。
黒板には何か文字が書いてあったが、あまりに下手くそなせいでワタリには一文字として判読不能だった。
と──。
「カーペ・ディエム!」
ヘゴが表情を変えることなく唐突に叫んだ。
再び呆気にとられる生徒たち。
今を生きる?
「はーい、こうしてみんなに集まってもらったのは他でもありませーん。我が三年二組は今回、栄えあるミッション適性審査の対象クラスに選ばれました。おめでと〜。パチパチパチ〜」
ひしゃげた顔に満面の笑みを浮かべ、ヘゴは誇らしげに続ける。
「──そこで、今日はちょっと皆さんにレミングになってもらいます」

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                    *

フロンティアスピリッツ。
人が新天地を求めるのは、多くの場合そこに希望を見出すからだ。
すると出発地、置き去りにされるその土地には希望がない。
八十年続いた平和が人類にもたらしたモノは、せいぜいが腐った大人の大量生産システムだった。猫の額のような領土の中、何ら計画性のないまま人口は爆発した。どこもかしこも人人人。すし詰め状態で人は腐った。
もはやこの国に人の住まない地面はない。
そしてほぼ確実とされている、数後の食糧危機。
生きるためには着る物と食べる物と住む場所が必要だが、ここではそれら全てが不足している。有り余る人間の数とは裏腹に、国内における生産力は物理的な限界を迎え、国家は全ての民を養うことができなくなっていた。
行き詰まった状況を打破するためには、望みを外に求めるしかない。
現在最も労働力が必要とされているのは、他でもない、新天地の開拓者だ。
当初は複数の民間団体が志願者を募ってそれに従事していたものだが、望んで外に旅立つ者が大勢いたのはもうはるか昔の話。外部に天敵を持つ人類にとって、コロニー都市を囲む隔壁というのは、そのまま生死を分かつ境界でもある。小さな子供たちは長いこと「お外はコワイところよ」と教えられて育つ。
希望を求めて旅立った開拓者たちは立派だったかもしれないが、目的を達成して帰還した者は一人もいないのだからヒーローもいない。開拓の意欲に燃えるまっとうな大人たちは早々に帰らぬ人となり、後には無気力な大人と無力な子供ばかりが残った。
それでもまだまだ人間は多すぎたし、外の世界には希望があった。そして国を牛耳る一部の人々は、どこまでも怠惰であり傲慢だった。
二十年前、政府は新天地開拓事業を最優先課題とみなし、新たな政策を展開する。以降、開拓者は全国の成人の中から徴発されるようになり、義務教育の学生には特別なプログラムが実施された。俗にLR法と呼ばれる新教育改革法。
子供たちに課せられた義務とは、つまりこうだ。
毎年、全国の中学校から任意の五十クラスが選ばれ、ひとつのシミュレーションプログラムが実施される。目的は対象者の適性審査。合格者には正式に任務が与えられ、今なお多くの戦士たちが奮闘する前線へと投入。
新しい才能の発掘、あるいは前線における慢性的な人員不足を補うための、至って公正な政策である。

                    *

「皆さんに拒否権はありませーん。あと、私のことはキャプテン・キーティングと呼ぶように」ヘゴが言った。「それじゃあ、次の説明に移りまーす」
部屋はしんと静まりかえり、生徒たちは誰も口を挟めない。
「えー、もちろん知ってると思うけど審査は実践形式で行われます。ルールは簡単。ここから順番にスタートして、制限時間内に無事ゴールまでたどり着いた人から合格です。時間内にノルマを満たせなかったり、罠とかで死んじゃったりしたらその時点で不合格だから、みんな力を合わせて頑張るんだぞー。はーい、ここまでで何か質問あるひと〜」
朗らかに告げるヘゴ、ニシザワ、あるいはキャプテン・キーティング。
「お、おい、うそだろ……」
誰かが呟いた。
「いいえ。男子8番、タムラ君。嘘じゃありません」
キーティングが真顔で答える。
「そんな、そんな馬鹿な話ってあるかよ! どうして俺たちが!」
タムラが怒鳴った。
「そ、そうよ、冗談じゃないわよ!」
「いやだぁ。帰して、家に帰してよぉ」
「ははははは。みんな、何をそんなに心配してるんだ?」呆れたように首をひねってキーティングが言う。「自分を信じて努力を続ければ、どんな願いだって叶います。君たちに不可能はない! ……って、先生いつも言ってただろう? 忘れちゃったのか?」
「先生」
ワタリの隣でサエキが挙手した。
「あの、質問してもいいですか?」
「どうぞ、サエキさん」
「先生は……あの、マツダ先生はどうしたんですか? 先生を呼んでください。私たちの担任はマツダ先生です」
「あ、ああ──」
サエキの質問にキーティングは大きなため息をつき、なぜか残念そうに首を振った。
「えー、実はマツダ先生は皆さんのことをとても心配しておられました。そして今回のことにも酷く反対されたんです。──なので、非常に残念ですが、マツダ先生はこんなことになってしまいました」
そう言ってキーティングがパチンと指を鳴らすと、出入り口のドアがガラガラと開いた。軍服を着た男が数人、厳しい顔つきで部屋に入ってくる。そして──。
「きゃあああああッ!」
誰かが悲鳴を上げた。
室内に運び込まれたモノを目にしたとき、ワタリは一瞬気が遠くなる。
「うわぁぁぁ」
「いやぁぁぁあ!」
マツダは──いや、血塗れのマツダの死体は、奇妙な装置から伸びた鉄柱の先端に吊されていた。ぶらんとだらしなく。足首を縛られ、逆さまに。
「えー、そういうわけで急遽、私がみんなの担任になりました。ルールを守れないような大人は人間として失格です。皆さんにはそんな大人になって欲しくありません」
キーティングは汚物でも眺めるようにして鼻をつまみ、
「──先生の言っている意味、わかるよなッ!」
生徒たちは身動きひとつしない。もはや、現国のヘゴは、ワタリの知る気弱な教師では無くなっていた。
「ああ、そうだ。せっかくマツダ先生にも登場してもらったことだし、ついでだからちょっと解説しておきましょう」
そう言ってキーティングは、吊されているマツダを指さした。
「さて、これ。皆さん、これが何だかわかりますかー?」
それはマツダの死体だ。
ワタリは思ったが、生徒たちは答えない。
「おーい。駄目だなー、お前たちー。ちゃんと予習しとけよー」
呆れたように言って、キーティングは授業でもしているような調子で続ける。
「はい、これはトラップの一種です。見たことありませんかー? わりとポピュラーなトラップで、ナンバー18『逆さ吊り』と言います。これからみんなに挑戦してもらうことになるステージにも登場します。まあ、実行速度は遅めなので危険度はそれほどでもありません。一度に処理できるのも一匹だけです。ただし、油断は禁物。有効範囲に侵入すると足首をロープで拘束されて、えーと、ここ、この滑車部分が回転して身体が逆さまに吊し上げられてしまいます」
キーティングは、装置の上方を指さした。
「もちろんそれだけだったら捕獲用のトラップなんだけど、実はこれ、そうじゃありません。そのままにしておくと滑車が回り続けて、身体が勢いよく地面に叩きつけられてしまいます。そうなったら確実に死んでしまうから気をつけてください」
教壇の男が何を話しているのか、ワタリにはわからなかった。
──ガン、と向こうでウラベが机を叩いたようだったが、キーティングはすかさず睨みを利かせて牽制する。
「おーい、みんな〜。お願いだからよく聞いてくれおくれよ〜。ミッション開始時まで勝手な行動は禁止だからなー。馬鹿なことをするとこんなふうに、みんなマツダ先生みたいになっちゃうぞ〜」
みんなの前、死んで無惨に吊されているマツダ。
キーティングが右手をヒラヒラと振って合図をすると、『逆さ吊り』を運んできた兵隊たちがマツダの死体ごとそれをドアの向こうに引っ込めた。
どこからか、ガチガチと歯の擦れ合う音が聞こえる。
奥の席でウエハラ(女子出席番号2)が、肩を震わせて泣いていた。
「えー、それからー、通常、ミッションでは必要なアイテムが部隊ごとに支給されます。今回の模擬ミッションでは──」
キーティングがそこまで言ったとき、
「フザケんなッ!」
ワタリの背後で椅子の倒れる音がした。振り向くとスギムラだった。
スギムラは椅子を蹴倒し立ち上がり、今にも飛びかからんばかりの勢いで教壇のキーティングを睨み付けていた。
「ちくしょう」
「よせッ! スギムラ!」
ワタリは咄嗟に呼び止めたが、スギムラは聞かなかった。
「馬鹿にすんなッ」
うぉぉぉお──と絶叫し、そのまま教壇に突っ込んでいく。
そしてスギムラは宙を飛んだ。
あっという間の出来事だった。キーティングに殴り飛ばされたスギムラの身体は、派手な音を立てて前列の机を二つ三つなぎ倒した。そこに座っていたチバ(男子出席番号9)とニシオ(女子出席番号10)が慌てて席を離れる。
ざわめき。
キーティングは拳をさすりながら、足下に倒れたスギムラを見下ろしていた。
いつの間にか先ほど出ていった軍服男たちが室内に戻っている。全員、マシンガンを小脇に抱えて構えていた。完全に包囲されている。
「──あぁあああああッ」
壊れたような悲鳴をあげたのは、廊下側の席にいたハラダ(女子出席番号12)だった。「スギムラ、スギムラ」と連呼してスギムラに駆け寄る。
「おい、そこッ! 何してるッ! 勝手に席を立つんじゃないッ!」
キーティングが大声で怒鳴ったが、それはハラダに向けられたものではなかった。スギムラでもない。
床の擦れる開く音。
「コラッ! 止まれ! ムカイヤマッ! 失格にするぞ!」
ワタリがそちらに顔を向けると、どさくさに紛れるようにして部屋で一番出口に近い席にいたムカイヤマ(男子出席番号13)が、身をかがめてドアに飛びついていた。すぐさま近くの軍服男が手を伸ばしたが、それよりも一瞬早く、ムカイヤマはスルリと身をかわして部屋を飛び出していく。
さすがバスケ部のエース。
「よしッ、ナイスッ! ムカイヤマ」
抜け駆けして逃げ出したにもかかわらず、ムカイヤマを讃えるような歓声があがる。同じバスケ部のタムラだ。
そして次の瞬間、タムラは迅速に行動した。座っていた椅子を抱え上げ、ドアを固めている軍服の男に向かってそれを投げつけると、相手が怯んだところを狙って勢いよく突進。ヨロリと体勢を崩した男が咄嗟に差し向ける銃口をすんでのところでかわして、バスケの試合だったら絶対にファール間違いなしの強烈なタックルを相手の右肩にお見舞いしたタムラは、しかし完全に敵のディフェンスをナメていた。
いつも監督に詰めの甘さを指摘されるタムラだ。
突き飛ばそうとして逆に突き飛ばされたタムラはすてんと床に仰向けになって、素早く馬乗りにのし掛かった軍服の男が容赦なく銃の柄の部分でタムラの顎を殴った。
鈍い音がする。
タムラの顎は妙な形にひしゃげて、口元からダラダラと泡混じりの血が流れた。
別の軍服男が数人、ムカイヤマを追って部屋を出ていく。
いつの間にか部屋の後ろにやって来たキーティングは、しばらく覗き込むようにしてタムラを見下ろしていたが、そうかと思うと、
「タムラ、なんでそういう勝手なことをするんだよ。先生、悲しいぞ」
突然、タムラの脇腹を靴先で蹴り上げた。
「ぎゃうぅ」とタムラの喉から低いうめき声が漏れる。
「いいか、みんなも聞け。ルールを破って勝手なことしてたら、そりゃそのときは楽しいかもしれないけよ。でもいつか後悔することになる。立派な大人になるためには──」
言いながらキーティングはもう一度タムラの体を蹴った。
「や、やめ……ぁうぐぅ」
「──今のうちに大切なことをたくさん学ばなくてはいけません」そしてもう一発。「先生はな、みんなに真っ当な道を歩んで欲しいと思う」
「ぐぐぐ」
「だから、ときには──」また「お仕置きだって必要なんだ」もう一発「先生だってホントはこんなことしたくないよ。でもこれはみんな」動かなくなったタムラを容赦なく「君たちのためだ」ドカ「口先だけの大人は多いけど、先生は絶対に君たちを──」爪先でタムラの腹を「見捨てたりしないッ!」蹴り上げる。
「やめてッ! 先生! もうやめてぇ! 死んじゃう、死んじゃうよ」
誰かの悲鳴。タムラは脇腹を押さえてうずくまっている。
全然、動かない。
「タムラぁ、痛いか?」キーティングが間延びした声で問いかけた。「痛いよなァ。でも先生も痛いし、見てるみんなだって痛いんだぞ。いいかみんな、この痛みをしっかりと胸に刻みつけて、立派な大人になるまで絶対に忘れちゃいけないぞ!」
誰も何も言わなかった。
唖然としてその光景を見守るワタリだったが、それでもタムラはその程度で済んでまだ良かったのだとすぐに知ることになる。
「許して、許して」とタムラが微かなうめき声を上げているとき、先ほど部屋を出ていった軍服の男たちが戻ってきた。
ズルズルと何か大きなものを引きずっている。
「あー、おしかったなー、ムカイヤマ」それを眺めながらキーティングが言った。「でもやっぱりお前は失格だー」
軍服の男たちが引きずっていたものを床に投げ出す。──ゴロン。
再び悲鳴。そして絶叫。床に転がった青い塊は、先ほど見事この部屋からの脱出に成功したバスケ部のエース、ムカイヤマだった。
「ホントは先生もなー、お前の勇気は認めてやりたいんだぞー。でもなぁムカイヤマ、お前、そんなふうになっちゃったら、もうこのあと続けられないだろ〜?」
飄々と問いかけるキーティングにムカイヤマは答えない。
なぜならムカイヤマはすでに死んでいたのだ。胸の辺りから血をながして、ムカイヤマの胸には巨大な顎が食らいついている。顎にびっしりと並んだ鋭い牙が、ムカイヤマの身体を引き裂いて、深々と、今にも首がもげ落ちてしまいそうなほどに食い込んでいる。
──なんだ、あれは?
「ナンバー16『トラバサミ』トラップとしては基本中の基本です」
それを指さしながらキーティングが言った。
「でもこのトラバサミ、ちょっと故障してるなー。通常は一回噛みついたあと獲物を放して、すぐ地中に隠れてしまいます。シンプルだけど、スピードも速いし、見つけるのも難しいから気をつけるように。えーと、それから──」
教壇に戻ったキーティングは淡々と語り、生徒は息を殺して聞き耳を立てた。
もう騒ぎ立てる者はいない。
マツダとムカイヤマの死体、徹底的に蹴り倒されたタムラ、その姿を目の当たりにして、皆が皆、まるで赤ん坊のように無力なことを知ったからだ。そして悟った。
この馬鹿げた状況を脱するためには審査に合格するより他はない。
そのあと、生徒には薄汚れたスポーツバッグがそれぞれひとつずつ配られた。中には食料と水と時計。それからミッション攻略に不可欠なアイテムが一種類だけ入っているのだという。
「何が当たるかはお楽しみです」
キーティングが言う。
「よーし、いいかー、みんなー。ムカイヤマを見てわかったと思うけど、無謀な行動は決して良い結果につながりません。ミッションで一番大切なのは計画性です。命もアイテムも数に限りのあるモノだから、ゴールに着くまではみんなで相談し合ってちゃんと計画的に使かうんだぞー。いいなー。くれぐれも無駄遣いだけはするなよー」
命を消耗品のように言うキーティングは死ねばいいとワタリは思った。
「はーい。それじゃあ皆さんお待ちかねー。いよいよ今回のノルマを発表しまーす。ノルマというのは脱出率のことでーす。最低でもその分の人数はゴールしてもらわないと、一人も合格にできませーん。いいですねー、それじゃあ発表しまーす」
たっぷり間を取ってから、キーティングはいきなり机を叩き始めた。
ダカダカダカダカダカダカダカダカダカ──。
「ジャジャーン! はい。今回のノルマは5パーセント。なんとたったの5パーセントです。ラッキー! 頭のいい君たちのことだから、何人ゴールすればいいかは言わなくても計算できるよな〜」
たった今決めたかのような適当な物言い。
「はーい。それじゃあこれで説明を終わります。あとはこの人たちの指示に従って、出席順に審査会場まで移動してくださーい」
言われるまま席を立とうとする生徒たちだったが、キーティングが呼び止める。
「ちょっと待て待て。ははは、せっかちだな。お前たち、まだ終わりの挨拶が済んでないだろ。はい、日直、号令かけて」
指名された日直のウエハラは泣きながら立ち上がると、口の中でごもごと何か言って頭を下げた。
「泣くな! ウエハラ。『明るく朗らか元気よく』だ! 先生は君たちを信じているぞ! ──じゃあ、グッドラック! 気を付けてなー」
そう言い残してキーティングはヒラヒラ手を振りながら部屋を去った。残された軍服の男が、出席番号順、男女交互に名前を呼ぶ。生徒は一定間隔で部屋の外へと連れ出され、ワタリは最後から二番目に部屋を出た。
連れて行かれたのはジェネレータールームと呼ばれる殺風景な部屋だった。
その部屋の中央にぽっかりと穿たれたダストシュートのような穴。
ワタリはそこに勢いよく放り込まれた。

【残り29人】

                    *

「だから一人だよ。一人でもゴールできれば、ここはクリア」
不安そうにこちらを覗き込むスギムラを見ながら、ワタリは言った。
「ムカイヤマは? あいつを入れたら……」
「1.5人。でも同じさ。端数の扱いは知らない。繰り上げなら2人になるのかもしれないけど、関係ないだろ? あんな奴の話、真に受ける方がどうかしてる」
「ああ、そうだな。……でもさ、もし一人でいいんだったら、俺たちここで待ってた方がよくないか? 一人でいいなら何もみんなして行くことは──」
「駄目だ。どのみちゴールできなきゃ失格なんだ。確実にノルマが達成できるっ決まったワケじゃないし、失格者が解放される保障だってない。やるしかないんだよ」
腕時計を確認してワタリは立ち上がる。
「──おい、サエキ。悪いがこれ以上待ってても無駄だ。とにかく先に進もう」

ジェネレーターを抜けた先でワタリを待っていたのは、酷く奇妙な空間だった。
奥行きのある通路のように思われたが、目に映るモノは全て異様。
ピンクとクリームイエローがまだらになったファンシーな壁は、まるでお菓子の家みたいにふざけた色彩で、柱も階段も、至る所に配置されたわけのわからないオブジェは全てが必要以上に巨大だった。どこかにスピーカーでもあるのか、あたりにはメルヘンチックなおかしな音楽が繰り返し繰り返し流れている。
天上にはジェネレーターが口を開けていたが、かなり高い位置にあって、どう頑張っても手は届きそうになかった。そんなところから落ちてケガをしなかったのは、真下の地面が柔らかく、クッションのようになっていたからに他ならない。
明らかに人工的な建築。地下施設だろうか。
突然そんな場所に放り出された生徒たちは、ほとんどが通路の端に寄り集まって怯えていたが、それでも数人は先走って奥に進んだらしく、ワタリがジェネレーターから出たときには、すでに見あたらない顔がチラホラあった。
数えてみるとワタリを含めて19人。それぞれ不安げな表情を浮かべて何事か話し合っていた。ケガをしたタムラを介抱している者、配られたバッグを広げて中を確かめている者もいたが、先に進もうとする者はいないようだった。近くに座り込んでいるスギムラの姿を見つけてワタリが状況を訊ねると、委員長のサエキが指示を出して残りの者が揃うのを待つことにしたのだという。
「なるほどな、いい判断だ。単独行動はリスクが大きい」
「でも、俺が来たときアサイとエトウはもういなかった。テラワキは一人で行っちまったし、ウラベのグループもいない。イシダとキウチもだ。俺はお前を待つつもりだったからいいけど、早くここから離れたがってる奴もたくさんいる」
チラリとスギムラが視線を向けた先には数人の生徒が固まっていて、そわそわと落ちつきなく通路の奥を窺っていた。
「俺の後ろはもうワカサだけだよ。すぐに来る。それよりスギムラ、バッグの中は? もう確かめたのか?」
問いかけるワタリに、スギムラはゆっくりと首を振った。
「期待しない方がいい。……俺のはこれだった」
そう言ってスギムラは傍らのスポーツバッグに手を伸ばす。
「何、それ?」
思わず問いかけるワタリ。
スギムラが取り出したものは、何の変哲もない黄色い傘だった。
「傘だよ」
「……は? 何で? 傘? そんなモンでどうしろっていうんだ?」
「知るかよッ! ちくしょう」
怒鳴って傘を地面に叩きつけるスギムラ。
「──あるだけマシよ、スギムラ」
不意に背後から声がかかった。振り向くとツキシマが立っている。
「私のはこれ」
右手には紙切れ。そこには太い黒マジックで「ハズレ」と書かれていた。
他には何もない。
「イカレてるんだ。あいつら……」
スギムラが呟く。
ワタリは慌てて自分のバッグの中を漁った。ペットボトルのミネラルウォーター、パン、腕時計が次々と出てくる。そして、奥に奇妙な箱。
「何だ……?」
箱を摘み上げてワタリは呟いた。四角い箱にはスイッチらしき丸ボタンがひとつ。背面に白い紙切れが貼り付けてあった。
漫画のようなイラスト──しかも異様に瞳の大きい少女のがウィンクしているような絵──が描いてあって、その吹き出しに、
基本テクニック。そう書いてある。
ワタリは素早くその文字列を読みとった。

『基本テクニック ボンバー 実行するとそのレミングはカウントダウンを始め、ゼロになると自爆する。鉄やトラップ以外の地形を吹き飛ばせるぞ』

──自爆?
自爆って、なんだ?
「おい、スギムラ、ちょっとその傘よく見せろ」
ワタリは転がっていたスギムラの傘を拾い上げてじっくりと観察してみる。数回開閉してみたが、やはり、ごく普通の雨傘だった。
──じゃあ、俺のはいったい何だ?
「バッグの中もだ、スギムラ。説明書きみたいなの、なかったか?」
ワタリが訊ねるとスギムラは不自然に口元を引きつらせて、バッグの中から紙切れを一枚取り出した。
「これだろ? ……なかなか笑える」
そこにはやはり美少女キャラがいて、こう書かれている。

『基本テクニック◆.侫蹇璽拭次〇韻鮖箸辰討罎辰りと降下する。そのため、どんな高いところから落ちても、そのレミングは墜落死しなくなるのだ』

「何が墜落死しなくなるだ。フザケやがって。いくら調べたって、これは普通の傘だ。パラシュートとか、そういうんじゃない。要は嫌がらせさ」
忌々しそうに呟いてスギムラは黙った。
「つまり、まるで役に立たないってことか? 配られたアイテムは……」
独り言のようにワタリは呟く。しかし、まったく予測しなかったことでもない。ハズレを引かされたツキシマは悔しそうに黙っていたが、もともとアタリなんてなかったってことだろう。
「──いいえ。そうでもないわよ。ワタリ君」
ワタリの問いかけに答えたのは、いつの間にかとなりに現れた委員長のサエキだった。
「私のはこれ。──ツルハシっていうの? どうやって使うのかよくわからないけど、でも、モノはなんでも使いようよ。スギムラ君の傘だって、使い方次第でそれなりに役に立つと思う」
さすがに普段からクラスの指揮をとっているだけあって、サエキにはどこか落ち着いた感があった。加えてその意見はもっともだ。
「ツルハシは地面を掘り起こすのに使うんだよ」ワタリ教えてやる。「スコップよりも堅いところ向き。傘は日除けか雨降りの日に使う」
「なによそれ、馬鹿にしてるの?」サエキが苦笑してワタリを眺める。「でもさすがに落ち着いてるのね。いいわ。みんな揃ったら、少し時間をとって方針を決めましょう。スギムラ君もワタリ君も、それまでに自分の意見をまとめておいてね」
そう伝えてサエキは別のグループの方に歩いていった。
見回すとあちこちで議論が始まっている。
ルールの確認。目的の確認。ノルマの確認。
こうしてミッションが始まってしまったからには、ひたすら全力を尽くさなくてはならない。
ワタリは考える。
ノルマは5パーセント。クリアに必要な脱出人数は最低でも一名以上だ。
つまり自分さえゴールしてしまえば、その時点でノルマ達成。合格も確定する。
開始時にそれを理解していた者の多くは、後続を待たずにさっさと先に進んでいった。集合したところで時間の無駄と判断したのだろう。確かにノルマ5パーセントというのは、数値的に見れば比較的簡単な部類に入るのかもしれないし、それならば急いで終わらせたくなる気持ちもわかる。
──けれど、果たして本当にそうなのか?
本当に楽観しても良いのだろうか。
「大丈夫さ、心配することない。29人中1人でもゴールできればOKなんだろ? つまり、それだけ簡単なステージってことだ。だいたい、こいつは審査用の模擬ミッションなんだぜ? そんなの、いきなり無茶させねーって」
普段からお気楽なオダ(男子出席番号5)が、向こうで調子よく言っている。
「うんうん、そうだよね。こんなの、初めてで上手くできるわけないもん」
傍らでコミヤ(女子出席番号4)が安心したように相づちを打つ。何故か嬉しそうな微笑み。「きっとさ、ここから真っ直ぐ進んでいったら、すぐに出口があるんだよ。ね、そうでしょ、オダ君」
「ああ。そうに決まってんだろ、コミヤ。プラクティスだぜ、プラクティス。気楽にやりゃーいいんだよ」
──プラクティスだと? 間抜けなこと言ってんじゃねぇぞ、オダ。さっきムカイヤマが死んだの忘れたのかよ。
これはお遊びじゃないんだ。
けれどそのオダの発言で怯えていた女子たちが少し黙ったから、ワタリはあえて口を挟まなかった。ツキシマも、いつの間にかそのとなりに来て座り込んだハラダも、黙ってじっとうつむいている。こんな状況でいつまでも泣き言を聞かされるのはゴメンだったし、いずれにせよ先に進む以外に望みはありそうにない。耳元であれこれと話しかけてくるスギムラをいなしながら、ワタリは腕時計を確認して立ち上がる。
開始後十五分が経過していた。
もうこれ以上時間を無駄にするわけにはいかないだろう。

「──おい、サエキ。悪いがこれ以上待ってても無駄だ。とにかく先に進もう」

結局、最後にやってくるはずのワカサ(女子出席番号15)は、いつまでたっても現れなかった。

【残り28人】

                    *

ほとんどたいていのクラスで出席番号が1になるアサイは誕生日が4月5日の牡羊座で、生まれ順で出席番号が決められていた小学校の頃でも、避難訓練とか遠足とか、点呼のときにはやっぱり一番最初に名前を呼ばれることが多かった。
4月の4日とか3日とか2日とか十五年前のその僅か三日間に生まれた人間なんて、たぶん世の中には全然ほんの少ししかいないはずだったし、アイダとかアイハラとかアオキとか、そういう奴らにしたところで、まあもちろんいないではないけれど、それでもやっぱり全体から見れば言うほどものの数じゃないってことはわかっていた。
人生を始めるにあたって勝手に押しつけられる決まり事というのはたくさんある。親とか性別とか名前とか本人に選択権はないけれど、とりあえずそういうものがないと人生は始められない。だからそういうのは宿命と言い換えたっていい。
4月2日生まれのアイウチなんかじゃなくてよかったと常々アサイが思うのは、パーフェクトでない自分の存在がなんとなくアキレスみたいでかっこいいと思えるからだ。
ギリシア神話の英雄アキレスは、トロイアの王子パリスが放った矢でかかとを射られて命を落とすのだけれど、それはもとはと言えばアキレスの母親であるテティスの不注意が原因だった。母親によって冥界の川スティクスに浸されていたとき、アキレスは自分がそんなふうにしてしか死ねない体になるとは少しも思わなかっただろう。でも本人の意思とは無関係に押しつけられるものが宿命なのだからしかたがない。あるいはテティスに悪意や慈悲があったのだとしてもだ。
パーフェクトな存在に宿命づけられていないアサイは、全国どこのクラスに入れられても絶対に出席番号が1になるとは限らないから、新年度のクラス替えのときにはいつも緊張感を持ってそれに臨むことができた。絶対一番になるとわかっていたら順番なんかには興味も関心もなかっただろう。それはきっと戦争に赴くときのアキレスだって同じだった。無敵なら戦いなどあり得ないし、パーフェクトであれば生きることに関心が無くなる。
弱点というのは人生に張りを持たせてくれる宝だ。
勝敗の行方が定かではない人生において幼稚園以来過去12年間、常に出席番号1を勝ち取ってきたアサイは中学三年生になった今年もやっぱり1番を獲得していた。
それでトクをしたことはあまりなかったけれど、ある日突然自分のクラスがわけのわからない審査の対象なんかに選ばれて、自分が真っ先にその会場となるステージに放り出されたとき、アサイは改めて自分の宿命というものを思った。
両親に感謝。
──僕が一番有利だ。
アサイのスタートと同時にカウントが始まるのだから、与えられた時間はクラスの中でもアサイのものが一番多い。後からやってくる連中を待っていたら、それこそその時間的優位を失うことになる。
だいたい寄り集まって何になる?
あいつらは頭の切り替えの遅い連中ばかりで、無意味な議論に延々時間を費やすだけだ。人数が増えれば決断力が損なわれる。だから文化祭の出し物を決めるために延々放課後まで話し合ったあげく、結局無難に喫茶店なんかで落ち着いてしまう。ああでもないこうでもないと意見を戦わせるクラスメイトを横目に、そのときアサイは早く家に帰ってテレビを見たいと思っていた。
今だってそう思っている。早く家に帰ってテレビが見たい。
学級会でそんなことを言い出したら自己中だとか批判されること請け合いだが、幸い今は自分しかいない。だから確実に意見は通る。
宿命と思えば迷いもなかった。
ジェネレーターから放り出されたアサイはゴール目指して一目散に駆けだし、しばらく順調に進んだところで地面に設置されていたスイッチを踏んだ。
──カチ。
天上から鉄の塊が落ちてくる。
10トンと書いてあった。

【残り27人】

                    *

ケガをして一人で歩くことのできなくなったタムラは、クラスの中でも体格がよくて一番正義感の強いソネ(男子出席番号7)が担いで連れて行くことになった。
その行動は間違いなく英雄的だったし、ソネ本人が自ら申し出たことだから誰も文句は言わなかったが、それでもワタリにはあまり感心できなかった。
無論、タムラを置き去りにしろいうのではない。せめて安全なルートが確保できるまで、この場所に残して置いた方が良いだろうと考えたのだ。
進むべきか残るべきか。みんなして残っていては始まらないが、タムラを始め、ずっと泣き続けているウエハラや放心しっぱなしのニシオなどは、明らかに動くべきではないとワタリは思った。
数人で先発隊を組み、ルート確認の後に引き返して合流。それが最も確実だろう。
ワタリは主張したが、その意見は聞き入れられなかった。
「先発隊が戻ってこなかったらどうするんだよ?」
オダの意見。それはないとは言えなかった。
通路をしばらく進んだところで死体を見つけた。ぐちゃぐちゃに潰れていて誰なのかわからなかったが、通路内にトラップが設置されていることは確認できた。
相手は本気であり、冗談では済まないということ。
先頭を行く者には勇気が必要だった。絶えず周囲に気を配りながら慎重に進まなくてはならない。唯一の救いは、自分たちよりも先にこの通路を進んだ者がいることだろうか。
死体があればそこにトラップがある。
誰も口に出さなかったが、そういうことだ。
通路には相変わらず不愉快な音楽流れている。昔のゲームみたいなしょぼいBGM。のんびりとしたリズムなのに、延々聞かされるとなぜか無性に気が滅入る。そのせいか開始後間もないというのに、みんなすっかり疲れ果てていた。泣きわめいていたウエハラも今は大人しくしている。一種の拷問。道は平坦で歩きやすかったが、どこも似たような光景なので眩暈がした。
ときどき分かれ道がある。
もしタムラに与えられたアイテムがなかったら、一行はずいぶんたじろぐことになっただろう。タムラのアイテムはステージマップだった。かなり精密で、マップ自体に狂いはないように思える。少なくとも今のところは。
「おい、分かれ道だ。どうする?」
先頭を歩いていたチバが言って、みんながのろのろと立ち止まった。
最低なことに、渡されたマップにはゴールの位置が記されていなかった。目的地は不明。だから適当にアタリをつけて移動するか、虱潰しに歩き回るしか方法はない。ひとまず広い通路だけを選んでここまでやって来たのだが、今度の分岐はどちらも同じくらいの広さだった。
「チバ、マップを見せてくれ──」
ワタリがそう言ってチバに歩み寄ったとき、
「ちょっと! ニシオ?」
にわかに列の後方が騒がしくなった。
振り返るとミハラがニシオに向かって何か言っている。
「何やってんの、ちょっと、あんた、それ──」
「おい、どうした? ニシオ、ミハラ!」
オダが駆け寄り、立ち止まっていた全員がそちらを見た。
一身に注目を集めたニシオは呆然と立ち尽くしたまま不思議そうに首を傾げていたが、みんなの視線が自分の頭上に注がれていることに気がついたのか、ゆっくりと顔を上げて上空を見つめる。
そこには──。
「お、おい、ニシオ、何だよ、それ……?」
ニシオの頭上には巨大なアラビア数字が回っていた。【4】
けれどニシオにはそれが見えていない。
「ど、どうしよう。ミハラ、私、押しちゃった……押しちゃったよ、これ」
泣きそうな声をあげて何か差し出す。それはちょうど手のひらサイズの四角い箱だった。スイッチのついた箱。同じものがワタリのバッグにも入っている。

『基本テクニック ボンバー 実行するとそのレミングはカウントダウンを始め、ゼロになると自爆する。鉄やトラップ以外の地形を吹き飛ばせるぞ』

「何やってんだ、馬鹿ッ! ニシオ、早くその箱捨てろッ!」
ワタリは大声で怒鳴りつけた。
意味不明なアイテムは使わない。さっきそう決めたばかりじゃないか。
一瞬、キョトンとワタリを見たニシオは、
「いやぁぁぁぁああッ!」
絶叫してその箱を取り落とす。箱はポロリとオダの足下に落ちた。【3】
「離れろッ! ヤバイぞ、オダッ! ニシオッ!」
オダは素早く箱を拾うと、そのまま勢いよく遠くに投げ飛ばした。しかし、ニシオの頭上で回転するアラビア数字は止まらない。【2】
「何、何なの、どうなったのッ?」
喚きながらニシオが激しく自分の頭を振り回しす。
──まさか、あの箱……。
「みんな、ニシオさんから離れてッ! 早くッ」
ワタリのすぐとなりでサエキが叫んだ。
──何てことだ……ちくしょう。
サエキの号令と同時にみんなが一斉に駆け出す。
叫び続けるニシオを残して。【1】
「いやッ! なによ、何なの? ちょっと、ねぇ、みんなぁッ!」
最初に異変に気づいたミハラは素早くその場を離れていた。
最後まで一番近くにいたオダもかなりの距離を稼いでいる。
そして、スイッチを押したニシオは両腕で頭を抱え込んだまま──。
──パン。
軽い音を立てて平らな地面を吹き飛ばした。

【残り26人】

                    *

「悪かったよ、謝るよ。でもしょうがないじゃないか。僕だってわざとやったワケじゃないんだから。ねえ、だから助けてよ、頼むよ、ウラベっち、お願いだから」
「うるせーよ、デブ。ウラベっちとか言ってんじゃねぇぞ、コラ。早くそこどけよッ」
「痛ッ、ちょ、やめてよ、蹴らないでよ」
クラスの中で一番の巨漢であるイデイ(男子出席番号2)は、全国的に見てもやっぱり平均を大きく上回る立派な体重の持ち主だった。
イデイという男は気が弱いくせに見栄っ張りなところがあって、付き合っている友人は何故か不良っぽい奴が多かったりする。ウラベしかり、トノムラ(男子出席番号11)しかり、スドウ(女子出席番号7)しかりで、イデイ本人は絶対に認めないが、この男がいわゆるパシリとしてその三人に扱われているのはクラスのみんなの知るところだった。
スタート後、ウラベはトノムラとスドウが来るのを待ってから、早速ステージ攻略に動き出したので、そのときイデイは躊躇わずに三人のあとに続くことにした。
ウラベとトノムラとスドウは、成績はダントツで悪いけれど、でも間違いなくダントツでクラスの権力者だったから、この三人についていけばまず間違いはないとイデイには思えたのだ。
さすがにいくつも修羅場をくぐってきた(とイデイは思っている)三人だけあって、その行動力は並じゃなかった。まずイデイたちがしたのは、アイテムの使い方を調べること。悪巧みにはめっぽう頭の働くトノムラが、先にスタートしたクラスメイトを二人捕まえて恐ろしい実験を始めた。イシダ(女子出席番号1)とキウチ(女子出席番号2)は仲の良い二人組だったけど、イデイの嫌いなアニメオタクでいつもファンタジーな話ばかりしているからクラスのみんなからは避けられていた。そんな二人が持っていたアイテムは、黄色い傘とスイッチのついた箱。せめてツルハシとかだったら奪われるだけで済んだかもしれないのに、イシダもキウチも運がなかった。
イデイはウラベたちに悪意があったとは信じたくないけれど、結果的に二人の尊い命を犠牲にしてウラベグループが掴んだのは、
1.傘は役に立たない
2.ボンバーはスイッチを押した者が数秒後に自爆する
そのあともう一人、前の方をうろついていたエトウが捕まって、でもエトウのアイテムは「ハズレ」と書かれた紙が一枚だけだったからエトウ的にはラッキーだった。食料と水を奪われたあと、エトウはそのまま先頭を歩かされるだけで済んだのだ。
ま、そのエトウもトラバサミに引っかかってもう死んでしまったけれど。
で、次はイデイ自身が先頭を歩くことを他の三人に申し出た。行動は迅速に、言われる前にやるのが自分の取り柄だとイデイはいつも思っている。
ひとつ問題だったのは、イデイの足が思いのほか遅くて、さすがの三人も苛立ち始めたってことだ。まずトノムラが「ウザイなお前」と言ってイデイを押し退けて先に立ち、スドウもさっさとその後に続いた。ウラベがひとりイデイを追い越さなかったのは、最後尾になったときイデイが逃げ出すことを警戒したせいなのだが、もちろんイデイはそんなこと思ってもみない。
そうこうしているうちに通路はだんだん先細りになり始めた。トノムラとスドウはどんどん先に進んで、イデイとウラベは少しずつ二人から遅れていった。
そんなときだ。
イデイは水を飲みたくなって、歩きながらバッグの中を探ったのだけれど、手が何かに触れたと思った途端、急に手足が痺れて体が全然動かなくなった。
「おい、なにしてんだよ」
不機嫌そうにウラベが言っても、イデイはまるで動くことができなかった。
「ご、ゴメン、ちょっと引っかかったみたい……。動けなくなった」
イデイは咄嗟にウソをついて誤魔化そうとしたが、ウラベはそれを見逃さない。
「イデイ、てめぇ勝手にアイテム使ったんじゃねぇだろうなッ!? 何使った? おい、なんか隠してたのか?」
言いながらウラベはイデイのバッグに手を伸ばすと、中から紙切れを一枚取りだした。

『基本テクニックぁ.屮蹈奪ー 手を広げて立ち止まり、通せんぼをする。そのほかのレミングがぶつかると、クルリと向きを変えてUターンしてしまう』

「これじゃねぇかッ!」ウラベが怒鳴る。「てめぇ、フザケなよ! さっきハズレだったって言ったてただろ! なにウソついてんだよッ、おいッ」
「し、知らないよォ。いつの間にかバッグに入ってたんだよォ」
「うるせぇ、どけよ、おい、デブ! 道塞ぐんじゃねぇ」
「だから、動けないんだってばぁ。助けてよォ」
「知るかッ! おーい、トノムラーッ!」
ウラベは先行したトノムラたちを呼び戻し、イデイは何とか助けてもらおうと必死になって懇願した。
「ホントに動けないんだ。ねえ、お願い。トノちゃん、助けて」
真ん中にイデイを挟んで顔を見合わせるウラベとトノムラ。
しかし狡猾なトノムラは即座に解決策を見出した。
「なあ、イデイ。お前これ何かわかる?」
差し出される四角い箱。
「え、ボンバーのスイッチでしょ? 何、それどうするの?」
「──こうするの」
数秒後、通路に破裂音が響き渡り、立ちふさがる障害物が取り除かれた。
「ホント、役に立たねーヤツ」
スドウが呟く。
そうしてウラベはトノムラたちと合流した。

【残り22人】

                    *

どうしてニシオがボンバーのスイッチを押してしまったのか、それはすぐそばにいたミハラに聞いてもわからなかった。臆病なニシオは自分の家で飼っている小型犬だって怖がっていたくらい気の小さい奴だったから、あんな思い切った行動にでるなん誰も思いもしなかったし、まさかアイテムが説明が通りの効力を持っているとも思わなかった。
箱は爆弾ではなかったのだ。爆発するのはスイッチを押した者の方。
その事実が確かめられたとき、アイテム『ボンバー』を持っていた者はみんな慌ててそれを投げ捨ててしまった。ずっとそんなモノを持たされていたと知れば当然だろう。
ワタリもいったん箱を取り出したが、すぐに思い直して捨てられた箱を拾い集めることにした。みんな怪訝そうに見ていたが、その中でたった一人サエキだけが黙ってワタリの行動に従った。
箱は全部で6つ。
「な、なにしてんだよ、お前ら……」驚いたようにオダが言う。「そんなモン拾ってどうしようっていうの?」
他のみんなもそれぞれ戸惑いの色を浮かべている。否、あるいは冷ややかな眼差し。
「おい、やめろよ。ワタリ、サエキも」
スギムラがたしなめるように言って、二人の方に駆け寄った。
沈黙が重い。
「アイテムはアイテムよ。捨てることないわ」
サエキが力強く答えた。
「けど、それ使ったら、死ぬんだぞ? わかってるのか?」
「わかってるよ、スギムラ。別に使う気はない」
ワタリは言って拾った箱をすぐにしまう。そっと中の一つをポケットに忍ばせた。
ボンバーの破壊力はさっきニシオがやって見せたとおりだ。地面は深くえぐれて、ぽっかりと丸い穴が穿たれている。上手く使えばそれである程度の壁は破ることができるのかもしれないが、もちろん、そんなものは使えるはずがない。持っていたところで無意味なのはわかっている。しかしそれでも、なぜか箱を捨ててしまう気にはなれなかった。
ワタリはスギムラに向き直って言う。
「いいか、スギムラ。これは審査なんだ。たぶん俺たちの行動はモニターされてる。ここでボンバーを捨てたら、あいつらはどう思う?」
「ど、どういうことだよ?」
「適性ナシと判断されるかもしれない。そしたらどうなるか──」
ワタリがそこまで言ったとき、
──ピンポンパンポーン。
突然、校内放送のようなチャイムが鳴り響いた。
その場にいた全員がぎょっとしてあたりを見回す。
すると、直後にプォーンとハウリングがして、
『あーあー、マイクテストマイクテスト、あーあー』
天上からあの忌々しい声。
『大正解ッ! その通りです、ワタリ君。こちらはキャプテン・キーティング。さっきはちょっと言い忘れたけど、君たちの行動は全部監視されているから、ルール違反をすると即失格になります。戦地で武器を捨てることは任務放棄。これ、常識だよな〜』
ブツン。
放送はあっさりと終了した。
けれどそれだけでも生徒を縮み上がらせるのには充分だった。
放送の内容が、ではない。放送そのものがだ。
姿が見えなくなったからといって、あの教師がいなくなったわけではなかった。自分たちの運命は依然としてあの男の手の内にある。一時的にあの悪魔の存在を忘れていた生徒たちは、先の暴虐を思い出して消沈した。
「行こう」
ワタリは呟いて歩き出したが、後に続こうとする者はいない。
「──もうイヤッ!」
ヒステリックに叫んだのはハラダだった。
「おかしいよッ! こんなの、絶対におかしい! どうして私たちがこんな目にあわなきゃならないのッ!?」
あまりの理不尽に耐えられなくなったのだろう。
それまでみんながどうにか立っていられたのは、少なくともキーティングの存在が遠ざかったと思い込んでいたからだ。今は違う。それがわかった。勇気は挫け、理性は失われつつある。
「私もう動きたくない!」
「そうだよ、そんなの持って歩けるわけないよッ!」
ハラダに限らず、数人の女子がその場にしゃがみ込んで泣き始めた。ツキシマがそっとハラダの肩をさすって慰めている。
気力をそがれた者は為す術もなく立ち尽くすばかり。
──ふざけるな。どいつもこいつも勝手すぎる。わがまま言ってる場合かよ!
ワタリは無言で首を振った。
「委員長、提案がある」
そのとき、タムラを背負っていたソネが手を挙げて言った。
「やっぱり先発隊を組むべきだと思う。ここから先は相当入り組んでるみたいだし、みんなで行っても無駄足になる可能性が高い。偵察が必要だ」
ソネは言ってタムラを地面に寝かせた。
「委員長、時間が惜しい。俺が先に行って様子を見てくる。マップと、それからアイテムを少し借りたいけど、いいか?」
「……マップを?」
冷静な口調のソネにサエキは一瞬気圧されたようだった。真っ直ぐにサエキを見つめたソネが、力強く頷く。
「大丈夫。心配ない。ヤバそうならすぐに戻る。抜け駆けはしない」
「そう……みんなはどう思う?」
サエキは逡巡し意見を求めたが、誰もそれには答えなかった。
「……わかったわ。ソネ君。確かにその方が良さそうね。少し休まないと、パニックになりそう」
言いながらサエキはチラリとハラダたちの方を見る。ハラダは膝を抱えてうずくまっていた。再び泣き出したウエハラも、ミハラも、テコでも動きそうにない様子だった。
「でも、あまり遠くまで見に行く必要はないわ。少し進んで、問題なさそうなら戻ってきて。無理せずに小刻みに進んだ方が確実だと思う。それから、アイテムはいいけど……ごめん。やっぱりマップは渡せない」
サエキはそう伝えて目を伏せた。偵察に出た者が確実に戻るという保障はないのだ。
「そうか……わかった。じゃあマップは頭に叩き込むよ。とりあえず五分進んだら引き返すから、それまでにみんなをしっかり励ましておいてくれ。このままじゃ、道がわかっても先に進めない」
そう言って歩き出すソネ。
「待てよ、ソネ──」
ワタリは首を振って呼び止める。
「一人で行くべきじゃない」

結局、偵察には三人一組で出ることに決まった。まだ気力の残っている者がその大役を順番に引き受ける。最初のチームはソネ、チバ、ワタリ。次はスギムラ、ネモト(男子出席番号12)、サエキ。
偵察隊がアイテムを駆使してルートを確保し、本隊はその都度安全なポイントまで前進する。持ち時間五分程度では、一度に大きく距離を稼ぐことはできなかったが、それでも被害を最小限に押さえるのには有効だった。当初は泣き崩れて無理に引っ張らなければ動こうとしなかった女子たち数名も、二回目の偵察にサエキ、三回目の偵察にツキシマが志願したことで、多少でも引け目を感じたのかそれとも勇気をもらったのか、次第に自分の足で歩き始めるようになった。ハラダやミハラはその後、偵察隊にも志願している。
偵察は六回ほど繰り返された。
その間、トラップに掛かったりして負傷した者は皆無。スタート前に負傷していたタムラもずいぶん回復して、一人で立って歩けるまでになった。
これは単に運が良かっただけなのかもしれないが、偵察隊のメンバーが少しずつミッションに慣れ始めた成果でもあった。命の掛かった状況にあって、人は誰しも本来の能力を取り戻す。大切なのは感覚を研ぎ澄ますこと。トラップはたいてい風景に溶け込んで獲物を待ち受けているが、作動スイッチにさえ触れなければさして恐れることはない。幸い通路には充分な光量があったし、床は平坦で見通しが利いたから、よく注意すれば作動スイッチを発見することは容易だった。後はビルダーを利用するなどして回避すればいい。
チバが『ファイアーアーム』と名付けた回転盤のような装置は、あまりにこれ見よがしのトラップで、そういう不審なオブジェには極力近寄らないよう心がけた。
そうして一行はゆっくりと、しかし確実に通路を進んだ。
このままゴールが発見できれば言うことはなかったが、もちろん全てがそう順調に進むものではない。マップを確認すると、一行が踏破したのはまだ全体の三分の一程度。
不安をかき立てる要素はいくらでもあった。
その際たるものが、通路に延々流れ続ける不可思議な音楽と、定期的に放送されるキーティングの中間報告。キーティングはいつも軽い調子で語りかけ、そこでは『失格』になったクラスメイトの名前が、無慈悲にも次々と告げられていった。
もう一つの差し迫った問題は、押さえることできない生理現象。
通路内は乾燥していて、空調が効いていないのか温度も高い。加えて絶え間ない緊張を強いられ、普段以上に喉が乾いた。水はそれぞれ500mlのペットボトルが二本ずつ配られていたが、すでに飲みきってしまった者も多かった。また、当然のように周囲にトイレは見つからず、かといってどこまでも直線的な通路には気の利いた遮蔽物など求めようもなかったから、平素からアウトドア派を気取っているチバでさえこれにはすっかり辟易していた。
そんな中、ひとつのアクシデントが発生する。
少なくなり始めたペットボトルは無駄にしないよう幾つかのバックにまとめて詰められていたのだが、本隊の移動中、それを運んでいたコミヤのちょっとした不注意によって、まるまるそのひとつを失うことになったのだ。
それはバッグの口が完全に閉じていなかったのが原因だった。まずペットボトルのひとつがバッグからこぼれ落ち、それに気づいたコミヤは慌てて立ち止まり、振り返ってそれを拾い上げようと腰を屈めたのだが、そこに運悪くすぐ後ろを歩いていたシバタのバッグがぶつかって転倒。動転したコミヤは肩に掛けていたバッグを取り落としてしまう。
最悪だったのは、そのあたりの通路の両脇にかなり深い溝があったことだ。
バッグは完全に溝の奥に落ち込んで、どう頑張っても回収は不可能。
コミヤは泣いて謝ったが、二リットルの水はあきらめざるを得なかった。
その頃からだろうか、みんなの口数が少なくなった。正直、貴重な水の一部を無駄に失ったのは痛い。まだ先が長いことを思うと尚更に気が重くなる。
「もう気にしないで」とコミヤを慰めるサエキの声だって、やはりどこか沈んでいた。
通路はどんどん複雑になっている。
絶望はやがて人を狂わせるだろう。
先ほど七回目の偵察に出たスギムラたちは、出発から十五分経過した今もまだ戻っていない。

【残り22人】
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Lemmingology#5:The Great Lemming Caper
「本日はお忙しい中お集まりいただき、まことにありがとうございます。今回もなかなかレアな商品がございますよ。それではさっそく、オークションを始めさせていただきます。アシスタント、よろしく!」
「はい。ロット癸院▲肇薀丱汽澆任后
「サンキュー。このトラバサミは、レミングス史上数百年もの間、一度たりとも発動したことがないという、新品同様のレアものでございます。今回、新型トラバサミの開発により不要となったため出品となりました」
「ほう。これはなかなか。」
「よっぽど簡単なステージに設置されていたんでしょうなあ」
「それでは1000からまいりましょう。1000!」
「1500!」
「3000」
「5000」
「10000」
「25000」
「おっと25000!ほかにいらっしゃいませんか?」
「50000」
「100000」
「150000」
「180000」
「180000です!ほかにいらっしゃいませんか?」
「200000!」
「はい!200000に決定!おめでとうございます!」
「やったー!」
「ホッホ。母さんにはナイショだぞ」

「それでは次の商品、紹介よろしく!」
「ロット癸押▲侫.ぅ筺璽◆璽爐任后
「はい。このファイヤーアームは、さきほどのトラバサミとは正反対でありまして、2000匹のレミングスを連続で燃やしつづけたという、偉大な連続記録を持っている逸品でございます」
「2000匹とはすごいですなあ」
「この記録はなかなか破られないでしょうなあ」
「それでは10000からスタートします。10000!」
「50000!」
「100000!」
「120000」
「135000!」
「180000」
「250000!」
「300000!」
「500000!」
「750000!」
「おっと一気に跳ね上がってしまいました!750000!落札です!」
「おお!我が家の家宝にするとしよう」
「ちッ・・・」
「うーん、うらやましい」
「いまだに動きつづけていますから、慎重に扱ってくださいね」
「うむ」

「さあどんどんいきましょう」
「ロット癸魁△弔襪呂靴任后
「つるはし?」
「普通のつるはしに見えるが・・・」
「説明いたしましょう。このつるはしは、725ステージ連続生存記録を持つ伝説のレミング、ダーシマハールが愛用していたと伝えられるつるはしなのです!」
「おお!あのダーシマハールか!」
「鉄人と伝えられている・・・」
「そうです!726ステージ目で不覚にも穴を深く掘りすぎて地底に落下してあえなく死亡した、鉄人の異名を持つ彼の所持品なのです!見てください。この柄の部分に彼のサインがあるでしょう?これはまさにレア!」
「これは欲しい!!」
「国宝モノですなあ」
「それでははじめましょう。50000!」
「100000!」
「300000!」
「おっとすごいことになっています!」
「500000!」
「1000000!」
「きました1000000です!」
「1250000!」
「1400000!」
「1700000!」
「1700000です!もうよろしいですか?」
「2000000!」
「はい!2000000であなたに決定です!」
「おおー」
「や、やった!これで・・・」
「やったわね。あなた」

「さあそれではいよいよ、本日の目玉商品です!」
「ロット癸粥▲譽潺鵐(雌)です!!」
「こ・これは・・・?」
「説明いたしましょう!彼女は正真正銘の生きたレミングです。名前をザクラダ・ファミリアさんといいます。ファミリアさん、こんにちは」
「こんにちは」
「彼女の頭上に3という数字が輝いていますのが分かりますね?そうです、彼女は不発弾なのです!!!」
「おおーーー!」
「すばらしい!!」
「来たー!!」
「彼女は自爆コマンドを実行されたにもかかわらず、何らかの不具合でカウントダウンが3で止まったままになってしまったという、レアもレア、生きた不発弾になってしまったのです!!!」
「欲しい!!欲しすぎる!!」
「ぞくぞくしますなあ!!」
「生きててよかった・・・こんなすごいのが見られるなんて」
「それでは開始します!100000から!」
「1000000!」
「10000000!」
「100000000!」
「これはすごい!もう1億の値がつきました!」
「くッ、300000000!」
「負けるか、500000000!」
「1000000000!」
「なにー!?10億!?」
「おおーー!!」
「さあ、さすがにもういらっしゃらないでしょうか?」
「ひゃ・・・10000000000!!!」
「でました100億!!、はい、あなたに決定です!!おめでとうございます!!」
「すごい!金持ちは違うなあ」
「100億とは、やりますなあ」
「不発弾とはいえ危険もありますので、扱いには注意してくださいね」
「わかりました」
「本日のオークションはこれで終了です。皆様、お楽しみいただけましたか?それではまた次回、どうもありがとうございました!!!」
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Lemmingology#4:The Steel Mines of Kessel

「おい!しっかりしろ!」
いくら声をかけても、友の体は動かなかった。
ちくしょう。なんてこった・・・。
いくら先へ進むためとはいえ、いくら犠牲は仕方ないとはいえ。
・・・俺の小隊を丸ごと吹っ飛ばしやがって。
「誰か生きてる奴はいるか!返事をしろ!」
どこからも、返事はなかった。
コウジは、もう一度、舌打ちをした。
せっかく壁が破壊されて、先へ進める状況になったというのに。
生き残っているのが自分だけならば、これ以上ここにいても、任務は果たせない。無意味だ。
この場所から、早く離脱しないと、もう一撃でかいのを食らう可能性もある。
このあたりの地盤も崩れかかってきている。
危険だ。
コウジとて、今の爆発をまともに受けた身であるため、無事ではない。
たぶん、彼の左腕は一生使い物にならないだろう。
ということは、これ以上、この仕事を続けることもできなくなるということだ。
・・・ひとまず、安全な場所へ行って、応急処置をしなければ。
コウジは、Fブロック第11回廊を引き返し、第9回廊へ向かった。
そこには、中継基地があるはずだった。
流れ出る血。左の腕を押さえながら、コウジはひたすら走った。
途中、いくつもの、仲間、いや同業者の死体があったが、もはや何の感情も沸かない。
唯一、心残りなのは、部下であり、友でもある、ハイドンの形見を
持ってくることができなかったことだ。
彼は、小隊長であるコウジをかばい、爆発をまともに食らって死んだ。
彼の存在の形跡は、全く残らなかったといっていい。この世に何も残さず、彼はきれいに消滅したのだ。
いくら隊長である俺を守るためとはいえ、他人をかばって死んだところで、この世界ではなんの賞賛もされないし、むしろ白い目で見られるだけだというのに。
馬鹿なことをしやがって。
今回の任務は、もともと奴にとって最後のミッションだった。
無茶をする必要もなかったのだ。

ハイドンの婚約者、ジェシカはハイドンの仕事に反対だった。
ハイドンはそんなジェシカに、ついに屈服し、今回のミッションでこの仕事を辞め、結婚し、一般人として生活する道を選んだ。
しかし、今回のミッションは、あまりに過酷すぎた。
ジェシカには、なんと言ってやったらいいのだ。
コウジは走りながら、そう考えていた。
俺自身があいつの形見になるとでもいうのか。昔の三文小説じゃあるまいし。
しかし、それも生き残ってからの話だ。
生きて出口に辿り着かなければ、今生きていたって意味がないのだ。

中継基地が見えてきた。
タイムリミットまではまだ時間がある。
少しくらい休んでから脱出しても、おそくはないだろう。
そう考えていた。

中継基地には、4人ほどの「仲間」が集まっていた。
みな、どこかの小隊の生き残りだろうか。
ベテラン風の男が、コウジを見つけて、手招きする。
「いよう。待っていたんだ。このブロックの生命反応は5つだけだそうだ。今ここに4人いる。あんたで最後だな、生き残りは。ちょうどよかった」
「ちょうどよかった?」
ベテランの男が手を出してきた。握手をする。
「ああ、まあ気にするな。俺はリュートってんだ。よろしく。かわいい名前だろ?それから、こいつらは俺の部下たちだ。よろしくな」
「・・・コウジだ。11回廊突撃隊の小隊長をやっていた」
コウジはリュートの言葉をほぼ無視した。名前ごときで笑ってられるほど悠長な気分にはなれない。
しかし、リュートの顔は大きく四角い。黒い髭が顔中に生えていて、おまけにのんびりとパイプまでくわえている。確かに姿かたちとは不似合いな名前だ。
残る3人とも、一応挨拶をした。
「少しだけだがな、酒があるんだ。どうだ、飲まないか」
リュートの部下の一人が言った。
彼らは、こんあ戦局にあっても、あくまでマイペースを貫く主義らしい。
「いや・・・いらない。それより、血を止めたいんだが」
コウジは左腕を見た。

「コウジ隊長とやら。お前さん、これからどうするんだ?」
応急手当も済み、水分も補給し、ようやく一息ついたところでリュートが言った。
コウジには意外な言葉に思えた。
「どうするもなにも、脱出するんじゃないか。あなたたちは、ずっとここにいるつもりか」
「まあ、ある意味そうだな」
意味がわからなかった。
怪訝な顔をするコウジに、髭面の男は言った。
「あんた、ミッションは何回目だ」
「・・・7回目だ」
「そうか。俺はもう35回目だよ」
コウジは驚いた。35回も、この仕事をやって生き残ることができたとは。
「まあ、もちろん運が良かっただけだ。この任務に参加する命知らずに、格などない。あんたが小隊長になったのだって、くじ引きみたいなもんだろ?」
確かに、その通りだった。隊長と部下など、形式だけのものだ。
「まあ、俺の強運も、ここまでだったというわけだ」
「どういう意味だ」
コウジはリュートにじっと見据えられた。
「もうすぐ本隊がくる。生き残ることが任務の10名だ。彼らがくる前に、第12回廊の壁を突破するのが・・・俺たちの役目だ。あんたたちが壊してくれた先にある、もっと分厚い壁だ」
「生き残るのが任務?」
「そうさ。あんたが今回支給されたのは、壁に穴をあけるための道具だったんだろう?」
確かにそうだった。
「これからやってくる奴らは、武器を持っていない。身を守る物しか支給されていないんだ」
「では・・・」
「そう。今回は、突入した100人のうち、10人だけ生き残って脱出すればOKという、今までにない過酷なミッションだ。100人が闇雲に動き回ってもクリア不可能。だから今回は特別に、一人一人に役割が与えられているんだよ。知る知らないはともかくな。俺たちは、その10人を生かすために、犠牲になって道をつくらなきゃならない」
「では、私たちの任務と・・・」
「そう。同じ任務だ。ただし、ここにいる5人全員、自爆しないと
あの壁の突破は不可能だ。しかし、ここにくる途中で、一人やられちまった。俺のミスだ」
「そして、私が現れたというわけか」
「そのとおり」
「私達が生き残る方法は」
「ないね」
リュートはきっぱりと言い放った。
「あの壁の先は吹き抜けになっていてな、出口は、遥か下にあるという話だ。そして、高い所から落下しても死なないアイテムを、その10人だけは持っているのさ」
コウジは愕然とした。
何も知らなかった。
「さ、わかったら、手伝ってくれ。我が、第12回廊突撃隊の任務を、果たさせてくれ」
もはや、リュートの声など耳に届かなかった。
いくら死と隣り合わせの仕事とはいえ、最初から生き残るチャンスが与えられていなかったとは。
しかも、この目の前の男たちは、自爆することを最初から承知の上で・・・。
今回の成功報酬、道理で高すぎると思ったぜ。
「ほれ、あんたの爆弾だ。しくじるんじゃないぜ」
コウジは手渡された爆弾を握り締めた。
なぜか、死んだ親友ハイドンの婚約者、ジェシカの顔が頭に浮かんだ。

「生存者全員脱出。ミッション終了。ノルマ10%。脱出率10%。ミッションクリア。次のステージへ進みます」
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Lemmingology#3:From the Boundary Line
「金森さん、今度ね、いいの入ったんですよ」

防犯グッズのセールスである中根が久しぶりに来た。
人里はなれたところに大きな屋敷を構える金森は、人恋しさも手伝って、このときを楽しみにしていたから、日課である昼寝の時間も中断し、すぐに応接間に中根を通した。
その中根が、新製品を持ってきた。さっそく説明をはじめる。

「なかなかの傑作でして。まあ見本を見ていただいたほうが早いでしょう。これです」
中根が取り出したのは、観葉植物だった。葦の仲間だろうか。
「ほう。植物か。珍しいな。これも防犯グッズなのか?」
「はい。金森様のお屋敷はとても大きく、いつどこから泥棒に侵入されるかわかりません。屋敷の塀の内側にこの植物を植えておけば、まるで生きているかのように侵入者の足に絡みつき、その動きを止めることができましょう。これは見本ですので動きませんし大丈夫ですが、実物はこれよりもっと丈が長く、常にウネウネと動いています」
金森の目がきらりと輝いた。
「ほほう。見張り番や番犬では金がかかるし、第一見落としもあるからな。なるほど、こいつを植えておけばまず泥棒などには入られまい。よし、買おう」
「ありがとうございます。それでは後日、植木職人にお願いして塀の内側にこの植物を植えさせますので」
その手配をすべく手帳になにか書き込もうとする中根を、金森は制した。
「いや、それには及ばん。ウチの使用人にまかせるから、その植物を持ってきてくれるだけで構わんよ」
中根は少し困ったような表情になった。
「ですが、この植物は危険です。扱いを間違えると大変です。一度絡みついたらなかなか離れませんから」
「毒をもっているわけではないんだろう?」
「それはそうですが、あまり救出に時間がかかってしまいますと、口を塞がれてしまったりする可能性もありますので・・・。何しろ全身に絡みつきますから」
「まあ、みんなでやればなにかあったときでも大丈夫だろう。植木職人は遠慮するよ」
「わかりました」
中根は引き下がった。
無尽蔵に金を使う男だと思っていたが、肝心なところでケチなようだ。
植木職人の工賃など、この植物の値段に比べたら安いものなのだが、金森家の使用人がやるのであれば、それはそれでかまわない。多少危険かもしれないが、知ったことではない。
中根の責任にはならないだろう。

「それでは後日、お持ちします。それにしても、この商品を購入していただけるとは、正直なところ、思っておりませんでした」
「ん?それはどうしてかな?」
金森が太い葉巻に火をつけた。
「先ほども申しましたように、扱いが危険ですし、葦の仲間で、ただ長い茎が何本も伸びているだけの植物ですから、このお屋敷の景観も損ねてしまうかと思いまして」
「ああ、そういうことか。いやしかし、防犯には代えられんからな。最近は物騒ゆえ、防犯に金を掛けておくに越したことはあるまい」
「はあ、たしかにその通りで」

「ところで、今日はこれだけかな」
「とんでもございません。まだあります。こちらなんですが」
中根が取り出したのは、ライフルのような形状のものだった。やはりレプリカのようだ。
「これは高圧電流を、ビーム状に放出する装置です。このお屋敷の玄関や壁などに据え付けて使用するものです。電圧を最大にすると、生命に危険が及びますので扱いが難しいですが・・・」
金森は葉巻をいったんもみ消した。嬉しそうな表情だ。
「すばらしい!このような防犯グッズを待っていたんだよ。やはり侵入者は、侵入前に仕留めないといかんからな。この装置があると思わせるだけでも威嚇になるだろう。よろしい。こいつを10セット買おう」
「あ、ありがとうございます。さすが金森様、ご決断が早くていらっしゃる」
「いやなに、君のところの製品が素晴らしいからだよ」

「ところで金森様、この製品には姉妹品もございまして・・・」
「ほう、それは興味深いな」
「こちらです。これは電流ではなく、炎を放出します」
「火炎放射器か。電流のやつとあわせて設置しておけば、だれもこの屋敷に近づけんようになるな」
「そうですね。安心して暮らせるようになるかと思います」
「わかった。じゃあこいつも10セット買おう。いやあ金持ちも楽じゃないからな。用心に越したことはない」
「ありがとうございます。ではこれも設置のほうは・・・」
「使用人どもにやらせよう。設置するときはスイッチを切っておけば問題なかろう」
「そうですね。ではあわせて後日、お持ちいたします」
「いやいや、これでようやく枕を高くして寝られるよ。いい買い物をした。また新製品が出たら来てくれたまえよ」
「はいっ。それでは失礼させていただきます」

帰りの車のなかで、中根は考えていた。
いくら金持ちの屋敷とはいえ、見張りや番犬に頼らず防犯グッズばかりで固めようとしているが、金森はそんなに人が信じられないのだろうか?
最初のうちはネズミ捕り用トラバサミなどの駆除用品を購入するのが主だったが、最近は高価で危険な防犯グッズを大量に買ってくれるようになった。
このままセールスを続けていれば、この屋敷はそのうち、泥棒だけでなく、普通の人も近寄れなくなるような、物騒な屋敷になってしまうだろう。
そこまで考え、ふと我に返る。
そういえば、金森家には以前にも何度か自社製品を納めたが、設置やセッティングはすべて使用人に任せると言っていた。
しかし、今日、金森の屋敷を訪れたときに、まったくその製品を見かけなかった。
もうずいぶんいろいろと購入しているはずだが・・・。
買うだけ買って、使いもせずに満足してしまっているのかもしれない。
でも、まあいいか。こちらの知ったことではない。
おかげで自分の営業成績は常にトップだ。
上客とはこのことだ。
中根は、この成績を、自分の営業努力の賜物だと信じていた。

中根を帰らせたあと、そのまま応接室に残り、再び葉巻に火をつけ、金森は考えていた。
面白そうなアイテムを新たに3つも手に入れた。
次はどんなステージをつくろうか・・・。
泣き叫ぶネズミどもの顔が目に浮かぶ。
「西野!西野はいるか!」
しばらくして、使用人筆頭である西野が部屋に入ってきた。
「御用でございますか。ご主人様」
「ああ。いいステージを考えた。人を100人、調達しておいてくれ」
「ご主人様・・・そのようなご趣味はこの西野、あまり関心いたしませんが・・・」
「ふん。お前の説教なんぞ聞きたくないぞ。それより、新しいステージの図案を書くから、すぐに工事に取り掛かれるようにしておけよ」
「承知いたしました」
「今回のは難しいぞ。ノルマは5%といったところかな」
西野は、ため息をついた。

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Lemmingology#2:We All Fall Down(2/2)
マクシムは行ってしまった。時の経過を計るような音も動きも、周囲には何も見あたらなかったけれど、それでもリミットは確実に迫っている。エリーと二人、残された僕はこれからどうすればいいのだろう。
「───さあ、ユキ。あなたも」
励ますように僕を見つめエリーは言う。
僕はゆっくりと立ち上がり、もう一度マクシムが消えた通路を確かめた。
そこにあるのは、すべてを滅却する真実の闇。
ここが怪物のコアだろうか。
洞窟はひたすら死人のような静けさをたたえ、僕たちはすっかり世界から取り残されてしまったみたいに、ぽつんとこんな場所で佇んでいる。
寂しさを感じるだけ、僕はまた少しマシになれたのかもしれない。
「ユキ?」
いつまでも動こうとしない僕を不思議そうに見上げるエリーを無視して、僕は後ろの通路を振り返った。
「ねえ、エリー。別働隊はいつ来るの?」
そう問いかける僕にエリーが一瞬表情をこわばらせる。
「───別働隊?」
エリーは繰り返す僕のエコー。
「来るんでしょう?」
僕たちはもう二人しかいない。
洞窟に散在した死体の数は合計27。マクシムを含めると28になる。
生存率、わずかに7パーセント。
たとえ作戦行動中であったとしても、ミッション攻略が不可能と判断された場合、司令部がコード:ハルマゲドンの実行をためらうことはない。
そうなれば、すべてが『ジ・エンド』───と教えられている。
もちろん、その実行が具体的にどんな状況を引き起こすのか僕は知らない。知っている者の方が少ないだろう。
本当にそんなものが実在するのか? それを疑う者もないではない。しかし、司令部は失敗時の仕置きをチラつかせて任務の早期完遂を促すのだし、また、実際にハルマゲドンを体験して生き延びた者が一人として存在しない以上、その実体を推測することもできなければ、高をくくって完全に否定してしまうこともできない。
あるいは部隊の間でまことしやかに囁かれる噂の類、士気を高めるためにでっち上げられた司令部のアジテーション。
ただ、世界の終末を意味するその忌まわしいコードネームから───巻き込まれれば即ち死、決して生きて帰ることはできないのだ───と、それが前線に身を置く者たちの揺るぎない共通認識になっていることだけは確かだった。
任務失敗は即リミットの切り上げという事態を招き、結果、世界の終末が訪れる。
ついさっき、エリーもそれを示唆してみせたじゃないか。それが最終的にマクシムの決断を促す要因になったことは言うまでもない。
───けれど。
「僕たちはまだ生きてる」
そう。司令部はまだ、このミッションを失敗とは見ていない。作戦は依然継続中であり、それは同時投入された別働隊が存在することを示している。
そもそも、司令部が最初から明らかに攻略不能と思われる数でミッションに当たらせるようなことはないのだ。いかなる場合でも、最低限の人員だけはそろえられる。
「別のジェネレーターを見つけたんだ。……ずっと上の、東の突き当たりで」
黙り込んでいるエリーが怒っているような気がして、僕は言い訳めいた台詞を続けた。でもエリーは何も答えてくれない。
「……マクシムは、どうなるの?」
その問いかけにようやく何か刺激されるものがあったのか、エリーはすっと視線を外し、「あなた……」消え入りそうな声で呟いた。その瞳に、射るような輝きが宿る。
「───ずいぶん察しがいいのね。やっぱり、記憶がないなんて嘘でしょう?」
違う。それは嘘じゃない。
僕は任務中に大怪我をして色々な物を失った。怪我はもう直ったけれど、記憶は未だに戻らない。
「でも、物を考えることくらいはできるから」
僕は言った。
「そう……」エリーは困惑気味に息をもらし洞窟の奥を見つめる。どこか悔恨を漂わせるその仕草に、僕は一つの確信を得る。
「悲しいの? エリー」
「……いいえ。でも、きっとマクシムは私を許さないでしょうね」
「何も知らなければ、それもできないよ」
「───あなた、知っていたの?」
膝を抱えてうずくまり、エリーは哀れむように僕を見た。
僕に課せられた運命を僕は知っていたのか?
そうじゃない。僕は気づいたのだ。
今回のミッションは最初からおかしかった。部隊は即席で編成され、ブリーフィングもないまま叩き出されるようにして基地を出た。与えられたのはわずかな装備だけだったし、作戦の詳細が明確に伝えられることもなかった。すべてが慌ただしく、司令部はしきりに何かを焦っているような印象。
当然だろう。死ぬとわかっていて、それを快く受け入れられるほど人間は強くない。特に報酬目当てに参加しているような前線の雇われ部隊なら尚更にその傾向は強いはずで、どう口説いてみたところで引き受ける者は皆無だろう。誰だって、生き延びる可能性があるからこそ、果敢にも過酷なミッションに臨むことができるのだ。
しかし、ボムでなければ突破できないブロックは依然として存在する。
育成に時間のかかる突撃隊は慢性的に不足しているのが現状で、その数に期待ができない以上、司令部としては強攻策に打って出る他に手段はなかった。
その結果が、強制的な即席ボンバー隊の編成。
倫理観なんてハナから歪められているこの世界だけれど、それを公然と提示できるほどの慢心はさすがの司令部にだってありはしない。僕たちは奴隷じゃない。おおっぴらに道具扱いされれば逃げ出す者が現れて当然だし、それを咎めるような道理はないのだ。
それでも、レイモンたちは道具として処理された。
公然とできなければ暗にでも実行する。それが司令部の判断。
エリーは僕の指摘を否定しない。
───つまり、そういうこと。

「トップシークレットよ、それは」
うつむいたまま、声を忍ばせエリーは言った。
「ことが一般クラスの隊員に漏れれば、誰も司令部を信用しなくなる」
だから、強制ボンバーに選ばれた部隊は完全に口を塞いでおく必要がある。一人の逃亡者も許さないよう、目的地まで誘導したあとは確実な爆破。
何も知らない隊員を死地に導く案内役は、気心の知れた隊長なんかじゃ務まらない。
徹底して良心を殺し、その役割を担うのは司令部から派遣される優秀な工作員。そのためには労を惜しまず部隊での親交を育み、命令に頼るのではない人望をも獲得する。
すぐに裏切りの汚辱にまみれるのだと知っていても。
「エリー」僕は呟く。「……起爆スイッチはどこ?」
その問いにエリーは小さく首を振る。
「私は……本隊のためのルート確保を命じられただけ。爆破の実行能力は持たされていない。操作系統はすべて司令部が握っているの。この発信器で、ターゲットの位置を確認して……」
袖を捲り、エリーは腕に巻かれたクロックを示した。それは基地で支給された数少ない装備品の一つ。
今回、部隊の半数、レイモンたちはあの崖の麓に意図的に集められた。クライマー隊が先行したあと、そこで第一の爆破が実行される。地面がブチ抜かれると残った者は階下の一本道に落下することになり、あとはそれぞれに移動を始めた生存者を利用して通路を塞いでいる隔壁を破壊していく。
途中、僕たちが見つけた死体の山は、そうやってわけも分からないまま死んでいった仲間たちの成れの果てだ。
もし、彼らが動かずその場に留まっていたなら、あるいは爆破は免れたのかもしれない。しかし、洞窟は暗く先の様子も悪意も全貌も、彼らは何も知ることができなかった。次々と木っ端みじんに砕けていく仲間たちを目の当たりにして、たとえ闇雲でも出口を求めずにいられる者がいるだろうか。
彼らは進むことしかできなかった。その先に壁が立ちはだかり、それを確かめた瞬間には死が訪れるのだとしても。
───地獄だ。
淡々と語るエリーの声を耳に、その光景が目に浮かび僕は息が詰まるのを感じる。
「知らなければよかったと思うことがあるわ」
少し間をおいてエリーは言った。
「自分のやっていること、知らずにやったのよって言えたらどんなに良いか」
嘘だ。エリーはそんなふうに思ってない。
「でも私は全て了解してる。卑劣だと知りながら、拒むことをしなかったの」
「───上の命令は絶対だからね」気が付くと僕は言っていた。「司令部に直接飼われてる身なら、仕方のないことだ」
どうしてそんなことを言ったのだろう。ただ、妙に言い慣れた台詞のように思えて、酷く惨めな気持ちになった。
「ユキ……」
エリーは膝を抱えたまま顔を伏せている。あんなに頼もしく見えたエリーが、今は見る影もない。
「エリー、僕は行くよ」
そう言うとエリーが驚いたように顔を上げた。何を言っているの? とでも言いたげな表情を即座に打ち消し、「───死ぬわよ」と鋭い眼差しを向けて冷たく言い放った。
「わかってる」僕は言う。
「わかってないわ。あなた、何を考えてるの? 私のこと覚えてて、全部見抜いてたんでしょう? だったら、自分がどうしてここまで連れてこられたのか、その意味を理解できるはず」
そう。マクシムと僕は、エリーに導かれてここまで来た。
もちろん、適性なしと判断されてボンバー隊から外されたわけじゃない。それはエリーの慈悲や気まぐれなんかでもなくて、マクシムと僕はやっぱりただの道具だった。
予備として温存された、僕は歩く爆弾袋。
レイモンたちだけでは足りなかった場合や、あらゆる予測不能な事態に備えて、生きのいい爆薬をいくつか手元に確保しておくのはしごく真っ当な判断だろう。
ここに来るまで何度もエリーに助けてもらったことを思い出して、僕は少しだけ悲しくなる。あのとき、死んだゴメスの傍で立ち止まっていた僕の手を引いてくれたエリーの親切には、ちゃんと意味があったのだと───。
「ひどい女よね。勝手に名前を付けて、ちょっと優しくしてあげれば、のこのこついてくるだろうって、あなたのことそんなふうに……」
憎々しげに自分の指先を見つめるエリー。
それでも僕は嬉しかったんだと思う。
「いいよ。僕は、自分の役目を果たしたいんだ。せっかく助けてもらったから」
「役目って、あなた、死ぬとわかっていて先に進む気?」
「そうだよ」
僕は答えた。
「……どうして? 理解できない。私、あなたを騙してここまで連れ回したのよ」
「でも、そうしないとエリーが助からない」
それでエリーは黙り込んだ。
僕に秘密を悟られたことはもちろんエリーのミスじゃない。でも、エリーに指示を出している連中は、きっとそんなふうには受け取らないのだろう。
僕は背を向け歩き出す。何を知ったって、僕のなすべきことは変わらない。
もう、考えるのは面倒だった。僕は与えられた役目を果たせばいい。エリーが与えてくれた大切な役目だ。この先に壁があるなら、僕はエリーのためにそれを壊す。どのみち僕は僕であって僕でない。宙ぶらりんな自分にはうんざりだったし、エリーが助かるというのならそれで充分。これで面倒はナシだ。
「───待ちなさい」
呼び止められるのと同時に、僕は右腕が引かれるのを感じた。見ると、エリーがぎゅっと僕の袖を握っている。そのままエリーはするすると僕の手を取り、腕に装着されていたクロックを外した。かわりに自分の付けていたそれをつけ直す。
「これで良いわ」と言ったエリーは凛とした表情で立ち上がった。
「エリー?」
「命を削って、価値を稼ぐのが人間よ」
意志のこもった黒い瞳を向け、エリーは続ける。
「以前、あなたにそう教えられたわ。でも今の私の価値は他人の命を犠牲にして得られたもの。呪われているの。それは人間の価値じゃない」
エリーが何を言っているのか、僕にはよくわからない。
「……気がついたのよ、自分に悪を感じたとき、私は少しでも省みるべきだった。本当の価値は良心にあるって。それにためらわないことで、私の価値は高められる」
「わからないよ、エリー」
僕が言うと、エリーは優しく微笑んだ。
「あなたを死なせたくないの」
「どうして?」
「あなたをそんなふうにしたのは私だから。……本当に覚えていないの? 同じ部隊にいたのよ。司令部直属の。あなたは上官で、ミスした私を助けようとして───」
覚えていない。思い出しもしない。いったい僕は何をした?
泣き出しそうな僕にエリーはそっと笑みをくれる。
「いいわ。そんなこと、どうだっていい。とにかく、私はあなたを死なせたくない。理由なんて私だけが知っていればいいこと。そうでしょう?」
勝手だ。そんなの、勝手すぎる。
「私が奥へ行くわ。あなたはさっきのホールまで戻って、どこかに身を隠しなさい。後続をやり過ごしてから悟られないように後をつけるの。絶対に見つかっては駄目よ。リミットギリギリで脱出すれば、どうにかなると思う。問題は司令部の対応だけど、脱出後にそのクロック、発信器を処分してしまえばある程度時間を稼げるはず───」
僕の手を取り、エリーは忙しくまくし立てる。
「───それで上手く脱出できたら、すぐに地上に戻ること。こんな仕事からは足を洗うの。必ずそうして。いい?」
強気に指示を与えられると、僕は反射的にいいよと答えそうなる。そこを堪えて「エリーは?」と聞いた。
「私は……」一瞬言い淀んだエリーだったけれど、すぐに笑顔を取り戻して「大丈夫。上手く脱出してみせる」と力強く頷いた。
でもやっぱりそれは嘘なのだ。ある程度作為的だったとはいえ、エリーの傷は決して軽いものではない。それに、強制ボンバーの事実を知る人間を司令部が放っておくとも思えない。エリーはすでに囚人で、それは僕だって同じことだ。
こんな場所で、望みや期待なんて意味を持たない。
拒んでも受け入れても、もたらされる結果に大差はない。だったら僕は。
「逃げるのよ! 生き延びて、ユキ」
そう懇願するエリーの気持ちを遮ったのは、僕の拒絶の言葉ではなく、

───そういうわけにはいかんのだよ。

どこからともなく聞こえてきた、野太い男の声だった。

                    *

「……ヘクター?」
その懐かしい顔を見て、思わず僕は呟いていた。以前僕が再起不能に追いやった男は、どういうわけかすんなりと復活していて、最悪のタイミングで僕の前に現れた。
どうして? と思ったけれど、それこそどうでもいいことだった。ヘクターなんて、その後の人生をどんなふうに歩もうと僕には全然関心がない。
大方、てきとーに左遷された先がこのEブロックで、今回のミッションの成功に復帰の望みを賭けているとか、たぶんそんなところなんだろう。でも、こんな馬鹿げた作戦を実行するのは、ヘクターのようなインチキ野郎でちょうどいいのかもしれない。権力者なんてみんなまとめて憎まれ役だ。
「ターゲットの逃亡幇助。これは司令部に対する反逆と受け取って構わないだろうな? エレイン」
薄闇に卑屈な顔を浮かべ、ヘクターはまじまじとこちらを見ていた。
名指しされたエリーは悔しそうに視線を落とす。
「特にその男───」憎悪のこもった眼差しで僕を捉えたヘクターは「いや、どのみち第38小隊には全滅してもらわねばならんのだが……」言って口元に勝ち誇るような笑みを浮かべた。
理由は知らないけれど、ヘクターは酷く僕を憎んでいる。僕が本能的に感じるヘクターへの憎悪と同じくらいには。
「ともかく、その男だけは生かしておくわけにはいかん。いつ記憶が戻らんとも限らないからな」
───記憶?
つまりヘクターは記憶を含めて僕の存在を消したいということだろうか? それは僕の記憶の内にヘクターにとって都合の悪い情報が含まれていることを示しているわけで、僕がそれを思い出しさえすれば、まだ交渉の余地は残されているということだ。エリーを助け出し、尊大なヘクターを多少なりとも脅かすことができるのかも知れない。愚かなヘクターは僕にヒントを与えてくれたのだ。
でも、僕は何も思い出すことができない。いったい僕は何を知っている?
「エレイン。お前の能力は上層部も認めるものだ。無論、ターゲットに情を移したあげく任務放棄など許されることではないが……、かといって一度の失態で切り捨てるには些か惜しい能力だと私は思う。どうだ? 投降して私の指揮下に入るなら、今回の報告は差し控えてやってもいいんだぞ?」
含みのある物言い。嫌らしく告げられた言葉にエリーが返したのは、挫けることのない眼差しと頑ななまでの沈黙だった。
「内々に処理してやろうというんだ、エレイン。いかなる理由があろうと任務放棄は極刑に値する。他に選択肢はないと思うがな。まさか、本気で司令部から逃れられると思っているわけでもなかろう?」
自らの優越を誇示するようにヘクターは余裕の表情でエリーを見据える。そこに蹴りの一発でもぶち込んでやりたい衝動を覚えた僕は、「フン」と隣でエリーが鼻を鳴らすのを聞いた。
「呆れた尊大ぶりね、ヘクター。あなた、まだ司令部の一員でいるつもり?」
「何?」
「こんな前線に飛ばされてもまだ自覚がないの? あなたは見限られたのよ。今後の復権はあり得ないわ。───ヘクター元第8大隊司令。それとも、隊長様とでも呼んだ方がいいのかしら?」
その言葉に、ヘクターの笑みが凍りつくのがわかった。見る間に瞳から威厳が奪われ、たぎるような怒りが込められていく。
図星。やっぱりヘクターは左遷されていたんだ。そりゃあそうだろう。もともとこの男はそんな器じゃなかった。絶えず死と隣り合わせの前線にとばされて、少しは人間の価値に気がついただろうか。まあ、どうでもいいことだけれど。
「き、貴様ッ! エレイン!」
僕が勝手に溜飲を下げていると、ヘクターは激昂を顕わに罵声を響かせた。エリーはまったく怯まない。
「気安く呼ばないでほしいわね。私への指示は司令部から直接下されている。上官でもないあなたの指揮下に入る理由はないわ」
毅然としたその態度にヘクターは顎を引いて押し黙った。ゆっくりと、その口元に歪んだ笑みを取り戻す。
「愚かな女だ。自分の立場もわからんとは……」
そう言ってヘクターが右手をあげると、複数の靴音が周囲の壁面に反響した。ホールへの通路を塞ぐように、ヘクターの背後に控えていた別働隊の面々が姿を現す。
なるほど、これが本隊なのだろう。レイモンたちの犠牲を讃えるでもなく、まして感謝しているはずもなく、悠々とここまでたどり着いた彼らの顔には、皆そろって土埃一つないきれいな無表情が仮面よろしく張り付いていた。
「反逆者2名。直ちに確保せよ」
ヘクターの号令に合わせ、ザッと地面を踏み鳴らした捕縛者たちが歩み寄る。為すすべもないまま僕が一歩後退ったとき、
「走って! ユキッ」
交渉の余地なしと見たエリーは素早く僕の手を引き、言うが早いか身を翻していた。
「逃がすなッ!」
通路にこだまするヘクターの怒声。
ついさっき、エリーが指示してくれた作戦はすっかり反故になってしまった。もうホールに戻ることはできない。上手く脱出してこの仕事から足を洗うことも困難だろう。
僕たちが走るのはマクシムが去っていったルートだった。この先に壁があれば、それを見つけた時点でドカン。レイモンやマクシムと同じ運命をたどることになる。何も知らずにこの道を進むことのできたマクシムは、僕たちよりも幸せだっただろうか。
背後に迫る追っ手の足音に恐々としながらも僕たちはひた走った。
しばらく進んだところで、不自然に崩れた一画に差し掛かったけれど、そこで歩みを止めるわけにはいかなかった。
かすかに残る火薬の臭いにいくら胸が苛まれても、足裏に岩床ではない何か別の柔らかいものを踏みつけた感触が残っても、僕たちはそれをみんな無視して乗り越えて行かなければならない
「ごめんなさい、マクシム───」
そう呟くエリーに僕は言葉をかけることができなかった。
深手を負っているエリーは絶えず苦しそうに右脚を引きずっていた。
周囲は暗く、手探りで進むわけにもいかない僕たちはひたすらまっすぐに突き進み、それが追っ手との距離をわずかながらも稼いでいた。
マクシムの命と引き替えに切り崩された壁。
そこを駆け抜けたとき、僕たちを待っていたのは濃度を増した闇だった。
「待って、エリー」
けれど、僕が呼び止めたときにはもう遅かった。
ガラガラと岩の崩れる音のあと、一歩先を走っていたエリーの姿が、ふいっと僕の視界から消える。
「エリーッ」
そこは切り立った深い深い崖。遙か下方に、ぼんやりと赤い光をたたえている。
底に溶岩の川が流れる巨大な地下渓谷は、まさに地獄と呼ぶにふさわしい。
エリーは足を踏み外し、かろうじて落下は免れたものの、岩の縁を掴んだ右腕一本でどうにか身体を支えてぶら下がっている状態。
ほっと息をつく間もなく、「ユキ、脱出口は?」と足下にエリーの声を聞く。
咄嗟に周囲を見回し、僕は右手奥にそれを見つけることができた。崖沿いに細い足場があって、その先に求めていた出口が口をあけている。
「あった! あっち、ほら」
言いながら僕は素早く屈み込んだ。一刻も早くギリギリでどうにか踏ん張っているエリーを引きずりあげようと身を乗り出して両手を伸ばす。
ようやくここまで来た。もう少しで脱出できる。ヘクターなんか適当にやっつけて、そしたらエリーと一緒に地上に戻ろう。
「───駄目よ」
その冷たい声。それはあっさりと僕の望みを打ち砕く。
「追っ手がもうそこまで来てる。私はいいから、早く出口まで走りなさい」
厳しく僕を見据えたエリーは、
「さようなら、ユキ」
言うと同時に手を放した。
瞬く間に、音もなく落下していくエリー。
そこにためらう様子は微塵もない。美に近いまでの潔さ。一瞬見とれたあと、少し遅れて僕に僕の意識が帰ってくる。
なんてことをするんだ、エリー。それで決断を促したつもり?
僕は血眼になってその姿を追い続け、やがてパッと宙に黄色い花が咲くのを確認する。
傘が開いた。
けれどそれは命をつなぐ装置ではなく、じわじわと苦しみを与える拷問器具。
ふわふわと漂い、エリーはゆっくりと赤い溶岩に呑み込まれるだろう。
「いたぞッ! こっちだ」
背後からは追っ手の声。にわかにあたりが騒がしくなる。まるでエリーの潔さを踏み荒らすように。
「女は?」
「待て、崖だ!」
追いついてきたヘクターたちに一瞥をくれ、僕は勢いよく地面を蹴った。前方の断崖に怯んだ男たちは追うこともできずに、虚しく叫き立てるだけ。
「動くな!」
嫌だ。僕は捕まりなんかしない。
しつこいヘクターなんかとは、もうここでさよならだ。
「な、おいッ、と、飛び降りたぞ!?」
「くそッ、フローターに頼ったか。まずいな───」
「至急基地との回線開け。ターゲットを見失う可能性大。ともかく爆破を───」
何を言っているのか、僕には全然聞こえてこない。
そうしているうち、頭上の喧噪はあっという間に遠ざかった。
どうだ、間抜けなヘクター!
全身の自由を奪う圧倒的な引力をはねのけ、僕は自分の装備に手を伸ばす。手探りでADD、自動開傘装置をカットし、そのまま頭を下に向け身体を垂直に伸ばした僕は、素晴らしいスピードで落下することになった。
僕の周囲には常人には決して見ることのできない超越的な光景が展開する。訓練された者でなければ、ひとたまりもなく気を失ったに違いない。
見る見るうちに眼下の溶岩が迫り、エリーの姿が大きくなる。
このあとはタイミングが全て。
僕にできるか?
「エリーッ」
エリーに声が届く範囲にいる間中、僕はあらん限りの力を振り絞って叫び続けた。
「誘導する! ついてくるんだ!」
聞こえていなくたっていい。エリーが気を失っていなければ、エリーが僕の存在に気づいてさえくれたなら。
すれ違いざま、エリーが驚愕の表情で僕を見たのを確かめ、
───いける、と僕は自分自身に言い聞かせた。
高度はすでにギリギリだった。
しかし、目的のポイントを発見するまで臆することは許されない。
この高さまで傘を開かずに来た僕の加速度は尋常でなく、目を開けているのも困難。必死の思いで着陸地点を探し、崖の麓にようやく降りられそうな場所を見つけた僕は、手動でキャノピィを開傘、ガクンと肩に強い衝撃、方向を修正したのもつかの間、ほとんど地面に叩きつけられるようにして、どうにか溶岩への突入は防ぐことができた。
よく死ななかったものだと思う。
いや、気を失わずに済んだのは奇跡だった。
体中の骨が砕けてしまったような激痛に気が遠くなったけれど、僕は急いで溶岩の川縁に向かった。足下を流れる溶岩が弾けて降りかかってきたけれど、かまうものか。
見上げると上空、緩やかにスパイラルしながら下降してくるエリーの姿が目に留まる。
僕は知らず叫んでいた。
「エリーッ! こっちだ。もっと右! あて舵使って、そう、慎重に!」
僕の姿を捉えているのか、エリーは懸命に身体を動かし姿勢制御を続けていた。しかし、溶岩の生み出す激しい上昇気流によって、壁面付近の気流は絶えず乱れている。
こんな壁際の狭い場所、着陸地点には最低だ。
「───危ないッ」
僕が叫んだとき、エリーは勢いよく気流に巻き上げられた。遠心力で捩れるようにして身体とキャノピィとが平行に並ぶ。一瞬ひやりとしたけれど、その深く傾いた姿勢からエリーは咄嗟にターンに移行して逆方向に身体を振った。間一髪。それでも流されたエリーは壁面から遠ざかり、再び溶岩の真上を漂うことになった。
「エリー、もう一度! ロープを持っていたら、こっちへ投げて」
縋るような気持ちでそう指示して、エリーの様子を見守る僕。
ロープなんて便利なもの、持っていないのはわかっていた。
再びターンしてこちらに戻ってきたエリーは僕の頭上付近で小さく首を振り、突然、思いがけない行動に出た。
キャノピィを捨て、10メートル近い高さから飛び降りたのだ。
崖を包んでいる気流に押し戻され、装備に頼っていては着地がままならないと判断したのだろうけれど、横方向に加速のついた状態でそんなことをすれば、壁面に叩きつけられて無事では済まない。
僕は全力で先回りし、突っ込んでくるエリーの身体を飛びつくようにして受け止める。
人間、死ぬ気になれば結構色々できるものだ。
ごろごろと地面を滑り、もつれ合った身体が離れたとき、僕はようやく無事降下に成功したことを理解した。
大丈夫。エリーに怪我はない。
僕はとても満足して、疲れ果てた身体を横たえた。

                    *

「馬鹿! 信じられない!」
なんて無茶なことをするのよッ、あなた、本当にどうかしてるわ! ───と、エリーは化け物でも見るような眼差しで僕を見下ろしていた。
「全然無事じゃないわよ。こんなに、ぼろぼろになって……」
僕の無謀に戦慄の表情。怯え、青ざめ、そして罵声。
その瞳にはなぜか涙が滲んでいる。
「ユキ、どうしてこんなことをしたのよ。私になんて構わないで、すぐに逃げてくれていたら───」
きっとエリーは溶岩に呑み込まれ、僕は僕を呪っただろう。
仰向けに寝転ぶ僕の手を取り、エリーはしきりに僕の頬をさすった。溶岩の飛沫を浴びた僕はあちこちに燃えてしまったらしく、今はとても調子が悪い。
「答えて、ユキ、お願いだから……」
しゃくり上げるように鼻を詰まらせ、えぐえぐと喉を鳴らして、エリーが僕の胸に覆い被さってくる。その重さが心地よくて、気分だけは良くなった。全身の痛みが遠のき、フワフワとして、そう、フローターになって宙を漂っているみたいに穏やかな気分。
「嫌よ、ユキッ、駄目!」
なのに目を閉じようとすると、エリーがペシペシと僕の頬を叩く。
「目を開けて! 返事をして!」
そうしたいけれど、僕はもう声を出せない。身体のどこにも力が入らなくて、本当はエリーの声だってよく聞こえていないんだ。かろうじて開いている瞳に、そこにある風景が映り込んでいるだけ。
ヘクターたちはもう脱出しただろうか。そして僕たちのことを諦めてくれただろうか。
わからない。僕は何もわからない。
エリーは以前に僕と同じ部隊にいたのだと言った。司令部直属だったかな?
その頃のことを思い出してみようとしたけれど、それを考えていたら急に目の前が暗くなってきて、僕はもう考えるのをやめていた。
だってエリーはここにいるのだし、もういいじゃないか、自分のことなんて。
「ユキ……」
遠くでエリーの声がする。
「私、出口を目指してみる」
少し怒ったような声。きっと勝手な僕に腹を立てているんだろう。それでいい。僕だってエリーが勝手に手を放したときは酷く腹が立ったのだから。
でも、自棄になってはいけない。後先考えずに無茶をすると僕のように酷い目に遭う。エリーは冷静になって、生き延びる道を探さなくては。
「待ってて。そしたら、必ず助けを連れて戻ってくるから」
その言葉に僕はすっかり呆れてしまう。
助けを呼んでくるって? 自分で動くこともできない僕のために?
嬉しいけど、それは無理だと思うな、エリー。人命救助なんて、あり得ない話。
「いいえ。やってみせるわ。掟なんか何だって言うの? 誰だって、生まれたときからそんなものに縛れていたわけじゃない。こんな世界で生きているうちに、いつの間にか染みついてしまったというだけでしょう? 押しつけられた掟なんかじゃなく、人間はもっと別に従うべきものを持っているはずよ」
それでも掟は大切なんだ。それに従っていたから、僕たちは今まで生き延びることができたのだし、掟はこの世界で生きる者の作法みたいなものだから。
「掟を受け入れて自分を捨てれば生き延びることはできるのかもしれない。みんなそうしているし、それをやめろとは言わないわ。……でも、そういうことじゃないでしょう? 人はいつでも満たされたいの。その場しのぎで生き延びても、掟に従ってるだけじゃ、いつか何もかも失ってしまう。本当はみんなわかっているはずよ。大切なものを失いたくない、そのために掟を拒むのは間違いじゃないって」
───大切なもの?
「あなたを助けたら、司令部の卑劣な行為を告発するわ。いいえ、告発すると脅してでも救助隊を連れてこさせる。なりふり構っていられないの。人の命がかかっているのよ!」
人の命。君がそれを言うのかい? エリー。
「私が言えた義理じゃないのはわかってる。マクシムやレイモンたちを見捨てておいて、本当に自分勝手よね。私は流血に手を染めた、裁かれるべき人間。でもだからって、何もかも諦めたくない。こんな我がまま許されるはずはないけど、……私はまだ、人でありたいと思うから」
懺悔するようにエリーは言う。でも、ここにはそれを聞き届けてくれる存在がいない。
神父でもいたらいいのにと思うけれど、こんなときでも僕は神父になれない。
やっぱり僕たちがすがれるのは掟くらいのものなんだ。
「……誰だって、命を大切に思うのは当然のことよね? それを失いたくないと思うのは何もおかしな話じゃない。苦しんでいる人を助けたいと思うのは人間の本質なのよ。どんなに勝手だと思われても、それは絶対に間違ってない。そうよ、正しいことをするんですもの。きっと手を貸してくれる人はいる」
───だって、それが人の良心でしょう?
神様でも問い質しているみたいなエリーの叫び。それは、無垢な子供が初めて世界に悪意を感じ取ってしまったときの一途な想いと等価だった。
まるでそうあることを強いるように、エリーは人の善良を信じている。
そうあって欲しい。そうあるべきだ。信じる者は救われる。善なる者に救済を!
でもそれは違うと僕は思う。
誰かに助けを求めるなんて無駄なことだ。応えてくれる人間はいない。
どんなふうに説明したって、やっぱり掟破りは罰せられるのだし、役に立たない人間を助けるのは悪だ。
死にかけの役立たずは早々に処分してあげましょう。
それがこの世界の良心。
僕たちはみんな、真っ当な良心を育むことさえできなかった子供なのだ。
「死んでは駄目よ」
エリーは言った。
何かを決意した力強い声。
それはもう僕に向かっている言葉ではなかったのかもしれない。
「───今度こそ、私は本当の価値を稼いでみせる」

次第に遠ざかっていくエリーの足音を聞きながら、僕は必死になって身体を起こそうとする。でもそれは仰向けがうつ伏せになるだけの虚しい行為にすぎなかった。
平衡感覚は失われ視界が定まらず、自分がどういう状態にあるのか、僕にはもうよくわからなかった。意識は途切れがちで時間の感覚も麻痺している。ただ、とても寒い。
……これが死ぬということなの?
エリーは死なずに済んだのだから、またここに戻ってくるなんて、そんな馬鹿な真似はやめて欲しい。僕のことなんか早く忘れて、何が何でも生き延びるべきだ。そうして人の価値を踏みにじる悪の司令部なんかをヒーローみたいにとっちめてくれたらいい。
そうだ。とりあえずあの憎たらしいヘクターを吊し上げよう。それから、こんな仕事もそれに従事する人間も、世の中から全部駆逐してしまおう。
掟に縛られ人の在り方を忘れた獣どもを許しては駄目だ。
何も知らずに爆破されたマクシムの仇を討て。
呪詛を残したレイモンの魂を救ってみせろ。
僕らに希望を、従うに足る良心を。
だからお願いだ、エリー。
そう思いながら、僕はいつの間にか気を失っていた。

                    *

洞窟は最期の時を迎えていた。
意識を失い、図らずも体力を回復することができた僕は、再び目を開けたとき、頭上で破裂するエリーの姿を見るはめになった。
空から降ってきたのは星でもなければ雪でもなかった。
今、僕の頬を叩き伝い滴り流れ落ちているもの。それはエリーの涙。そして温かい血液であり、エリーの皮膚であったものやその中身。
これが、エリーが問い質そうとした世界の答えだった。
ぼたぼたと重く降り注いで、しっとりと地面を潤していくエリーの良心を横目に、僕はようやく忘れていた自分を取り戻すことができた。
───罰なのかもしれない。
そう思った。生き延びて欲しいと思いながら、やっぱりどこかでエリーが戻ってきてくれることを願わずにいられなかった身勝手な僕に対する、これは罰だ。
エリーは僕のかわりに死んだのだろう。
交換した発信機は僕をエリーにし、エリーを僕にした。
もともと爆破されるはずだった僕は予定どおりに爆破されてエリーは死んだけれど、自分の頭上でカウントが始まったとき、エリーはきっと驚愕したに違いない。
すべての計画がつまずいたのだ。
そうして、すべてを悟り、諦め、最後に僕のところに戻ってきてくれた。
今の僕には、エリーの考えていたことが手に取るようにわかる。
エリーの言葉がただの理想ではなかったこと、それを実現するために自分がなすべき行動を瞬時に導き出したその鋭敏な頭脳。
───あなたを死なせたくないの。
無垢とも思えるその決意に秘められた怜悧を知り、僕はひたすら戦慄する。

エリーは強制ボンバーの実行システムを熟知していた。
一般に知られていることではないが、基地に設置されたモニターにはミッション参加者の位置が常にマーカーで表示されるようになっている。
クロックに内蔵された発信機がそれを伝え、オペレーターは爆破対象が目的のポイントに達した時点で起爆スイッチを入れることになるわけだけれど、このマーカーはすべて同形表示であるため、どのマーカーが誰を示しているのかということまではわからない。
爆弾なんてどれでも一緒で、個々の識別は必要ないというわけだ。
それゆえ、起爆スイッチもボンバー各個に設定されているのではなく、ある特殊なスタイルをとっている。それは、送られてくる信号をより視覚的な情報に変換し、画面上であらゆるコマンドを精密に実行することを可能にしたシステム───つまり、早い話がボンバーを実行するボタンというのはコンソール上に一つしかない。オペレーターの作業は、モニター上を歩き回るターゲットにカーソルを合わせてボンバーの実行ボタンを押す。それだけだ。
画面を見ながら的確にボンバーを実行していくオペレーターは、まるきりゲーム感覚でいるのかもしれない。しかし、そうでなければ、確実に人を殺してしまうボタンを押すことなんてできないだろう。モニター上で個人を識別しないのも、起爆スイッチを各個に設定していないのも、ボンバーをゲームのコマとして扱うことで、オペレーターにためらいを持たせないための措置なのだ。
そう、ゲームのように画面上だけの出来事だと思い込めるからこそ、強制ボンバーなんて非人道的な発想が生まれてくる。
しかし、この特殊なシステムのおかげでエリーは思いついたプランを実行に移すことができた。
エリーと僕、お互いのクロックを交換するという極めて簡単な方法がそれだった。
マーカーは同形表示と言ったけれど、もちろんそれはボンバーに限ったことであり、エリーやヘクターたちのように生存を目的としている者のマーカーは、きちんと区別されて表示される。信号のパターンが異なるのだ。だから、クロックさえ交換してしまえば、少なくともモニター上では僕はエリーになり、エリーは僕になることができる。
クロックを交換し、一時的にでもオペレーターの目を欺くこと。僕の爆破を阻止しようとするなら、それが最上の判断だろう。
もちろん発信機を捨てるのは得策ではない。
絶えず自分の位置をモニター上に晒すことになる発信機だけれど、これは僕たちを縛りつける鎖であると同時に命をつなぐ装置でもある。エリーはそれも知っていた。
発信機は装着した者の脈拍と連動しており、それが外されると発信される信号のパターンが変化する。
この信号パターンの変化は『対象の死亡』を意味し、それは単にモニター上の死だけに留まらない。ボンバーのクロックが外されてからある程度の時間が経過すると、仕込まれた起爆装置が自動的に作動する仕組みになっている。カウントが始まればもう解除する手だてはなく、発信機を捨てて逃亡を図ることは事実上不可能。
モニター上の死は現実の死とイコールだ。
強制ボンバーに選ばれた人間は、決定的に死ぬ。たとえミッションを生き延びて上手く脱出できたとしても、出口に待っているのは保護と名目された身柄の拘束であり、狭い部屋に閉じこめられたあとは機密保持のためと言って薬漬けにされたあげく記憶を奪われる。そして再度、歩く爆薬としてリサイクル。
そんな運命にあった僕を救うためには、自分の立場とそっくり入れ替えてしまうしかない───エリーはそう考えた。

自棄になって無謀な賭けに挑むエリーではない。もちろんエリーには勝算があった。
救助隊を連れてくるというくだりは願望にすぎなかったのかもしれないけれど、少なくとも、僕が爆破を免れ、エリーが洞窟を脱出する───それ自体は不可能ではないと確信していたに違いない。
僕とエリーの立場で最大の違いとなるのは、強制ボンバーに選ばれた者と生存が約束された者というその一点だった。
発信機を交換したことで僕はエリーになった。強制ボンバーの対象ではないエリーの立場を得た僕が爆破されることはない。逆に、僕のクロックを身につけたエリーは、モニター上爆破対象になったわけだけれど、いくらオペレーターが実行コマンドを試みても、もともとボンバー装備を持たないエリーを爆破することはできない。
強制爆破がない以上、僕が勝手に死んでしまわなければ救出の望みも皆無ではない。
そう計算した上で、エリーは脱出口を目指すことにした。
僕に助けを連れてくると言い残して。
他に方法がなかったとはいえ、とても完璧とは言い難いプランだ。不安要素はいくらでもある。それでも、あの状況で試してみるくらいの価値は備えていたのだろう。
事実、僕はまだ生きている。
しかし、エリーは一つだけ読み誤っていた。
それは悲しいくらい、根本的な勘違い。
いや、コード:ハルマゲドンの実体と並んで司令部でも最高レベルの機密なのだから、それを指摘するのは酷だろうか。
知らなくて当然。予測なんてできるわけがない。
一般的なボンバー用の爆弾は基地で支給される装備の一つだし、強制ボンバーのそれだって、知らずに持たされるだけで、やっぱり基地で与えられる物───そう考えるのはしごく真っ当な推測であり、今回、生存目的の要員として投入されたエリーが、自分は爆弾を持たされていないと、そう思い込んだってそれはもちろん仕方のないこと。
でも僕たちと同じように、エリーにだってちゃんと爆弾は仕掛けられていた。
だから僕になったエリーは僕のかわりに爆破されて死んだ。
それが事実。
───どうして? カウンターが始動するのを見て、エリーはそう思っただろう。
自分にまで爆弾が仕掛けられているなんて聞いてない。妙な装備を与えられたりそれを身に着けた記憶もない。あり得ない! エリーはそう思ったかも知れないけれど、僕だって同じだ。きっとマクシムやレイモンたちだって。
自爆を覚悟している突撃隊でもあるまいし、のうのうと爆弾を仕込まれるような間抜けな僕たちじゃない。いくら強制ボンバーと言ったって、悟られずに爆弾を持たせることなんてできるはずがないのだ。
けれどレイモンもマクシムも、それからエリーも、みんな呆気なく爆破されてしまった。この事実が示すのは、やっぱりどこかに爆弾は仕込まれてたってことだ。
───でも、いったいどこに?
支給されたクロック?
違う。クロックを外しても爆破は免れない。
それじゃあ、身体の中にでも埋め込まれてたってのか?
それも違う。この仕事に参加している戦士全員にそんな手術を施してる余裕はない。
だったら───。

僕たちの身体そのものが爆弾なんだ。最初から。

絶えず代謝を繰り返している僕たちの細胞、生まれてきた命、肉体そのものが現在爆薬として利用されている。僕たちの体内にはそもそも炸裂の要因となる物質がふんだんに内包されており、司令部によるボンバーの実行とはその因子を解放する行為にすぎない。
すべては司令部の研究の成果だった。
炸裂因子はすべからく平等に、万人が生まれながらにして備え持っている。
僕もエリーもゴメスもマクシムもレイモンも、もちろんヘクターや司令部上層にいる人間たちだって、間違いなくボタン一つで爆破される馬鹿な身体に生まれついている。こんな仕事とは何の関わりも持たない善良なる世界中の人々、家で誰かの帰りを待っている母や妻、父に夫、あらゆる家族、世界のどこかで今ちょうど生まれてきたばかりの赤ん坊だって、いつドカンとなる運命とも限らない。
人の命は等価であり、誰もその事実から逃れることはできないのだ。
それは爆発的な繁殖能力を有する僕たち人間という種に与えられた生命の抑制装置であるのかも知れないし、あるいはただの欠陥なのかも知れない。
いずれにしても、この世界の人間はみんな平等に呪われている。
───オゥ、ノウ! まさかこの身体が爆弾になるなんて!

こんな事実、すでにシークレットなんてレベルで扱えるものじゃない。一部の人間が独占していいような物事ではないのだ。
しかし、現在この事実を知っているのは司令部の中でも限られた数人のみ。
人類の存亡に関わる極めて重大な懸案、『生体炸裂理論』はその技術的側面も含めて司令部上層によって独占隠匿されているのが現状だ。
しかも、彼らはこの大発見をもってして、もっぱら爆弾の代用品くらいのアイディアしか持ち得ない愚か者だ。
コード:ハルマゲドンの実体とは、すなわち生存者の強制爆破であり、強制ボンバーも含めて、この技術が世界にもたらした、まさに悪夢。
最悪───と言っていいだろう。
このまま放置しておけば、これからの世界がどうなるか知れたものではない。
彼らがその気になれば、世界中の人間を誰でも自由に爆破することができるのだし、それを使ってあらゆる交渉を持ちかけることも、望むなら世界の支配者の座に着くことさえ容易なのだ。

───なんてことだ。
僕は思った。取り戻した記憶に含まれていた究極の絶望。それが脳裏に展開するにつれ、今死のうとしている自分の身体を呪いたくなる。
こんなにもおぞましい事実を知りながら、僕はそれを誰にも伝えることができない。
……エリー。
君が生きていたらどんなによかっただろう。
僕の知っていることを伝えれば、きっとエリーは行動を起こしたに違いない。強制爆破システムをこの世から消滅させ、エリーは救世主になったかもしれない。爆弾としての生を受けた忌むべき人類に、もっと別の可能性を示唆してくれたのかもしれない。
けれどエリーは死んでしまった。
そんな指示を出した司令部が憎い。ためらいもせずボタンを押したオペレーターの指先が憎い。僕を助けるためにクロックを交換したエリーの親切や愚かさだって。
───もうすべてが手遅れだ。
そう悟ったとき、僕は自分がまだ生きていることに今更のように思い至った。
エリーが与えてくれた僕の命は、まだ尽きることなく長らえている。
司令部はエリーの能力を惜しみ、エリーになった僕の爆破をためらっているのだ。

命を削って価値を稼ぐのが人間よ。

そのとき僕は力強く語りかけるエリーの声を聞いた。
それはいつか僕がエリーに言った言葉。
エリーを死なせてしまった僕は、その罪を償わなければならない。エリーのかわりに生きて延びて司令部なんかをやっつけたら、きっと僕の罪は許されるだろう。
それこそが僕の求めた安らかなる救済であり、課せられた使命。
エリーのかわりに生きる。役目を果たす。
僕はまだ、自分の価値を稼ぐことができる。
エリーもそれを望んでいる!
きっと、どこかにいるはずの神様だって。

……いや、そんなことはないのか。
崩れゆく洞窟とともに、僕は僕の頭上でアラビア数字が回転し始めたのを見る。
たった今、僕のカウンターが始動した。
ハルマゲドンが実行されなくても、リミットを迎えれば必ずこうなる。
知識としては知っていても、実際目の当たりにすると酷く馬鹿げていると思う。
僕はもともと司令部の人間だった。だからエリーも知らないような機密事項をずいぶん詳しく知っていた。思い出すのが遅すぎて、間抜けな僕には何もできない。
エリーのことも思い出した。仕事の話ばかりで、あまり親切にしてあげられなかったと思う。そういえば、いつか雪の話をしてあげたことがあった。つまらない話。でも、それくらいしか普通のおしゃべりをした記憶がない。
なのにエリーはよく覚えていたものだと思う。
頭上でカウントが進んでいくのを確かめながら、僕はやっぱりうんざりする。
僕は能なしヘクターと何も変わらない。
モニターに映し出されるマーカーが個人を識別しないように、僕たちは自分の価値なんて持ち得ない。役割を見つけることもできず、ただ与えられるのを待っているだけの存在。なすべきことは決まっていても、やるべき人間は誰だっていい。ボンバーになって道を切り開くのも、馬鹿な司令部にとどめを刺すのも、そのときその場所で選ばれた人間がやるべきことをやるしかない。
僕らの価値はみな同じで、モニターに映し出される淡泊な映像だけがこの世界の真実。
そこに善悪は存在せず、戦士はひたすら出口を目指して前に進む。仲間の死体を踏み越えて、怖れることを知らない僕たちは次々と罠に飛び込んでは消えていく。

僕はペロリと舌を出して、唇を濡らしているエリーの血を舐めた。
犠牲の上に存在する未来の子供たち。
きっと彼らも前へ前へと進むだろう。
人間は先に進むようにプログラムされていて、そこに運命と立ち向かえるだけの力があるのだと信じたい。
そう、戦士は死を望んで前進するのではない。人は貪欲なまでに生を望み、個の存続は種の保存よりも優先される。利己的であるがゆえ、僕たちは永遠に人であり続けることができるのだ。
ふわふわと漂い、いつも地に足のついていないような僕だったけれど、ここに来てようやく着陸地点を見つけられた気がする。
僕は僕であるのと同じようにエリーであり、画面上でもがき続ける記号のすべてにエリーの魂が宿っているなら、いつか世界は救われる。

                    *

たいざんめいどうネズミ一匹。
いかに人々が喚き騒ごうと、世界は常に平静である。
生と死の水際で眼前に展開される光景はまるで喜劇だ。
それでも───。
冗談みたいに膨らんでいく僕のお腹に詰まっているもの。それがエリーと同じだったら、きっとどんなに素晴らしく、僕はためらうことなく死ねるだろう。

                    *


「タイムオーバー。生存者自爆。ミッション終了。ノルマ40%。脱出率50%。
ミッションクリア。次のステージへ進みます」
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Lemmingology#2:We All Fall Down(1/2)
                    *

そのとき、背後で爆音が轟いた。
緩やかな振動。
赤黒い壁面に亀裂が走り、剥離した岩盤が燃えるスープの中に沈んでゆく。
最期の時が来たのだ。
各所に深手を負った洞窟は、すでに崩壊を始めている。
ひび割れの隙間から吹き出すガスは、痛みに悶える怪物の悲鳴だった。
この最低の悪魔は、今まさに死のうとしている。
しかし、なんという浅ましさだろう。
あまたの勇者を呑み干した灼熱の沼、貪欲な悪魔は死の間際に至ってなお新たな贄を求め続けた。そしてついに満たされることなく、己もろとも喰らい尽くそうというのか。
無慈悲にも遺体すら残されなかった仲間たちの墓所。神聖なその場所に一人残され、悪魔が晒した惨めな最期に臨む段になっても、僕の身体のどの部分からも勝利の喜びはこぼれなかった。嘲りの笑みさえありはしない。
地面に突っ伏し澱んだ空気を吸い込んでいるうち、すぅっと意識が遠のいた。体を動かす力はずいぶん前から失われている。
残っているのはわずかな時間。こんなときになっても、僕の記憶は戻ってこない。
僕はどうすればいい?
「……エリー」
焼け爛れめくれあがった唇を動かすと、鼻の奥から粘った液体が流れ込んで、じんわりと舌の上に広がった。ほのかに温かくて、鉄の味がする。
やはり、このミッションは呪われていたのだ。
転がるようにして仰向けになると、彼方に天井が抜け落ちるのが見えた。岩石は音もなく迫り、僕の右側をかすめて溶岩の中に落ちる。細かく砕けた岩の破片が、ところかまわずに降り注いだ。
目に映る光景はひどくダイナミックなのに、僕の周りはとても静かだった。
抜けた天井を見上げると、そこには洞窟の壁面よりもずっと深く澄んだ色の空間がのぞいていて、彼方にいくつも星が瞬いている。あれは、夜空だろうか。
薄れていく意識の片隅で、僕は星が降るのを見た。ふわふわと揺れながら、小さな星はゆっくりと僕に向かって落ちてくる。軽やかに宙を舞って、少しためらいがちに、でもそれはだんだん大きくなって、確かに僕に近づいてくる。
二、三度呼吸すると、不思議な冷気が胸を満たした。次第に指先の感覚が失われていくのを確かめながら、干からびてしまった両眼を、僕は労るように瞼で包む。
暗い。寒い。真っ暗だ。エリー。
僕は死ぬのだろうか。迫ってくるあの星に押しつぶされて。
ぽたり。
突っ張っていた頬に何か柔らかいものが触れて、僕はようやくそれに気がつく。
───ああ、星じゃない。
きっとこれが雪なんだ。
「ユキッ」
僕の意識は僕よりもずっと上空にあって、僕は僕と僕の身体の間でその声を聞く。
懐かしい声。
かわいいエリー。
フローター・エレイン。
どうして戻って来たりなんかするんだ。
僕がもう一度だけ目を開けると、ちょうどエリーが僕の頭上で破裂した。
パンっ!!
「エリーーーィッ」
僕は力の限り叫んだけれど、僕にはもう自分の声を聞くことができなかった。
エリーの時間は尽きたのだ。そうして、もうすぐ僕の時間も。
あとはもう、ただの暗闇。
いったい、僕の記憶はどこに行ったのだろう───。


───こいつが?
『あの天才フローターだって?』
頭の奥で声がする。
『酷いもんだな。見る影もないじゃないか』
嘲笑のこもった陰湿な声。
『自業自得だ。人より少し上手く飛べるくらいで図に乗りおって』
がっしりとした体躯の男。誰だろう? これは。
『哀れだなぁ。本当に何も覚えておらんのか?』
断続的なフラッシュバック。場面は途切れがちに流れていく。
『何? それは駄目だ。我が隊に残すことはできんよ。置いておく理由がない。無論、こんな役立たずは、どこに行っても足手まといだろうがな』
くくく。
『まあ、すがって頼めばなんとかしてやらんこともない』
憐憫を装った侮蔑が、死にかけていた僕の神経を起こして回る。霧が晴れるように、かすんでいた光景が色を持った。
これはほんの数ヶ月前、まだ新しい僕の記憶だ。
『おい、ちゃんと聞こえているのか? んん?』
薄暗い小部屋。
第8大隊司令官ヘクターは蔑むような眼差しで僕を罵っていた。その嬌声に怯えるふうでもなく、僕はひどく上の空で、ひたすら胡乱な表情を浮かべている。赤ん坊のように抵抗するすべを持たない、記憶をなくしたばかりの僕。
『貴様、返事をしろといっているんだ! この、腑抜け野郎ッ』
突然、ヘクターの右手が飛んできた。鉄拳制裁。
その拳をまともに喰らい、僕は大きく左後方にのけぞった。
ヘクターが満足そうに見下ろすのを確かめ、僕は素早く体勢を立て直おして思い切り上司のみぞおちに蹴りを入れる。条理を脅かされた生命の反射だ。
一撃必殺。ヘクターの喉からネズミが潰れたときみたいな音が漏れた。ゆるゆると崩れ落ちるところを狙って、顔面に膝。倒れた後は脇腹に三発、側頭部に二発。まだまだまだまだ、モアアンドモア。
気がつくとヘクターは色々なものを垂らしっぱなしで、ずいぶん情けない格好で床にうずくまっていた。
あの時はわからなかったけれど、どうしてそんな暴力を振るったのか、今はわかる。
僕はあまりに多くのことを忘れすぎた。過酷な任務に対する自信や誇り、不意な理不尽に対する憤りも。
記憶は高速でリプレイされ、色々なことが頭に浮かぶ。
任務中に大怪我をして記憶をなくした僕は、尊大で傲慢で臆病な便所虫ヘクターをリタイヤさせたおかげで二日後には最前線の小部隊に配属されることになった。
日当稼ぎの消耗部隊。
生存率が異常に低いかわりに、報酬だけはべらぼうに高い。二、三ミッションをこなして地上に戻ったら、数年はどんな大家族だって養えるだろう。
過酷な任務を生き抜いたのか、任務が僕を生かしたのか、ともかく僕はそこでひたすら学び直して、掃き溜めの便所虫くらいにはマシになった。そう。今回、この呪われたミッションに参加できるくらいにはマシになったのだ。
それが今の僕のすべて。他には何もない。僕は間抜けだった。
過去を見限り己を取り戻す努力を放棄したくせに、けれどやっぱりどこかでそれを頼りにしているようなところがあって───そう、言ってしまうなら僕は、自身の不遇とかつての自分とに終始甘え続けていたのだろう。浮上するたびに打ち消していた夢想とはいえ、安らかなる救済、それはいつか必ず何らかの形でもって僕のもとに訪れる───そうひとり頑なに信じていた。
僕の本来はすっかり過去の中に閉じこめられ、今の僕は僕であって僕でない。
そんなふうだから、僕は未だに自分の価値を見いだせないでいる。失ったものに固執し、得られる経験を自分の価値に換えることができなかった。
今の僕はこれ以上自分の価値を稼ぐことができない。
そういう人間はただもう死んでいけばいいと思う。
それで充分だろう。
記憶をなくしてからの僕は、人生の何たるかなんてことを考える面倒からすっかり解放されていたのだし、それはいくらか人よりもラッキィなことのように思える。
生きるのに不自由を感じないなら、無理に何かを求めることはない。だから昔のことだって思い出さなくてもいいと思う。僕は僕のままで死んだらいい。
ただ、今際のきわに見た光景がエリーの花火だったってのが残念だ。
どうしてエリーは戻ってきたりしたのだろう。
可哀想なエリー。
間抜けなエリー。
良心なんてもの、誰も省みたりはしないのに。
せめて僕が破片を集めて捨ててあげよう。

そんなふうに考えて、僕はようやく全部思い出すことができたのだ。


                   *

「あなた、気は確か?」
怒気を含んだ息を吐き出して、女は引いていた僕の腕を解放する。
「あんなところでぼんやり立ち止まってるなんて、どういうつもりよ? ゴメスの意志を踏みにじる気? それとも、もう後続はいないと思った?」
「ゴメス?」
僕はつぶやく。エコーみたいに、僕は同じことを繰り返すことしかできない。
「そう。彼が先鋒を引き受けてくれたから───」言って女は胸の前で十字を切る。「あなた……」振り向き、僕を眺めて言葉を止めた。
「いいえ、説明の必要はないわね。あなた、名前は?」
女は鋭い眼差しで僕を睨む。
でも、僕には名前がない。どこかでなくしてしまったのか、そもそも最初からなかったのか、それもよくわからない。僕は前にいる誰かの後ろについていくだけの、ただの金魚の糞だから。
「驚いた。まさか、記憶がないっていうのは本当なの?」
ひとりごとのようにつぶやき、女は僕の服の右袖を軽くはたいた。ぱらぱらと乾いた泥が落ちて、下から青と緑のマーキングが現れる。それを確認すると、彼女は怪訝そうに眉をひそめた。
「私はエレイン。エリーで良いわ」
ぐずぐずしていられない急ぎましょう、と言ってエリーは洞窟の奥へと駆け出した。あわてて僕は追いすがる。しばらく走っても洞窟はずっと同じような風景で、つまらない。
「……おかしい。みんなどこまで進んだの?」
エリーがまたひとりごとを言った。
「みんな?」
僕は繰り返す。
「ええ、先に奥に向かった部隊。別ルートはなかったはずだけど……」
エリーは少しだけ逡巡したようだったけれど、「ともかく、進むしかないわね」と言って歩き出した。
「エリー、待って」呼び止めてもエリーは振り向かない。だから僕は問いかける。
「ねえ、エリー。それでゴメスはどうなったの?」
すると、それまで軽快に地面を蹴っていたエリーの足が止まった。訝るように振り返り、じっと僕を観察するエリー。
「それ、冗談で言ってるわけじゃないのね?」
僕はうなずく。僕は冗談なんて言えないから。
「知らない方がいい」
でも知りたいんだと僕は言った。ゴメスはずっと僕の前にいた人で、だから僕はずっとゴメスの後ろにいたかったのに。
「彼はもう戻らないわ」
僕の前を歩きながらエリーが言う。
「死んだの?」
エリーの肩が小さく震えた。
「そうよ。後続を逃がすために、プレスマシンをたった一人で支えたんだもの」
声もかすかに震えている。きっとエリーは悲しいのだ。
「覚えているかしら? あなた、そこでぼんやり立ち止まっていたのよ」
だから、エリーにあなた気は確か? って僕は言われても仕方がないのかも知れない。
皮肉を言われているのはわかったけれど、僕には受けることも返すこともできなかった。あとから来たエリーは、そこに突っ立っている僕を見つけて僕の腕を引いてくれた。たぶん、それに意味なんてないのだろうけれど。
「……それがゴメスの意志だった」エリーは右手で自分の左肩をさする。「無事に通過した後続は早急に出口までたどり着くことが任務。わかる?」
「わかるよ」僕は答えた。
だったら、と声高に言ったエリーはその先の言葉を続けなかった。
ゴメスのかわりに僕の前に現れたエリーは僕をどこに連れて行ってくれるだろう。

それからしばらく二人とも黙って歩いた。洞窟は相変わらず同じような調子なのでつまらない。
「ねえ、あなた」
急に僕の方を向いてエリーが言った。怒っていると思っていたのに、また話しかけてもらえて僕は嬉しい。
「あなた、季節の中ではどれが好き?」
「季節?」なんだろう、それは。
「そう、春と夏と秋と冬。母が生まれた国にはそれがあったわ。でも、私が育ったのは父の家で、だから私、ずっと南の暖かい国にいたの。とても暑い日や日差しの強い日があって、ここは一年中夏ねって、前に母が言っていたわ」
「夏は暑いもの?」
「そう。夏は暑くて、冬は寒いものなの」
「エリーは夏が好き?」僕が言うと、エリーが少し笑った気がした。
「そうね、嫌いじゃないと思う。でも、暑い日ってあまりいい思い出がないの、私」
「寒い日は?」
「寒い日がある国に行ったことがないわ。だから本当は冬なんて知らない。でも好きよ。季節の中では一番好き。あなたは?」
エリーはどこか楽しそうに問いかける。
夏は暑い。冬は寒い。春と秋はわからない。
「僕も冬が好きだ」
その答えにエリーは優しく微笑むけれど、僕のはただのエコーだった。
「冬のとても寒い日にはね、雪が降るの。雪は知ってる?」
知らない。僕は何も知らない。
「雪は白くて冷たいものよ。柔らかくて、そっと触れないと溶けてしまう」
とても軽いのよ、きっと。エリーは嬉しそうに雪を語る。
「雪は空から降ってくる?」
僕は聞いた。どうしてそんなことを聞いたのかわからない。きっとエリーだってわからない。エリーもそれを見たことはないのだから。
「あなた、昔の記憶がないのよね」
僕には何もない。名前もない。だから記憶だってない。
「でも、覚えることはできるでしょう? ゴメスのこと、覚えられたんだから」
そう、プレスマシンを支えたゴメスはもう死んでしまったけれど。
「これからはあなたのこと、ユキって呼ぶけど、いい?」
「いいよ」
僕は答えた。

そのあとは二人きり、話もしないで歩き続けた。
エリーがどうして急に季節の話なんてのを始めたのか僕には理解できなかったけれど、僕はエリーの付けてくれた名前がとても気に入ったから、しばらくの間はそれで浮かれていることができた。雪は空から降ってくるものだ。つまらない洞窟の風景なんて見なければいい。
「いたわ」
登りの傾斜が少し緩やかになったあたりでエリーが立ち止まった。
正面の道はぷっつりと途切れ、角度のきつい崖に落ち込んでいる。どうやら谷になっているらしかったけれど、こちら側の高さはそれほどでもなかった。見下ろすと、開けた場所に数人の男たちが集まっていた。
「ユキ、降りるわよ」
エリーはためらうことなく崖を滑り降りた。僕もその後に続く。前に進むのは楽しいことだ。下までたどり着くと大柄な男が片手をあげて近寄ってきた。
「よう。無事だったか、エリー」
「おかげさまで。トラップはあのプレスマシンだけだったようね」
「今のところはな。しかし油断はできん。この回廊、少し妙だ。そいつは?」
エリーと僕を交互に見回し、男は怪訝そうに眉をひそめた。僕を見ると、みんな決まってこんな顔をする。
「一緒に基地を出たでしょう? ゴメス隊の生存者。そこで合流したの。ユキよ」
名前を呼ばれて僕はうなずく。僕はユキだ。お前は誰だ。そう思っていると、男は「そうか」とだけ言って、他の男たちの方に戻り始めた。
男の後ろにエリーが続き、僕はその後に付いていく。
「それで、マクシム。こんなところでみんな仲良く立ち往生なんて、ずいぶん余裕ね。のんびりキャンプでも始めるつもり?」
そんなことを言うエリーを見やって、男は大げさに首を振る。
「皮肉はよしてくれ。プレスマシンのせいで人員が足りないんだ。バッシャーもなしで、みんな苛ついてる。あれを見ろよ」
言いながら男は顎をしゃくった。僕たちの正面には垂直に切り立った巨大な壁がそびえている。光量が足りないせいか、頂は見えなかった。後方、さっき僕たちが下ってきた崖なんて比較にならない。周囲に集まった男たちはすがるような目をして先頭を進む男───マクシムを見つめている。
「みんな聞いてくれ。ここを全員で登るのは無理だ。フローター装備も限られているし、強行策を採るにはリスクが大きすぎる」言い聞かせるようにマクシムが言う。「少し戻って迂回路を探すか、あるいは───」
「そんなもの、なかったわ」
断言するエリーに周囲のみんなが注目した。
「それに、今から戻って時間のロスにならないと誰か保証できるの?」
「それは……」
ミッションには保証とか保険とかそういうものはない。
みんな黙ってエリーから視線を逸らした。
「やはりクライマーが先行して様子を見てくるしかないようだな。可能ならそのままルート確保を目指す」マクシムは忌々しそうに険しい崖を見上げ、「最低限二人、できれば三人欲しいところだ。フローター経験のあることが条件だな。志願者は?」
「私が行くわ」
最初に声をあげたのはエリーだった。その後は続かない。みんな押し黙って、お互いに目を合わせないよう気を付けているみたいだった。
しばらく様子を見てからマクシムが少し苛立ったような声で言う。
「……俺も行くとして、あと一人だ。いなければ構わん。俺とエリーで行く」
みんながお互いに顔を見合わせているうちに、エリーはてくてくと奥に進んでさっそく岩壁に手をかけようとしていた。僕はあわててエリーの後を追う。
「僕も行く」
そう言うとマクシムが少し驚いたふうに僕を見たけれど、エリーは微笑んで手招きをしてくれた。
「よし。居残り組は付近に抜け道がないかもう一度よく探してくれ。それから、クライマー隊のルート確保が不可能と判断された場合は、レイモンの指示に従うように。いいか、今回は装備が少ない。くれぐれも無茶はするな。……俺からは以上だ」
マクシムは言い残して壁に取り付く。敬礼はない。ここは軍隊ではないし、いるのはみんな命知らずの勇者ばかりだから。



「おい、お前、ユキとか言ったか」
僕たちが壁を登りはじめて下の連中がずいぶん小さく見えるようになった頃、追いついてきたマクシムが僕を呼んだ。エリーは僕の少し上を登っていて、頂上はまだ見えない。僕は気にしないようにしていたけれど、三人ともずいぶん疲労がたまっている。
「お前、さっきから手元が危なっかしいぞ。まさかクライマーが初めてってことはないだろうが、ちゃんとフローターの経験もあるんだろうな?」
さあ? 僕にそんな経験があるのだろうか。
「そのはずよ」
答えたのはエリーだった。僕のとなりにまで追いついたマクシムはどこか不思議そうにエリーを見上げている。
「大丈夫よ、マクシム。この先にオーバーハングはないと思う。別ルートもなし、バッシャーもなしなら、ここが正解」
頭上から確信に満ちたエリーの声。
「ああ。……だといいんだが」
どうしてフローターの経験が必要なんだろう?
僕が訊ねると、マクシムは呆れたように眉根を寄せた。
「壁面の頂上がせり出しているかもしれないからよ」
答えてくれたのはやっぱりエリーだ。
「呆れたな。こいつ、何も知らないのか?」
「忘れているだけよ。それにね、ユキ。クライマーには命綱がないでしょ。もし手を滑らせて墜落しても、フローターなら生き延びるこができる」
その解答にマクシムは不満の声。
「おいおい、フローター・エレインともあろう者が、ずいぶん消極的な発言じゃないか。確かお前、先に進むためのフライトしかしたくないってんじゃなかったのか?」
「そうよ。転ばぬ先の杖なんてまっぴら。でも勘違いしないで。専門部隊でもない限り、フローターの役目は後続のためのルート確保が最優先なの。そのための保身は恥じるようなことじゃない」
「ヒロイックだな。だが、誉めてくれる奴はいない」
「承知の上よ。ただ、穴の底で救出を待ってるよりはずっとマシ。だからクライマーに志願したの」
「言ってくれるぜ。残った奴らは臆病者か?」
「そうじゃないわ。誰かを犠牲にしてでも生き延びること、それが私たちの掟だもの。無茶をして全滅するより、安全なルートができるのを待つほうが確実。彼らは私たちより少し賢いってだけよ」
「なるほど。物は言いようだ。それを聞いたら、あいつらもさぞ喜ぶことだろうよ!」
これ見よがしに声を張り上げるマクシムに、エリーは少し辟易している。
「やけに絡むわね。どうかしたの? マクシム」
「なあに、とんだ笑い話だと思ってな」
なぁ、と言ってマクシムは僕の方に顔を向けた。歪んだ口元には自虐的な笑みが浮かんでいる。
「あいつらは賢い。すると俺たち三人は、今回一番の馬鹿だってわけだ」
「違うと思うの?」
エリーは振り向かずに言う。マクシムは少し黙った。そう、僕らは三人そろって馬鹿のあつまりで、似たもの同士の仲間なのだ。そう思うと、少し嬉しかった。
「フン、まあな。だが俺はお前ほど割り切れてない。残った奴らを疎ましく思う。そりゃ頭数が多い方が有利だし、ここを登るのが正解だって保証もないんだ。奴らの判断は正当だよ。だが、それは臆病者の判断だろ? 俺は、……いや、同じか。正直言えば俺も残りたかったんだろうな。……他に志願する奴がいたら、俺は、そうしていたかもしれん」
「それなら今からでもそうするといいわ。ここから先は私とユキで行く」
「こいつと? ハッ、こんな足下もおぼつかないような奴と二人で何ができる」
苦笑するマクシムを見て、僕は血まみれヘクターを連想する。
「エリー。英雄気取りも大概にしないと、いつか足下をすくわれるぞ。ここじゃ仲間の死体を踏み越えていける臆病者が生き残るんだ」
「そうね。でも、私は構わないわ」
エリーは言った。
希望を断ち切るような絶壁はまだまだ上へと続いている。先は真っ暗。目に入る汗を拭うこともできないまま、僕たちは延々と壁を登った。疲労はすでに限界を迎え、容赦のない闇はそろそろ人の後悔を誘ってもおかしくなかった。
「なあ、エリー」
いつまでも終わらない石の壁に汗と苛立ちをぶつけながら、マクシムは登る。
「エリー。俺は馬鹿かもしれんが、お人好しじゃない。お前だってそのはずだ。他人を犠牲にしてでも任務を果たすべきだと思ってる。だったらもし、もしもだ。他の奴らがお前よりも先にクライマーに志願していたら───」
「私は、私の判断に従うだけよ。道がなければ造ってでも進む、それが掟でしょう?」
「掟のことじゃない。お前の気持ちを聞いているんだ。エリー、教えてくれ。誰かの善意に期待するのは卑怯なことか? 怖じ気づいてためらうことが悪か? お前は、お前は少しでも人に恐怖を押しつけたいと思ったことはないのか?」
「ないわね」
エリーは正しい。その潔さにマクシムが少しひるんだように見えた。
「知ってる? 恐怖は克服しない限り誰かに押しつけたってなくならないのよ。あなた勘違いしているわ」
ためらうことなく、エリーは終わらない石の壁を登り続ける。
「私、エゴイストなのよ。他人の思惑にまで気を回せないし、誰かの善意が私を助けてくれるとも思ってない。だから誰かが先に志願したとしても、私はここを登ったと思う。それからね、マクシム───」
そこで言葉を切って、初めてエリーはマクシムを見た。
「良心に従うのをためらうことは、悪よ」
「……エリー」
僕は思う。やっぱりマクシムは馬鹿だ。エリーを守りたかったのなら、マクシムは先に一人でこの壁を登れば良かったのだ。そうして道を造ってヒーローになれば良かった。壁を登らずにエリーを待っていたマクシムにはもう、エリーを救済する資格もなければエリーにすがって甘える資格もない。
「らしくないわね。愚痴を聞かせるなんて」
エリーは優しいと僕は思う。
「ああ、そうだな。すまん。だが、嫌な感じがするんだ。妙にピリピリしていて───。このミッション、何か変だと思わないか? 具体的にこれとは言えないが、臭いというか……いや、そうじゃないな。どうやら俺が一番気にくわないのは、お前がここを登ってるってことらしい」
「……そう。見くびられたものね」
エリーは苦笑いして上空を見据えた。
「でも心配してくれているのなら、ありがとう」
いたわりの言葉も虚しく宙に消えていく。
この洞窟は死地にこそふさわしい。

                   *

長い長い垂直の道を乗り越えた僕らを待っていたのは、嘘のように平坦な大地だった。呼吸を整えるだけの短い休息をとって、僕たちはさらに奥へと進んでいく。
「おい、こりゃあ……」
しばらくしてマクシムが驚嘆混じりの声を漏らした。
「フローター装備を持ってきて正解だったみたいね」
横に並んだエリーは確かめるようにして足下を眺める。
そこには巨大な空洞が口を開けていた。頂上の見えない壁の次は底の見えない深い断崖。ここは巨大なテーブルマウンテンで、僕たちは今そのてっぺんにいる。
「かなり深いな。底が見えん」
「あれだけ登ったのだから当然よ。フローターで降下してルートを確認しましょう」
ざっと装備の点検を済ませ僕を見たエリーは「ユキ、飛べる?」と聞いた。
もちろん。僕はうなずく。
「オーケィ。AADがあるから、ある程度の速度に達した時点でキャノピィが自動開傘するわ。特に高度なテクニックはいらないと思うけど、着地でしくじらないためにも下降中は絶対に気を失わないようにして。いい?」
「わかった」
もう一度僕がうなずくと、エリーは「行くわよ」と言って大地の外へ身を投じた。
あっという間に、エリーの姿が闇の中に消えていく。
「先に行くよ、マクシム」
言い残して、僕はすぐさまエリーの後を追った。
一度重力に身を任せてしまうと、自在だった僕の身体は途端に不自由な物体になり果てた。手足は言うことを聞かなくなって常にどこかに逃げ出そうとするし、目に映る光景は絶え間なく上方に流されていく。そうやって、僕はひたすら堕ちていった。
風圧に耐えながら先行するエリーを探していると、ずいぶん下方でパッと黄色い花が咲くのが見えた。間もなく、僕の頭上でも傘が開く。大きく広がった黄色い布が存分に風を受けて僕を揺らした。
ふわふわと、僕らは闇を漂うフローター。
登るのにはあれほど苦労したというのに、降りるとなると拍子抜けするほど短い。速度が距離と時間を縮めるのだ。側面の壁にぶつからないよう気をつけながら、僕は下に地面があることを祈った。

「さすがね、ユキ」
地面に足がつくと、エリーが寄ってきて声をかけた。しばらくして、少し離れた場所にマクシムが着地する。
「どうだ? 向こうに抜けられそうな道は?」
みんなを残してきた壁の方を眺めながらマクシムが言った。
「厳しいわね。これ、ほとんど一枚岩よ。あそこに少し大きめの亀裂があるけど、どこまで続いているか……。行ってみる?」
「いや。そうしてやりたいところだが、確認している時間が惜しい。もし貫通してるようなら、奴らの方でも入り口を見つけられるはずだし、それなら少し進んで先の地形を確かめたほうがいい」
ちくしょう、と言って渋面のマクシムは地面を蹴った。
「どうして全員分のフローター装備がないんだ。バッシャーも使えない、そんな状態でこんなところに送り込むなんて、どうかしてる。残った奴らはあきらめろってことか?」
「マクシム───」慰めるようにエリーが言う。「焦らないで。私たちだけが脱出しても救出率をクリアできないのよ? きっと何か別の方法があるはず……ともかく、脱出口の確認だけでもしておきましょう」
「ああ、そうだな……」
救出率ってのはノルマのことだと前に誰かが教えてくれた。他人を犠牲にしてでも生き延びろ。それが教え込まれた掟だけれど、ノルマを達成できなければ意味がない。掟というのは習わしで、ノルマ達成は絶対条件。そういう難しい話を聞いていると、僕は頭の中をかき回されているみたいで酷くうんざりする。

「それにしても暑いな、ここは」
先細りになり始めた通路を進みながらマクシムが唸った。暑いのは夏だ。
「火山帯に近づいたのかもしれないわね。かなり深くまで潜っているはずだから」
「まったく、マグマ溜まりでもあったらたまらんな。下手なトラップよりもタチが悪い。丸焦げなんてご免だぜ、俺は。───ん? なんだ?」
低くなった天井を右手で支えるようにして、マクシムが立ち止まった。
細い通路の奥、そこは少し開けた小部屋になっていた。言い換えれば袋小路。
前方に、もう道はない。
「行き止まりだと? そんな馬鹿な」
鉄板の打ち付けられた壁に張り付いてマクシムが喚いた。エリーはぐるりと部屋を回りながら、注意深く周囲の様子を観察している。僕もそれに倣った。
洞窟の中に孤立する四角い空間。ゴツゴツとした岩肌を晒しているのは床面だけで、壁も天井も絶望的なくらい無表情な鉄板に覆われている。
視界の悪さに辟易しながらも、直角に交わる壁面の境界を縦に追っていくうち、僕は天井に妙なものを見た。あれは───。
ジェネレーター?
「おい、なぜだ? どうしてここに出口がない?」
うるさく壁を叩いていたマクシムが、半ばよろけるようにして部屋の中央に戻った。両手を掲げ、大げさなポーズ。
「なあ。ここに来るまでに別のルートがあったか?」
いや、ない。
「そうだ。間違いなくここまでは一本道だった。バッシャーが使えないんだから、新たな道を造ることだってできなかった。それなら、どうしたって道なりに進む以外に手はなかったはずだろ? そうとも、俺たちは間違っちゃいない。なのに出口がないままどん詰まりに来ちまうってのは、いったいどういう了見だよ」
大げさな身振りを交え、投げ出すようにマクシムは言う。
「それともナニか? このエリアには、そもそも出口がないってのか?」
「馬鹿なこと言わないで」部屋の隅から、たしなめるようなエリーの声。「これまで一度でも攻略不可能なミッションがあった?」
「……いや。それはそうだが、エリー」
「こっちよ」
手招きするエリーの足下には狭い縦穴があった。人ひとりがやっと抜けられるくらいの、小さな穴。
「下に空洞があるようね。深くはないわ」
「何? 横穴につながってるのか?」
目を輝かせてマクシムが寄ってくる。お調子者め。
「本当だ。いいぞ、エリー。地獄に仏とはお前のことだよ」
「よしてよ。そんな言い方」
仏というのは死人のことだ。ここは地中の牢獄で神や仏は誰かの餌食でしかない。差しのべられた慈悲の手が悪魔の罠じゃないって誰が保証できる?
狭い竪穴を抜けて下層に出ると、マクシムの歓喜は悲嘆に戻った。僕らの前に道はなく、僕らの後ろにそれはあった。薄暗い通路は延々、西の方に続いている。
「多層構造になっているのよ、この回廊」先を睨みながらエリーが言う。「方角的には逆戻りすることになるけど、進むしかないわね」
僕らは洞窟を西に進む。頭上の岩壁を一枚挟んだところには、さっき通過してきた道が横たわっているはずで、マクシムはときどき恨めしそうに天井を見上げた。
「ちくしょう、面倒なつくりをしてやがる。まるで何かの腹の中だ」
───そう。洞窟は巨大な怪物の臓腑なのだ。
マクシムはすぐに、自分の発した言葉の忌まわしさを思い知るだろう。
奥へと進むにつれ、洞窟はいよいよその複雑な構造を顕し始めた。しばらく進んでは突き当たり、縦穴を抜けてまた突き当たる。何度もそんなことを繰り返すうち、僕は頭の中でマッピングするのをやめていた。
自分が今どこにいるかなんてこと、本当は知っていたってどうにもならない。

洞窟はうねうねとこんがらかって、僕たちは進める道を進めるだけ進んだ。
そうしているうちにふと、目の前が歪んだのは錯覚ではなかった。
ぐにゃりぐにゃりと視界が揺れる。
ここは焼けるように蒸し暑く、それはしたり顔で僕らの到着を待っていた。
「クソッ、とことんツイてねぇな」
すべてを呑み込む灼熱のプール。怪物の消化器官を思わせる広大な溶岩溜まりが、僕たちの行く手を遮っている。周囲に脱出口らしきものは見あたらない。
これもたくさんある絶望のうちの一つ。
「待って。あそこ、何かある。向こう側の壁面、中程」
エリーが示す指先を追うと、はたしてそこには横穴があった。溶岩溜まりを挟んでそびえる垂直の壁、その中央にぽっかりと黒い穴が穿たれている。けれど、その穴はあまりにも遠い。
「どうやってあそこまで行く? 俺たちの装備じゃ───」
「大丈夫。そっちの壁面、よく見て」
言われるまま、僕とマクシムは目を凝らした。
「なるほど、よくできてやがる」
溶岩溜まりのぐるりを囲んだ壁面右側には、上方の横穴を目指して、足場になりそうな板が点々と連なっている。酷く、頼りなさそうに見えるけれども。
「充分だわ」
エリーはもう歩き始めていた。生き延びるためには進むしかない。危険を恐れて立ち止まっても、リミットに訪れるのは確実な死だ。
慎重に足下を確かめながら、僕たちは少しずつ壁面を進んだ。溶岩の発する強烈な熱気。それが咽喉を焼くようで声を出すのが億劫になる。水分と集中力とを一気に奪われ、僕らは根を上げることさえ許されない。
「ユキッ!」
突然、エリーが叫んだ。
迂闊な僕。僕の右手は掴んでいた岩と一緒に壁面を離れ、身体はゆるゆると後方に傾いていく。下は溶岩。落ちれば黒こげ。たとえフローターでも助からない。
……それでも、傘が開くくらいの高さはあるだろうか。
僕が馬鹿なことを考えているうちに、エリーの華奢な腕が僕の袖を掴んでいた。そのまま勢いよく壁際に引き戻される。
「ユキ、もう少しのはずなのよッ。がんばって」
エリーは優しかった。声を張り上げて間抜けな僕を叱咤してくれるのだから。溶岩の中で人生をフィニッシュせずに済んだ僕はエリーにお礼を言わなくちゃならない。
「ありがとう、エリー」
でも、そんなふうに励まし合うなんてどうかしてると僕は思う。

やっとのことで目的の横穴までたどり着いたとき、僕たちは崩れ落ちるようにしてその場に座り込んだ。エリーもマクシムもすっかり疲れ切っている様子で、忙しく肩を上げ下げ息をハアハア。僕もそれに倣う。
「さすがに、ふぅ、堪えるな」
「ええ、でも……あと、少し、きっと」
ほとんどうわごとのような会話。
もう少しで何があるのだろう。
残してきたみんなのところに通じるルート?
それとも出口?
出口の先にはまた次の入り口があるだろう。
期待は気休めで励みにはならない。
絶望なんてありきたりで、そこら中に転がっている。
僕らは何のために進むのか。
それを考えるのはずいぶん前からやめていた。

                    *

あと少しと言ったエリーの言葉は正しかった。エリーはいつだって正しい。
僕たちはずっと正しい道を進んできたのだから、最後にだって正しい答えが待っている。必死の思いでたどり着いた横穴だったけれど、その奥に脱出口は見つからなかった。
見つかるのはなぜか死体ばかり。ぐちゃぐちゃになった人間の屍。それはまだ新しいものらしく、狭い通路は血と血の臭いで溢れかえっていた。
おもちゃ箱をひっくり返したようなという比喩が正しいのかわからない。でも、肘より上のない腕だとか太い骨の飛び出した腿だとか、何だかよくわからない気味の悪いもの、そういう半端な血まみれミンチが方々に散らばっている光景はあまりにも馬鹿馬鹿しくて、無邪気な子供のしでかした悪戯のようにしか思えなかった。
タチの悪い冗談。趣味も悪い最低のジョーク。
ヘイ! こっちの身にもなってくれよ。
そう言い出せないのは、生臭さの中に火薬の臭いが混じっているからに他ならない。
「な、なんだよ、こりゃあ、おいッ」
なんて取り乱していたマクシムの大声も聞こえなくなって久しい。僕らはもう疲れ切っていて、ここで何が起こったのかなんてことを一々検証するほどの真摯さはなかった。
「……ボンバー」
エリーのその一言で充分。
壁面はおろか天井床底まで、空間丸ごとえぐり取られたようなこの通路を見れば、検証なんてする必要はない。この道は文字通り、誰かが命に代えて開いた血路だった。

「なんてこった……。待てと、言ったのに」
───馬鹿がッ!
勝手に先走りやがってッ!!
ちくしょうちくしょうちくしょう。
地面に落ちていた薄汚い布きれを摘み上げて、マクシムはずいぶん派手に嗚咽した。布きれは手のひらほどの大きさで、端々が赤黒く焼け切れている。中央に『38』の文字。
今回のミッション、目的はEブロックの踏破にある。攻略のために編成された部隊の構成員マクシム以下30名、僕たちは全員、制服の袖に『38』のナンバーを縫いつけて果敢に前線基地を出発した。
Eブロック第38小隊。それが、破れた布に刻まれた『38』の意味。
30人の仲間は先のトラップですでに半数が失われていた。プレスマシンに押しつぶされたゴメスの意志を無駄にしないため、ノルマを達成し任務を完遂するためにも、僕らは命を粗末にしちゃいけなかったはずだ。
「……マクシム」
袖のナンバーを掻きむしるように腕を抱き、エリーは小さく首を振った。
絶壁の麓で僕たち三人が道を切り開くのを待つはずだった居残り組。マクシムが疎ましく思う臆病者たち。
彼らは別の道を見つけて進んだのだろうか。遅すぎる僕たちの帰りを待ちきれずに。
けれど彼らの進んだ先に出口はなく、刻一刻とリミットは迫り、そうして少しでも奥へ進もうとしたあげく───。
「……辛かったでしょうね」そっとエリーが囁いた。「でもこれが……彼らの選んだ道だった。そういうことでしょう? 誰にも咎めることはできないわ。だって私たちが戻らなかった場合の判断は全部レイモンにって───」
「それにしたってッ!」声を震わせるマクシム。「……ここに来るまで、奴らの誰にも会わなかったんだ」
そう、ボンバーを使ってまで壁を壊したのに、その道を進んで僕らのところまでやって来た者は一人もいない。
「だからこそよ」
エリーは優しくマクシムの肩に触れる。
「後続がないのに、全員でボンバーをかける理由がないわ。だからこっちのルートはあきらめたってことでしょう? ほら見て、向こうにまだ道が続いてる。きっとみんなこの先にいるのよ。ええそう、きっと」
「……ああ」
充満する血の臭い。僕らは酷く回り道をして、ようやくみんなとの合流を果たした。その虚無的なまでの徒労。鉄塊のごとくのしかかる敗北感に、マクシムはまだ立ち直ることができない。沈痛な面持ちで通路の奥を睨むエリーも、きっと同じ気持ちだろう。無意味に仲間を失うのはとても辛いことだから。
そう思いながら僕はずっと、あたりに転がる死体の数を数えていた。

「厳しいようだけれど、ここで立ち止まっていても仕方ないわ。マクシム」
仲間の死体を踏み越えてでも、僕たちは前に進まなくちゃならない。立ち止まることは、英霊たちの意志や想いを踏みにじるのと同じだ。
「さあ、行きましょう」
そう言ってエリーが立ち上がったとき、洞窟の奥から恐ろしい絶叫が響いた。
続いて小刻みな振動。
「何だ?」
弾かれるようにマクシムも立ち上がる。
「この音、……そんなに遠くない」
誰からと言わず僕たちは勢いよく走り出していた。
何かを求めるように、ひたすら奥へ。
もう、撒き散らされた血肉を踏まないよう避けて進むことはできなかった。
「うッ」
「まさか、ここも?」
窪地にもうもうと立ちこめる粉塵を払いのけ、一気に通路を駆け抜けると、そこはに妙に開けた空間が広がっていた。足下には赤黒い岩石が転がり、ホールの所々に天井を支えるような格好で天然の石柱が並んでいる。
「ねえ、あそこ、誰かいる」
ホールのずっと向こう、柱の隙間で何か青いものが動いた気がして僕は言った。
立ち止まった二人が僕の視線を辿る。すると間髪おかず、柱の向こうから耳を塞ぎたくなるような悲鳴がこだました。
「何だ、誰かいるのかッ!?」
再びマクシムが走り出し、僕たちはそのあとに続く。足下は小石の絨毯で走りにくい。
転ばないよう気をつけながら追っていると、いくつか柱を迂回したところで急にマクシムは足を止めた。塞き止められるような格好でエリーと僕が立ち止まる。
呆然と正面を見据えたまま動かないマクシム。脇から覗き込んだとき、突き当たりの壁にもたれ掛かる人影、その姿を遠目にもはっきりと捉えることができた。
「……レイモン?」
つかの間の静寂のあと、マクシムがうめくように呟いた。
居残り組の指揮を任されたレイモン。有能なレイモン。
レイモンは壁を背にぐったりと項垂れ、その姿は酷く負傷しているように見えた。身体のあちこちから血が滲み、足下に大きな血溜まりをつくっている。とても生きているようには見えなかった。
ぐるぅり。僕は周囲に目を凝らし、瞬間、息をのんだ。
死んだようにして壁に張り付いている人影。───それは一つではなかった。
「レイモン! ケッペルもいるのか? そっちは、ドギー?」
取り乱し、大声を張り上げるマクシム。しかし、壁の男たちから応答はない。
戸惑う僕たちを監視するように、洞窟は奇妙な静けさを発散している。
その沈黙が酷く息苦しい。
「何が、何があったんだ、おいッ! みんな!」
「……マ……マクシム」
ようやく、震える声で応えたのはレイモンだった。血まみれの顔を起こし、何かを掴もうとするジェスチャーのように虚しく伸ばされた右手が宙を掻く。
ゆっくりとこちらに向けられた、その潰れかけの瞳。
───何だろう?
そう思ったとき僕は、焦点の合わないレイモンの両眼に何か得体の知れない輝きが宿るのを見た。
「レイモン! おい、無事かッ? しっかりしろ、いったい何があった!?」
マクシムはあわててレイモンに駆け寄ろうとしたけれど───。
「下手な演技はよせッ! マクシムッ!!」
そのぼろぼろの身体のどの部分からそんな力強い声を発したのだろう。レイモンはカッと目を見開き、恐ろしい形相でこちらを睨んだ。
「やってくれたな、隊長様よ。最初から、俺たちは捨て駒だったわけだ」
「な、なんだと……?」
敵意を顕わにしたレイモンの双眸に囚われ、マクシムはたじろぐ。
「おい、どういうことだ? レイモ───」
「とぼけるなッ! みんなわけもわからず死んだんだ。俺もじきに死ぬ。部隊はめでたく全滅だッ! 善人づらのくそったれ野郎め、これが貴様のやり方か? マクシムッ!」
レイモンは叫んだ。口から血を吐き、両の目尻を滲ませて。死にかけのレイモンを支えているのは剥き出しになった怒り、いや、レイモンは憤怒そのものだ。
「何を言ってる? ちゃんと説明しろッ、レイモン!」
「駄目ッ! マクシム」
飛び出そうするマクシムを咄嗟にエリーが引き留めた。
「放せッ! エリー」
「嫌よ! もうカウンターが作動してるの! 間に合わないのよッ」
───カウンター?
僕は注意深くレイモンたちを見た。項垂れる五人の男たち、その頭上には冗談みたいなアラビア数字が回っている。
「茶番だな、マクシム!」
罵るようにレイモンが叫んだ。いつの間にか他の男たちも顔を上げ、みな一様に虚ろな瞳で僕たちを見ている。
「ま、まさかボンバー? 駄目だッ。レイモン! 待ってろ、すぐに解除して───」
「ふざけるなッ!」
レイモンは涙を流して泣いていた。エリーの制止を振り切り、マクシムは強引に前方へ飛び出そうとする。
けれどその間にもカウントは進み、彼らの時間はもう……。
「いいか、マクシム! よく聞けッ」
死を目前にしてなお燃え上がる激情を奮わせ、レイモンは叫ぶ。
「俺たちは怨むぞ、貴様の腐ったその魂を! いつか、この代償は必ず───」
───パン。
パンパン、パン。
乾いた音を立て、レイモンたちは破裂した。
同時に崩れ落ちる岩壁。衝撃波。降りかかる瓦礫に混じって、レイモンたちの身体を形作っていた肉塊が飛来する。
全身に血の雨を浴びても、マクシムは微動だにしなかった。残された呪いの言葉を、しっかりとその胸で受け止めるように。
「危ないッ! ユキッ」
立ちこめる砂埃の中で僕はエリーの声を聞いた。そのまま勢いよく横に突き飛ばされ、傍で岩の砕けた衝撃を感じる。その向こうに、力無く倒れるエリーの影。
何もかもが唐突で、何もかもが曖昧。
ただ、物事は取り返しのつかない方向にだけ進行する。
爆発が引き起こした崩落の規模は予想以上に大きかった。激震と砂埃に包まれ、為すすべもないまま、僕たちは崩れ落ちる岩壁の中に埋もれていった。

                    *

周囲に静けさが戻ったとき、僕らの前には大きな横穴が出現していた。たった今ボンバーで切り開かれた新しい道だ。
「……二人とも大丈夫? 怪我はない?」
一番辛そうに見えるエリーがそう言って、それぞれの怪我の具合をチェックした。さっき僕を庇ったせいで、エリーは右脚から血を流している。せっかく助けてもらったのに、僕はそこかしこに傷を負っていて体中が痛かった。見るとマクシムも僕と大差ない状態のようだったけれど、それ以上にショックが大きいのだろう。ずっと黙って、たった今刻まれたばかりの惨劇の痕を見つめていた。
レイモンたちは死んだ。
自ら犠牲になることを選択して新たな道を造ったのだ。
覚悟の玉砕。
なのにどうしてマクシムを恨んだりするんだろう。
応急処置を終えたエリーはマクシムの腕を掴んで横穴の奥へと移動した。無理にでもそうしなければ、マクシムは僕らを置いて逃げ出したかもしれない。

「どういうことか説明できる? マクシム」
エリーが問いかけても、マクシムは脱力したように首を振るだけで何も語ろうとはしなかった。
堅い岩壁に生気を奪われていくような錯覚。通路に深々と沈黙が募る。
「……さっきの様子からすると、覚悟してボンバーを使ったとは思えない」
少し言いにくそうにエリーが切り出した。
「し、知るもんか。俺だって何が何だか……」何度も首を振り、マクシムは絞り出すように口を動かす。「俺は待ってろと言ったんだ。なのに、どうして……」
苦悩するマクシム。それを強いるのは、レイモンたちの呪詛だろうか。
「……ボンバーの起爆装置」
少し間をおいたあと、囁くようにエリーが言った。
「───リモコン式だって話、聞いたことある?」
どこか投げやりな感じ。
その言葉にマクシムはぴたりと動きを止める。
「何?」
「噂だけどね、スイッチは司令部が押さえていて、いつでも好きなときに装置を作動させられるそうよ。近頃は進んでボンバーに志願するような人は少ないから、そういうシステムも考案されてるって」
「馬鹿な。そんなことは……ありえん話だ」
「でも、遠隔操作が可能ならどんな臆病者でも強制的にボンバーとして活用できる。隊長クラスの現場指揮官が上手く誘導すれば、より効率的よね」
そう言って、エリーはじっとマクシムを見つめた。
その瞳に宿るのは懐疑? それとも侮蔑?
「お、おい、エリー。まさか俺を疑っているのか? 俺があいつらを騙して、道を?」
マクシムの言葉を待たず、すっと視線を逸らすエリー。
「冗談じゃないぞ。俺はそんなもの……そうだ。だいたい、どこにそんな爆弾があるって言うんだ? ボンバーの装備はあらかじめ基地で支給されるんだ。一人ずつ持たされているわけでもないのに、強制爆破なんて……」
「人はとても弱い───」つぶやき、マクシムに背を向けたエリーは僕の腕を取った。
「死ぬとわかっていて先に進むことはできない。何も知らされずに死んでいくのと、覚悟を決めて死を選ぶのと、どちらが幸せなのかしら」
エリーはそっと、血の滲む僕の腕ににハンカチを当ててくれる。
「ユキ、まだ歩けそう?」
どうだろう。さっきからあちこち痛くて嫌になりそうだ。べろんと擦り剥けた手のひらからじわじわと血が滲んで、そこだけが焼けるように熱い。
「おい、待ってくれ、エリー。話を聞けよ」
しつこく弁解しようとするマクシム。マクシムは本当にみんなを欺いてこの道を造らせたのだろうか。そのために、みんなをあの崖の麓に残したのか?
「もういいわ、マクシム。本気で言ってるわけじゃないの。それより、もう時間がない。この先に出口がなければどのみちアウトよ。───さあ、ユキも急いで。あなたたち、まだちゃんと動けるんだから……」
そう言いながら、エリーはふらふらと壁にもたれ掛かった。

あらゆる物事には修復の効かなくなる瞬間というものがある。
しゃがみ込んだエリーの呼吸は目に見えて速くなっているようだったし、頬の筋肉は小刻みに痙攣を繰り返している。右の太股を止血した包帯もすっかり赤く染まっていた。
はっと我に返ったように、マクシムはあわててエリーの傍に駆け寄った。
「おい、馬鹿な冗談はよせよ。担いででも連れて行くぞ、俺は」
「やめてッ」
差し出されたマクシムの腕を払いのけ、エリーは叫んだ。その明瞭な意志とは裏腹に、引き締まった肉体はすっかり衰弱しきっている。
「私はもう駄目よ。無理に動いても出血が増すだけ。どうせ死ぬならここに残る。足手まといになるのは嫌なの」
「馬鹿ッ」今度はマクシムががなった。「こんなところで格好つけるな! ここまで一緒に来たんじゃないか。置いていけるわけがない」
「らしくないわね、マクシム。掟を忘れたの? お荷物を抱えてリミットに間に合わなかったら、それこそ馬鹿よ?」
「馬鹿で結構。 おい、ユキ。手を貸せ」
僕に呼びかけ、強引にエリーを担ぎ上げようとするマクシムだったけれど、エリーはそれを許さない。
「嫌だって言っているでしょう! それとも、はっきり言われなければわからない?」
「おい、あんまり騒ぐなよ。出血が酷くなる。なあに、心配することはねぇよ。これくらいの修羅場、俺はこれまで幾度となく切り抜けてきたんだ。大丈夫、必ず上手く脱出してみせる。お前を足手まといなんかにさせるもんか」
「フン、何を言ってるの? 勘違いしないで!」
なだめるマクシムを無視して、エリーはヒステリックに喚き続ける。
「やめてよ」「うるさい」「放して」「黙れ」その繰り返し。
僕はそんなエリーを見たくない。
マクシムはもう、諦めればいい。
「俺は諦めたくないんだ。頼む、エリー」
「時間がないのよ、マクシム。ちゃんと頭を働かせて。このミッションは失敗したの。レイモンたちが全滅した時点で、ノルマ達成は不可能になった。残っているのは私たち三人だけで、基地との通信手段も与えられていない。わかるでしょう、この状況……」
「ああ。厳しいのはわかってる。だが───」
「厳しいですって? 馬鹿なこと言わないで。状況はすでに最悪なのよッ! エリア内の生命反応が目標達成率を下回った時点で、司令部がどういう判断を下すか、あなただって知らないわけじゃないでしょう?」
その言葉に、マクシムが怯んだのがはっきりとわかった。
エリーの言いたいこと、僕にだってちゃんとわかる。
時間はまだわずかに残っているとはいえ、事実上の任務失敗。最悪の場合、司令部がリミットを切り上げる可能性もあり得るのだ。生存者は一切の救助活動を放棄し、速やかに待避すべし。それが僕らに刻まれた鉄の掟。
「もう基地まで戻ってる時間はないわ。でも近くにきっと出口があるはず。あなたたち二人なら充分間に合う。お願い、時間を無駄にしないで。私のことはいいから、こんなところでぐずぐずしてる場合じゃないって、わかってよ!」
エリーは懇願するようにマクシムを見つめる。
でもそれは嘘だと僕は思った。エリーはマクシムの決断を促すために、そんなことを言っているのに違いない。
「知ったことか!」
吐き捨てたマクシムは拳を固めた。
「このミッションで俺は部下のほとんどを死なせちまった。その上お前まで失うようなことになったら、俺は……」
言い淀むマクシムをよそに、エリーは何かを諦めたように首を振る。
「いいわ、マクシム。それならはっきり言ってあげる。───私はね、あんたと一緒に行って爆弾がわりにされるのはご免だって言ってるの! わかった!?」
エリーは厳しく言い放ち、
「この、卑怯者ッ」
蔑むような眼差しをマクシムに向けた。
「なっ、おいッ! エリィッ!」
───エレイン!!
拳を振り上げたまま絶句して、それきりマクシムは動きを止めた。
洞窟には再び静寂が訪れ、僕たちはお互いに孤立していく。
エリーはマクシムの罪を疑いその卑劣をなじった。でも、本当にそうだろうか。
本当に、レイモンたちは道を切り開くために爆破を強制されたのだろうか。起爆スイッチは今もマクシムの手元にあって、僕らの命はずっとこの男の手に握られているのか?
それを知ったエリーは疑心暗鬼になって、頑なにマクシムを拒むのか?

「言ったでしょう、マクシム。私、エゴイストなのよ。人の気持ちにまで気を回すことなんてできない……」
謝るようにエリーが囁く。
怒りの矛先を探していたマクシムは、おもむろに壁を殴りつけて拳に血を滲ませた。苦渋に満ちたその表情の奥に理解されることのない悲壮を宿して。
エリーが言うように、人はあまりにも弱かった。
繰り出す拳を止め、ぽつりとマクシムが問いかける。
「……傷、痛むのか?」
「いいえ。もうあまり感覚がないの」
エリーは目を閉じて答えた。
「そうか……」
エリーの傍らに歩み寄り、マクシムはゆっくりとその頬を撫でる。
「なあ、エリー。やっぱり俺は臆病者なのかな。お前を連れて行くのが無理なら、せめて一緒にここに残ってやりたいと思う。でも、その決心がつかないんだ……」
「マクシム……」
「俺は行くよ、エリー。だが、お前に卑怯者だって思われたまま立ち去るのは、とても耐えられない。だからお願いだ。信じてくれ。今回のミッション、俺は何も───」
「ええ。わかっているわ、マクシム。それよりも急いで。もう時間がない」
「本当に、……いいのか?」
問いかけるマクシムを見つめたまま、静かにうなずくエリー。
「ごめんなさい。酷いことを言って責めたこと、謝るから」
「……ああ」
───俺を恨まないでくれ、エリー。
そう言い残して、マクシムはエリーのもとから立ち去った。ゆっくりと歩き出し、次第に駆け足になって、暗闇の奥へと消えていくマクシム。
ここでは、仲間の死体を踏み越えていける臆病者が生き残る。
僕はただ遠ざかるその足音を聞くことしかできなかった。
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